三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

中川智正弁護団『絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?』3

2012年04月17日 | 死刑

大阪パチンコ店放火殺人事件で、弁護側は絞首刑は残虐だから違憲だという主張をしたが、地裁の判決は絞首刑は残虐ではないから合憲というものだった。
判決文の中で気になったのは次の五点です。

① 死刑は,そもそも受刑者の意に反して,その生命を奪うことによって罪を償わせる制度である。受刑者に精神的・肉体的苦痛を与え,ある程度のむごたらしさを伴うことは避けがたい

② 医療のように対象者の精神的・肉体的苦痛を極限まで和らげ,それを必要最小限のものにとどめることまで要求されない


③ 自殺する場合に比べて,安楽に死を迎えられるということになれば,弊害も考えられる


④ 死刑の執行方法が残虐と評価されるのは,それが非人間的・非人道的で,通常の人間的感情を有する者に衝撃を与える場合に限られるものというべきである


⑤ 死刑に処せられる者は,それに値する罪を犯した者である。執行に伴う多少の精神的・肉体的苦痛は当然甘受すべきである


①と②の、死刑とは「ある程度のむごたらしさを伴う」のは避けがたいし、「精神的・肉体的苦痛を極限まで和らげ」ることは憲法では要求されない、ということについて。

安田好弘氏の話だと、「むごたらしさ」と「残虐さ」を司法では分けているそうだ。
絞首刑は「むごたらしい」が、憲法で言う「残虐」には当たらないということらしい。
しかし、「残虐」を辞書で調べると、「人や生き物に対してする行為のむごたらしいこと」とあって、むごたらしければ残虐だということになるはずです。

③の「弊害」とは何か。

私の考えるに、苦しまずに処刑されるようになれば、自死する代わりに死刑になって死のうという人間が増えるということだと思う。
しかし、死刑になりたいからと無差別殺人を犯す事件はたびたびあるわけで、死刑制度そのものが弊害です。

④も意味不明で、絞首刑は「通常の人間的感情を有する者に衝撃を与え」ないということだろうか。

ということは、大阪地裁のこの裁判官は絞首刑に立会い、遺体の清拭をしても、特にどうとも感じないらしい。

そして⑤の、死刑囚は「多少の精神的・肉体的苦痛は当然甘受すべき」だということ。

2008年2月アメリカのネブラスカ州最高裁判所が、ある死刑囚の訴えに対して、死刑の方法として電気椅子を用いることを禁止した判決文が、中川智正弁護団『絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?』に引用されている。
その中に「われわれは(上訴人の)死刑囚が罪なき犠牲者を苦しめたと同じだけ、死刑囚を苦しめたという誘惑があることを認める。しかし、残虐な行為に対して残虐な行為を行うことなしに罰するのが文明の輝かしい証明である」とある。
大阪地裁の裁判官はどう思うかお聞きしたい。

ただし、絞首刑が残虐だから死刑は廃止すべきだということにはならない。
死刑賛成派の土本武司氏は、絞首刑は残虐だからやめて、その代わりに薬物注射を、という考えです。
産経新聞の「正論」で、土本武司氏は「絞首刑は限りなく「残虐」に近いものだと言わざるを得ない。憲法36条は残虐な刑罰を「絶対」に禁じている。例外のない、程度の差を問わない趣旨として理解しなければならない」と絞首刑に反対しているが、「私は死刑は存置すべきだとの立場である」と最初に断っている。

安田好弘氏によると、ウィリアム・ブレナンという人は、残虐かどうかは文化の問題であり、痛みがあるから残虐なのではない、仲間を殺すことが残虐なんだ、と言っているそうだ。

56~90年に最高裁判事だったウィリアム・ブレナンは死刑は憲法違反だという考えの持ち主で、最高裁が死刑を支持するたびに反対した人です。

「FORUM90」Vol.122に船山泰範氏の「法務大臣に死刑執行の義務はない」という講演録が載っている。
この中で船山泰範氏は「刑罰が一定の目的を持っている」と話している。
「一定の目的とは何か。それは、犯罪を行った人が2度と同じような過ちを繰り返さないための、そのきっかけとして刑罰はあるのだと、こう考えるべきだと思うのです。(略)私は、刑罰はすべて社会復帰に役立つものでなければいけないと思うのです」
死刑は社会復帰を考えていないし、終身刑に近い状態になっている無期懲役も社会復帰はほとんどない。
「当人が社会復帰しようとする意欲が持てない、あるいは社会復帰のしようがないようなそういう刑罰のあり方、私はそういうものこそ憲法が禁じている残虐な刑罰だと考えるべきではないか、と思います。(略)そういう、いわば絶望しかないような刑罰こそ残虐な刑罰であると思います」
「やり直せる社会に、賛成です。」ということです。

『絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?』には明治時代の新聞などから、104人の死刑執行の様子を紹介している中にこんな記事があった。

新垣亀 明治20年1月に死刑執行
沖縄は琉球国王尚氏の時代から死刑を行わなかった。殺人などの重大犯罪でも八重山島に放流するにとどめ、どのようなことがあっても人命を断つことは無かったが、沖縄県初めての死刑執行。
琉球が独立国だったら、世界最初の死刑廃止国になっていたかもしれない。

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