女性天皇・女系天皇に反対する意見をよく見かける。
問題点を私なりに整理すると、「血の幻想」と「女性差別」という二点あると思う。
1 血の幻想
皇族に男子の後継者がいない現状をこのままにしておくと、男系が途絶えてしまう。
そこで男系天皇論者は、旧宮家を皇族として復帰させるべきだと主張する。
しかし、旧宮家は平成天皇とはあまりにも血縁関係が遠すぎる。
三笠宮仁は、継体天皇、後花園天皇、光格天皇がかなり離れた傍系から天皇になっているから、旧宮家を皇族に復帰させることは問題がないと言う。
これは誤りである。
継体天皇は応神天皇の五世の孫とされているが、実際のところはよくわかっていない。
妻が仁賢天皇の娘、武烈天皇の妹ということで天皇になっているわけだから、継体天皇以降は女系ということになる。
後花園天皇の場合は8親等と離れているようだが、北朝の崇光天皇のひ孫である。
光格天皇も東山天皇のひ孫であり、先代の後桃園天皇の一人娘を妻にしているから、女系とも言える。
いずれも天皇との血縁関係がそれほど遠いわけではない。
かりに三笠宮仁に息子がいたら大正天皇のひ孫になるから、その息子は現皇太子とは7親等ということになる。
ところが、旧宮家はすべて伏見宮家の分家で、伏見宮家は初代(1351~1416)が崇光天皇の息子なのである。
今までこれほど男系の血縁関係が離れているのに天皇になった人はいない。
だったら、南朝の末裔だという熊沢天皇だっていいじゃないかという話になる。
ずっと以前、鹿児島の知り合いから、明治天皇の落とし胤が近所にいるという話を聞いた。
本当かどうか知らないが、血の濃さを言うなら明治天皇の落とし胤が天皇になってもおかしくない。
しかし、DNA鑑定で明治天皇と血縁関係があるとわかったとしても、多くの人はそういった人が天皇になることはいやだと思う。
血よりもイメージなのであって、神武天皇のDNAが問題なのではない。
血というのは幻想である。
我が家は300年続いていると自慢する人がいる。
途中、養子をもらって血のつながりは切れていても、気にせず、血縁で長年続いてきた由緒ある家なんだという幻想を持っている。
こういう家信仰の総本家が天皇家である。
家信仰が血となり肉となっている私たちは、天皇家は万世一系なんだ、純粋さを保ってもらいたいという幻想を抱いているにすぎない。
こうした血の幻想が女性への差別を生んでいる。
2 女性差別
もともと日本は母系社会だったのに、父系になったのは中国の影響である。
中国では伝統的に、男子がいなければ家は絶え、先祖祭祀をしてもらえなくなるので、死者は苦しむと考えてきた。
日本でも跡が絶えた家は「無縁」と言われ、気にする人もいる。
養子はダメなのかというと、日本人はそんな杓子定規なことは言わない。
とにかく家が続けばいいという考えである。
日本人はそういういい意味でのいい加減さがあるが、中国人の場合、そうはいかないらしい。
「風の旅人」という雑誌に、李小明「永遠の魂―中国、カトリック教の村―」という文章がある。
これがなかなか面白い。
現在、中国には約1000万人のカトリック信者がいる。
中華人民共和国になってからずっと弾圧され、今は緩和政策がなされているといっても圧力があることには変わりない。
中国政府が抑圧政策をとっていたため、カトリック信者のほとんどは田舎で暮らしている。
陝西省のカトリック信者の住むある村の話。
70年代の終わり以降中国は一人っ子政策を採用してきた。中国では伝統的に、健康な男の子がいなければその家系は途絶えるとされており、生まれてくる赤ちゃんが女の子や障害を持った男の子であると、赤ちゃんを捨ててしまう。
近隣の村人は、カトリック教徒なら必ず子供を育ててくれると知っており、わざわざ教会の前に子供を捨てる。
男系にこだわるあまり自分の子供ですら捨ててしまう中国のことを、男系天皇論の人は笑えない。
女系天皇反対の人は、女は中継ぎにすぎないと公言し、女性を切り捨てているのである。
本願寺さまの話が出てましたが、そういえば本願寺さまというか、現在の法主さまの家系は親鸞聖人からすれば「女系」になるわけですよね。
まぁ、これは直接に関係ないとは思っておりますけれども。拙僧的には、仏教徒だからどうという意見はありません。もし仏教との本義を通そうとすれば、こういった事項に何も言うべきではないと考えています。
その意味で、とりあえず世事は世事の思考でもって考えますけれども、血に特有の幻想を抱くことはあると思いますし、それは大事だと思います。今後、我が方で論を進めるにしても、おそらく男系でなくてはならないという論理的な証明はできないと思います。
したがって、ここまで来ると、好みであるとか、個人が持ってしまっている思考法に左右されると思うのですが、現在のところ様々な反証はあるにせよ「男系と信じられている」状況を、そのまま受け入れるべきだと思っているのです。その理由は、果たして2000年以上も男系だという理念がある以上、それを今の我々が簡単に変えて良いのかどうかが分からないからです。例えが適当かは分かりませんが、拙僧の寺には樹齢400年の杉の木が20数本境内にあります。おそらく、これはお寺に何かがあったときに建て替え資材として植えられたのでしょうけれども、現在となっては誰も切れない状況になってます。
これと同じで、とりあえず続いていると信じられている事象は誰にも変えられないと思うのです。ただ、それだけでございます。ですので、「男性」にイメージがあるわけでもなく、女性を差別する心もなく、ただ変えて良いの?という問題意識だけが拙僧を支配しております。
またお釈迦さまの言葉には、「生まれによってバラモン(聖者)なのではない。行いによってバラモンなのだ」というのがあります。以前も書かせてもらいましたけど、仏教の基本教理、縁起とは「これがあるとき、これがあり、これがなければこれがない」ということだと思います。ここのブログ↓には面白い意見がありました。
http://skumbro.cocolog-nifty.com/edo/2005/03/10.html
組織あるところに、トップがつきものならばその人選の方法(透明性)や資質こそ問われるべきだと思いますが。
藤原氏の主張は「論理だけではダメだ」ということらしいです。
そんなに簡単に思考を放棄していいものでしょうか。
おかしいものはおかしいですよ。
たとえば、
>果たして2000年以上も男系だという理念がある以上、
というtenjin95さんのご意見、天皇制はそんなに古くはないですよね。
皇室の行事にしても、明治以降のものがほとんどです。
そして、
>とりあえず続いていると信じられている事象は誰にも変えられないと思うのです。
ということも賛成できません。
たとえば、「友引に葬式をしてはいけない」という迷信がありますが、「どうしてですか」と聞くと、「昔からそうしているから」とか「みんながしていることだから」という返事しか返ってきません。
とにかくそうなんだ、というのでは迷信と変わりません。
迷信はこうして伝統とされてしまうのですが、思考放棄すると、天皇制も迷信と同じことになってしまいます。
杉が切れないということも、切る必要が今はないから切らないだけで、本堂の建て替えなどの必要が生じたら、切るんじゃありませんか。
切ることができないというのは固定観念のように感じます。
ある概念にこだわるのは執着ですし、信じられている事象が迷いであれば、目覚めるべきでしょう。
そして、昔からそうなっているから変えてはならない、というのなら、新しいものは生み出されません。
もちろん、新しければいいというわけではありません。
あるブログのコメントにこういうものがありました。
雅子様の精神不安定は、ほんとに精神的なものだろうか?甲状腺ホルモン異常や骨髄液の漏れなど別の原因は、十分に健康診断されていらっしゃるのだろうか?女系天皇容認云々は、1~2年間、議論を先延ばしした方がよいのでは?
すごい差別、偏見です。
女系天皇の問題がこういうところにまでいっているのは恐ろしいと思います。
まだ、管理人様が何かについて肯定的な意見を発しているわけではなく、そうであれば拙僧が以上のような私見の構築を行っても、それは全て非難できることでしょう。
ですので、とりあえず拙僧からのご意見は管理人様の私見が定められてから申し上げたいと思います。ただ、私見を定められずに批判的な意見だけを述べられるならば、今後拙僧が意見を申し上げることはありません。
また、管理人様がご指摘になる「伝統」ですが、今回のご反論は、拙僧は大塚英志氏の『「伝統」とは何か』(ちくま新書)にて、すでに想定の範囲内でございます。知ってて敢えて斯様に申し上げる、拙僧の神意を御斟酌いただければ幸いです。
それから、最後なのですが、まるで最後にあのような雅子さまに対するご意見を載せられると、拙僧もそのような意見かと誤解されかねませんので明記しておきますが、拙僧はそのような差別心を全く持っておりません。それとも、女系天皇否定者は差別論者でなくてはならないのでしょうか?その点は疑問でございます。
やや言葉がきつくなりましたが、拙僧の忌憚なき意見を申し上げました。
天皇の権威は座にありますから、いい人だとかいった個人の資質はあまり関係がないと思います。
座が汚れないようによい血筋を、ということはありますが。
>tenjin95さん
私はHPで新興宗教の悪口を書いていますが、自分の内なる新興宗教的心性批判のつもりです。
同じように、内なる天皇制の呪縛(家、血の実体化、権威主義など)をいかに乗り越えるべきかが仏教徒の課題だと考えています。
ですから、いろいろな問題を批判的に取り上げることになりますが、単に他者を批判しているつもりはありません。
なるべく自分の問題として考えたいと持っています。
女系天皇の是非について特に考えていたわけではなく、アクセスが増えたらいいなという思いつきで始めたのですが、あらためていろんなことに気づかされました。
たとえば、男系絶対論は女性蔑視だということです。
女じゃダメなんだと言っているわけですから。
そうしたことについては追々書いていくつもりです。
なお、天皇家の後継者についてですが、愛子天皇に養子をもらえばいいと思います。
もし子供ができなければ、秋篠宮の孫を養子にすればいいでしょう。
女系だとどこの馬の骨ともわからないものの子供が天皇になる、という意見がありますが、人は生まれによって決まるのではない、行為によって決まるという釈尊の言葉に従う者にとって、とてもじゃありませんが賛成できません。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/k-nisimoto/seiten02NO5.htm
旧宮家がしゃしゃり出てくるのは、本家の財産をねらった縁の遠い親戚が大きな顔をしているようで、いい気持ちはしません。
女系を否定しながら、明治天皇の子孫であることを強調するのは矛盾です。
また、皇室の女子すべてが宮家を創設することも様々な問題があるので、賛成できません。
お豆腐(和食)のおいしい作り方とかが滅びそうになって、その昔ながらの製造技術を守っている人がいる、というお話があるとします。で、そこに「屋号」みたいなのがあってそれを受け継ぐのに弟子を養子に迎えるという話しならわかります。
でも天皇制度に関しては、それは何の「文化」を守ってるのでしょうか?○○焼きとか邦楽とか日舞とか伝統芸能や工芸とかではなくて「精神的」なものだとすればいったい、その実質は何なのでしょう。私にはよくわかりません。
天皇を戴いている民族は、他の民族より、歴史が浅い国家より優越しているというお話しなのでしょうか?このあいだ、ある保守だと公言されている年上の方が別の人と小泉首相の靖国参拝をめぐって話されてました。ある方が参拝をやめるべきだといい、その方は「小泉さんは、『信長』なんか観に行ってるヒマがあったら毎日参拝に行け。官邸から靖国は近い」といっておられて、面白かった。
小泉さんは、「心の問題」といって自分の宗教信条のように参拝に関して言ってますが、私には政治的パフォーマンスのようにしか見えません(首相になる前からも熱心にお参りに行ってたのでしょうか?)イスラーム社会やユダヤ社会のような、日常生活を事細かに規定している原理主義に傾く宗教と違って、クリスマスも除夜の鐘も初詣も習俗として楽しむのが、日本人の柔らかな「重層信仰」なのかも知れませんが。
>天皇制度に関しては、それは何の「文化」を守ってるのでしょうか
まずは宮中祭祀でしょう。
しかし、それがはたしていつからのものなのか。
二千年の前から続いてきた、なんてことはないですよね。
それと、国民の幸福を祈るということです。
しかし、天皇の祈りと白光真宏会が祈っている、
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
とどう違うのか。
白光真宏会の会員はこの言葉を「日本」のところを世界中の国の名前を入れかえて(百何十カ国もあります)、繰り返し何時間も祈るそうです。
>その実質は何なのでしょう。
時代によって実質は変わってきていると思いますが、男系天皇を主張する人にとっては血ではないでしょうか。
男系の血と、女性の血のケガレです。
日本で政権をとった武家たちはみんな清和源氏だとか桓武平氏だとか言って、自分たちのルーツを天皇に遡らせることによってその正当性(差別化)を保証するものとして機能させていました。
また、朝鮮半島には族譜がありますね。
http://www.han.org/a/jogbo/jogbo.html
ヨーロッパにはEUがありますが、東アジアではこの「男系社会」というものでキリスト教社会に対抗して統一戦線を構築できるかもしれません(笑)。
円さんは、内なる天皇制を問題にされてますが、多くの仏教宗派は「出世間」の教義的問題をすっとばしたまま「俗世間」のルールでもって葬祭儀礼を継承しています。仏陀も龍樹も親鸞も道元もタイムマシンでこの時代にやって来たらきっとびっくりするでしょうね(笑)。
http://www.tais.ac.jp/bukkyougakkai/page120102.html