三日坊主日記

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裁判員制度を考える2 問題点

2008年10月29日 | 日記

現行の裁判にはどういう問題があるのだろうか、裁判員制度になればどのように変わるのだろうか。
アムネスティのニュースレターVol.400とVol.401に、小池振一郎弁護士と寺中誠アムネスティ・インターナショナル日本事務局長の対談「取り調べという名の拷問 日本の司法制度を問う」が載っている。
小池弁護士は裁判員制度に賛成のようだが、アムネスティも賛成の立場なのだろうか。

小池振一郎氏の主張は、裁判員制度が刑事裁判を変える、調書裁判から公判中心主義へと転換されるだろう、ということである。
そして、裁判員制度をきっかけとして捜査方法も改革せざるを得ないと、小池振一郎氏は言う。
具体的にどう改革すべきかというと、取調べの全面可視化、証拠の事前・全面開示、DNA鑑定などである。

小池振一郎氏はこう言う。
「裁判員制度になると、裁判前に弁護人と被疑者の綿密な打ち合わせが必要です。たとえばアメリカは陪審員制度ですが、弁護準備のために公判まで1年以上かけるなんてざらだそうです。被告人の身柄が拘束されていると密接な打ち合わせが難しいので、裁判員制度がうまく機能するためには、できるだけ身柄を解放する必要があります」

調書主義の裁判も変わる。
「証人や被告を実際に尋問して判断するという近代的な裁判に近づくと思います。従来は膨大な供述調書の矛盾や変遷を細かく検討することだけで時間を費やし、供述調書を追認するだけの場でした」

裁判は口頭主義になるだろう。
「供述調書も、裁判員制度で変化せざるを得ないでしょう。いまの裁判では供述調書のごく簡単な要旨を読むだけで、後は自宅ででも読んでくださいというやり方です。しかし裁判員制度になると、法廷の中ですべて済ませなければならない。しかし、全文朗読も時間がかかる。それなら直接本人を呼んで聞いた方が早いわけです。そこで、相対的に供述調書の比重が低下します」

そうなると、自白よりも証拠が重視される。
「自白中心主義から直接主義(公判廷に直接提出された証拠にのみ基づいて判断するという考え方)へ、推定有罪から推定無罪に変わる大きなチャンスだとも思います」

無罪推定の原則が守られるようになる。
「裁判員制度になれば、裁判官が裁判員に推定無罪について説明するので、自ら実践してもらわないと困る。裁判員は素直に受け取りますから、推定無罪という意味を理解すれば、裁判の中で実践していくと期待しています」

今までの取調べや裁判はひどい、よりよいものにするためには国民の参加が必要だ、そのために裁判員制度に期待する、ということである。
しかし、そんなにうまくいくものだろうかと思う。

寺中誠氏が推定無罪について
「一方で、裁判官ですら推定有罪の感覚を持つんだから、裁判員は簡単に有罪と思ってしまうかも」
と質問すると、小池振一郎氏は、
「それも否定しません。また、今犯罪報道が極端なほど被害者の立場に立っており、この影響を裁判員が受ける心配もあります。しかし、報道による影響は、裁判官も同じです。裁判官もメディアに弱いですよ、ものすごく。ただ、裁判員になれば、被告人や証人、証拠に直接接します。そこで、報道ではなく目で見て聞いたことから自ら判断するという健全な方向に行くと期待しています」

さらに寺中誠氏は量刑判断について、
「裁判員制度は重大事件が対象なのに量刑判断をするという点が問題です。日本の裁判員制度は、死刑も含めすべて多数決という世界に類を見ない恣意的な制度だと思います」
と尋ねると、小池振一郎氏は
「確かにその点は非常に問題です。ただ擁護する訳じゃないんですが、裁判員制度を前に、国民が自らの問題として刑事裁判や死刑について考え始めました。これは従来なかった変化です。ぜひ健全な方向で世論が形成されて、制度変革につながればと期待しています」
と、「期待しています」の連発である。

小池振一郎氏たち裁判員制度賛成派は、裁判員制度になれば調書主義ではなく口頭、証拠中心主義に変わるだろう、そうなると代用監獄で自白を強要することもなくなるはずだ、だから冤罪が減る、という考えらしい。

『それでもボクはやってない』の試写会を「弁護士たちが大絶賛!」という記事があり、そこに川副正敏日弁連副会長の感想が載っている。
「この映画には何度も「有罪率99.9%」という言葉が出てくるんですが、裁判員制度というものはこの「99.9%」から解放するためのものだと思っています」

起訴され、裁判になると、無罪になるのは0.1%、つまり1000件に1件である。
有罪率の高さがどういうことを意味しているのか、安田好弘弁護士によるとこういうことである。
「無罪ということは検察が間違っていたということですから、つまり、今の裁判は1000件に1件しか不当なものはないということになります。ところが、きちんと生産管理、品質管理がなされている工場の生産ラインでさえ、500件に1件は規格外の不良品が出てくるんです。となりますと、裁判では工場で不良品が作られるよりも少ない率でしか間違いを犯さないというわけです。しかし、そんなことは人間の社会ではあり得ない。あり得ないことが日本では司法という名の下に行われているわけです」

「裁判所は検察の主張を審査するチェック機能としてほとんど意味をなしていない。よほどひどい規格外品でないかぎり、裁判所は無罪判決を出さないというのが裁判の実情です」
つまり、かなりの誤判があるから有罪率が99.9%になるのである。

では、裁判員制度になったら誤判が減るのだろうか。
アメリカでは陪審員制度だが、冤罪が少なくない。
伊藤和子『誤判を生まない裁判員制度への課題』によると、1973年から2005年までに122人の死刑囚が無実と判明し釈放されている。
2003年には1年間に12人の死刑囚が釈放された。
どうしてこのように多くの死刑囚が無実と判明したかというと、その多くはDNA鑑定によってである。
DNA鑑定によって冤罪が発覚した事件は2006年10月までに184人。
しかし、DNA鑑定によって無実が証明された死刑囚は、すべての生還者の12%にすぎない。

10月28日に執行された久間三千年死刑囚は一貫して犯行を否認、DNA鑑定の結果、警察庁科学捜査班は「ほぼ一致」するとの結果を出した。
ところが、第三者に委託した大学の研究室では「毛髪と体液が一致する確立が低い」との結果が出たという。
再鑑定したら無実だったということもあり得たと思う。

アメリカでは冤罪事件が次々と判明し、司法に対する市民の不信が高まったため、司法の改革を進める州が増えた。
しかし日本ではどうかというと、富山連続婦女暴行冤罪事件、志布志選挙違反事件といった冤罪事件によって、警察の取調べがいかに無茶苦茶かということが明らかになっても、司法の改革を求める市民の声が大きくなっているわけではないと思う。
「国民のあいだから、刑事裁判はぜひとも参審制、裁判員制でやりたいという大々的な声が起こって、それにもとづいて裁判員制度が議論、採用されたというのであれば、その実施は成功するでしょう。しかし国民からそういう声が出たことはまったくありません」(西野喜一『裁判員制度の正体』)

裁判員制度になり、国民が裁判に参加すれば冤罪がなくなるわけではない。
伊藤和子氏(賛成派)はこう言う。
「司法制度改革実現本部には「裁判員制度・刑事検討会」も設置された。しかし、同検討会は、裁判員制度下における制度設計の論議に終始し、冤罪の根本原因を分析して、その防止のために刑事司法改革を実現するという取り組みはほとんどなされなかった。
確かに、刑事裁判に市民参加を導入する意義は大きい。しかし、それだけでわが国の刑事裁判の抱える問題が解決するわけではない」

高山俊吉氏(反対派)はこう言う。
「被疑者や被告人の人権を無視し侵害する刑事捜査の現状を多くの弁護士は憂えている。また、それを批判せず、ともすれば助け船を出しがちな裁判所のあり方に常々疑問を感じている。現状を何とかしなければと歯ぎしりする思いの弁護士たちにとっては、裁判員制度はひとつのきっかけと考えたいところだ。誠実に刑事弁護を行っている弁護士ほど方思いがちだとも言える。でも、捜査の現状も裁判所の姿勢も変わらないところで「市民」が参加して何ができるか」(『裁判員制度はいらない』)
裁判員制度に賛成する弁護士も反対する弁護士も、裁判員制度になっただけで裁判が変わるわけではないと、同じことを言っているのである。

現在の裁判には問題がないとか、とにかく裁判員制度を始めようというのではなく、まずは日本の裁判ではどういう問題があり、捜査の現状はどうなのか、そして問題があるとすればどう解決していくかを考えることが先決だと思う。
で、どういう問題があるかというと、
1,取調べ(代用監獄制度)
2,公判前整理手続
3,調書主義、自白偏重、なれ合い裁判
そして、裁判員制度での課題は
1,無罪推定の徹底
2,事実認定、量刑判断
3,裁判の拙速化
といったことではないかと思う。

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