三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「さとり世代」なる若者

2013年06月23日 | 青草民人のコラム

青草民人さんです。

私たちの世代は、若い頃「新人類」といわれ、何を考えているのかわからないとよく言われたものだ。「いまどきの若い者は……」という言い回しは、どんな時代にも存在し、つねに先代との確執のもとになってきた。

最近の若い世代についた称号は、「さとり世代」。自分はこんなものだろうと諦めというか、無欲というか、そのような若者気質を表した表現だという。


昨年度の終わりに、卒業生の将来の夢に関する絵と文章を書いた作品が、体育館に掲示されたことがあった。そのなかには、「ぼくは、将来、生きているだろうか。病気や災害にまきこまれていないといいな。」「元気で生きていますように。」など、将来の生存に関わる不安が感じられる記述が何人かいたのに驚いた。東日本大震災を経験した世代とはいえ、あまりにも子ども離れした記述に寂寥感すら感じた。


明るい未来に希望がもてない。自分の将来像を思い描けない世代の若者たち。めまぐるしく移り変わる世の中に暮らしながら、自分を社会に押し出していく勇気と自信を失っているようにさえ感じる。


「さとり」とは、本来は、自分自身がもつ執着心や猜疑心を超越し、真実の自己の在り方を自覚することである。諦めや自暴自棄になることではない。


「さとり世代」という言葉の意味には、「どうせ自分は……だから」という諦めや「自分はこのぐらいが妥当だ」という自己否定が垣間見られる。

何年か前から、教育の現場でも、自己肯定感をもたせる指導の充実がさけばれるようになった。
自分に自信がない。人と関われない。引きこもってしまう。さりとて、一世代前の若者のように尾崎豊の歌詞にでてくるような、大人社会に対する反抗や強い憤りを表すこともない。


しかし、こうした閉塞感は、陰湿ないじめの温床となり、表面的では何も起きていないかのような状況のなかで、静かに、しかし、したたかな暴力が行われている。若いいのちが、まさに死をさとったかのように摘み取られ、世の中に衝撃を与えている。


日本の国そのものに元気がない。大きな災害を経験して、自然の脅威と人間の無力さを思い知ったということもあろうが、社会そのものが閉塞感をともなって、行き詰まっているような気がする。アベノミクスも先行きのみえない打ち上げ花火にならなければよいが。


常に強いものが勝ち、弱いものが犠牲になるというのが、世の常である。強力に経済を立て直すことが、若者の将来への希望と元気を再生させることに、本当につながるのだろうか。


何ものにも束縛されずに、自由を求めて生きるには、欲望を抑え、人と争わず、小さく生きていくこと。それが今の若者にとっての「さとり」といわしめたものなのかもしれない。そんな若者を作ってきたのは、まぎれもなく私たちであろう。


釈迦の教法ましませど、修すべき有情のなきゆえに、さとりうるもの末法に、一人もあらじとときたもう。

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10 コメント

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さとりの解釋 (白蓮)
2013-06-23 09:04:11
さとりの解釋なんかを始めると僕はあたまがおかしくなるのでやめてますが、ポジティブのようでいてネガティブ、ネガティブのようでポジティブなネーミングですね(^^)
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難しー (てるてるぼうず)
2013-06-23 10:24:13
生きている間は絶対に覚れないことをさとる

自分が凡夫であることをさとる

自分が愚であることをさとる

真宗の門徒だから一応ね

而して而して而して

どうせ自分がやってもできないからしない・・・ことは、さとりなんでしょうかね

自己満足(甘え)なのか、さとりなのか

紙一重であり表裏一体でもあるような
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無余涅槃 ()
2013-06-23 16:47:09
仏教で言うさとりとは、結局死ぬことではないかという気がします。
究極のマイナス思考ということですね。
でも釈尊はそんなバカは死ななきゃ治らない的な不可能なことを説いたわけではないと思います。
さとったことのない者が言っても説得力はありませんが。
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やっぱり難しー (てるてるぼうず)
2013-06-23 17:31:35
仏教の覚りは解りません

自分に対するさとり(仏教の覚りではなく)ですね
自分の状態(能力)を判断すること、あるいは、できることを「さとる」と書いています

「あーそうなんだな」と気付いていくこと
それの積み重ねですね
それがどこまでいくのか・・・

ひらがなで書いた「さとり」はそんな意味で書きました

話しはかわって

親鸞聖人は仏陀でしょうか?
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お久しぶりです!! (となりのみよちゃん)
2013-06-23 21:47:37
お元気で、ブログお書きになっていらしていて、とっても、嬉しいです。
今まで、悟りを求めて、座禅組んでおりました←ウソ・ウソ。
こんなこと書いちゃって、ぜんぜん、「さとり」なんて、縁遠い毎日です。
ぜ~んぜん、仏教のことわかりませんが、原始仏教と小乗仏教と大乗仏教では、いろんな意味で違うわけでしょ。
ソクラテスやブッダって、究極のところ、自分の生き方を考えていて、あまり、ほかの人との、関わり方考えていなかったのじゃないかしら?

さとらなくって、いいじゃない。ほんとは、だ~れも、死ぬまで、さとれないと思う・・・
死んだら、さとったっていうことにしてもらう、結構、気楽な安易な考え方でも、よくありませんか?
こういうのって、ダメなの?

ともかく、これも人生、あれも人生、人生いろいろ、人間関係は苦労するかもしれないけど、ほかの人と、比べないで、お迎えがくるまで、みんな、なんとか、生きていきましょ!!

ところで、林羅山と公開討論した、ハビアンって、ご存じでしょ。なんか、興味深いタイプですね。二人の討論って、ハビアンの方に、軍配が上がると思いますけど、儒・仏を批判して、あんなに熱心なキリシタンになったのに、あの討論の後あたりから、キリシタン、いじめになってるみたいだし・・・
ハビアンは、頭脳明晰な人だったみたいけど、結局、なにしても、すくわれないし、さとれないのが、人間らしいのかなって・・・コラム拝読しまして、そんなこと、ぼんやり考えてみました。
では、また!!

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さとりは夢みたいなもの? ()
2013-06-24 15:24:55
>てるてるぼうずさん
釈尊が何をさとったかというと、苦しみの原因は無明、つまり自分が愚かだから苦しんでいるだ、ということでしょう。
ですから「自分が愚であることをさとる」が正解だと思いますけど。

親鸞さんが仏かどうか、客観的には言えないと思います。
私にとって親鸞さんはどういう人か、でしょう。
日蓮さんは本仏(根本仏)なんだそうで、これはどうかなと思います。

>となりのみよちゃんさん
お久しぶりです。

ソクラテスは弟子に教えることが自分の仕事だと思っていただろうし、釈尊は僧伽を大切にしていますから、人との関わりを考えていないことはないと思いますよ。
さとるかどうかより、道を求めていくということじゃないでしょうか。
さとったら過去形になりますが、現在進行形。

ウィキペディアを見ると、林羅山が論破したとあります。
でもまあ、宗教の論争をしたら、どちらも自分が勝ったと言いますね。
さとった者同士の論争はどうなると思います?
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俗世間の言葉 (みどり)
2013-06-26 15:29:37
こんにちは、初めて投稿します。

俗世間の中にいて、「さとり」という言葉(概念)がどのような意味なのかを考えても無駄のような気がして今回投稿しました。
何故なら、「さとり」とは俗世間とは真逆の世界である出世間の概念なので、その中で考えていかなくてはいけないものだからと思うからです。
俗世間で、俗世間ではない概念を”利用”するとなれば、俗世間の都合のいい概念に合理化されるのは当然だと思います。
よって、本来の意味とは全然逆の、大抵は悪い意味でレッテルを張るために使われているように思います。
例えば、「他力本願」「我慢」は、前者では良い意味で、後者では悪い意味で捉えるのが本当ですが、俗世間では逆になります。「智恵」という言葉も、俗世間では「悪智恵」という、本来ありえない言葉が出来てしまいます。
そのような俗世間で合理化された出世間(仏教界)の言葉に惑わされないこと、囚われないことが大事なことではないでしょうか。
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コメントありがとうございます ()
2013-06-27 17:50:33
さとりは言葉で表現できる真実のか、それとも言語道断、言葉では表現できない体験なのか、人によって意見が違います。
しかし、さとりとは何かを伝えることができなければ、さとりは一人ひとり違ってしまうことになりかねません。
また、さとりが世間とは無関係であれば、私は意味がないと思います。
本来の意味とは違った意味で使われている仏教語はものすごくありますが、それとさとりという言葉を日常語で語ることとは別の問題ではないでしょうか。

諦を「たい」と読めば「悟り、真理」という意味ですが、「てい」だと「あきらめる」という意味になります。
「あきらめる」とは「明らかに見る」という意味に解すれば、「悟り」とは「明らかに見る」ことだということになります。
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参考になりました。 (みどり)
2013-06-28 09:15:31
円様、ご意見ありがとうございました。

「さとり」という言葉を、大部分の人が意識していないで日常生活を営んでいると思いますが、それでも「さとり」という言葉がそんなにも”魅力的”なものなんだなー、ということを実感しました。
「さとり」がクローズアップされると、人は磁石のようにそれに吸い付かれてしまうんだなーと思いました。
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意識レベルの向上 ()
2013-06-29 11:42:24
ニューエイジやオウム真理教などにはまる人たちも「さとり」がイメージするものに吸い付かれているのかもしれませんね。
違う自分になりたいという変身願望なんでしょうか。
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