四衢先生から「カルトと私たち」という冊子をいただいた。
カルト問題についてわかりやすく話されていて、さすがだとあらためて感心した。
以下、私なりのまとめ。
・カルトの定義
被害を受けた人がたくさんいるということ
教義や考え方が著しく科学的根拠を欠いているということ
脱法的な行為をしてしまう教義を持っているということ
・カルトの特徴
最初からカルトがあるのではなく、途中から教義や宗教が暴走し、集団、あるいは教祖の利益や欲望を満たすための手段となる
・教義のパターン
世界が滅びる、死んだら地獄に堕ちるなどと、恐怖と絶望に陥れ、不安にさせる
と同時に、破滅から救う道があると言い、この宗教を宣伝し、献金しなさいと言う
・若い人への勧誘の仕方
大学などのサークルで誘い、研修会に参加させる
あなたは世を救うことができるとおだてて、信者の勧誘や金儲けをさせる
・年配の人への勧誘の仕方
月に1万円とか、一回の回向料が3万円とかから始める
マインドコントロールによって、自分から進んで行っていると思わせる
・脱会の困難さ
専門家に相談すること
しかし、脱会には時間とお金と労力がかかるし、脱会した後も問題を抱える
・真宗の眼
帰依三宝、仏(教えを説く人)と法(教え)と僧伽(法を聞く場や仲間)が明らかになることで間違いに気づくことができる
オウム真理教は法がなく、神秘主義は仏がない
私もカルトについて法話で話をしたことがあるが、まとまりのない話になり、自分でもわけがわからなくなってしまった。
何が問題なのか、それをきちんと整理しないと語れないということです。
本山もカルト問題に取り組もうというのなら、この冊子を出版してくれたらいいのに。
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http://www.prati.info/d/d-2-23.html
四衢先生は埼玉で勉強会をされてるそうです。
今度参加させていただくつもりです。
真宗会館に問い合わせて教えていただきました。
タイトルの冊子とかも、取り扱ってくれれば良いのにねぇ。入手方法が無いか、問い合わせてみます。
情報有難うございました。
先生に「スピリチュアルについてどう思いますか」と聞いてくださいな。
http://seaglet.sakura.ne.jp/chtable.html
1985年ごろ、豊田商事の永野会長が親鸞会の会員だったという報道がありました。
その頃聞こえてきたのは、親鸞聖人の悪人正機の教えを使って、「悪をなすことが、往生の因なのだ」といって社員にハッパをかけてた。。。とかいうことでしたが。
真偽のほどはともかくとして。そういう具合に解釈すれば、「悪人のワタシが救いにもっとも近い。。。」という開き直りのようなことになるのかなあと思います。
が、
http://light.kakiko.com/skaimatome/k026_c.htm
お布施がどういう手段によって得たお金なのか、それを確認して受け取るなんてことはしませんし、不法な手段によって得たお金だとわかったからといって返金した話は聞いたことがありません。
不浄なお金でも真心がこもっていたら布施として認めましょう、ということですか。
うーん、どうすべきでしょうか。
http://www.myoshin.com/guide/declaration.html
ビクトリアさんが、意を決して師僧たちを告発した本が、各国語で出版されたのが大きいようですね。禅はやっぱり、真宗などと比べて欧米に広まってますから、これでは隠しきれませんよね。でもこれは、真宗にもあてはまりますよね。
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4769810008/
出家という脱社会性を帯びていた仏教が、こういう形で社会性を持っていたこと。何ともやりきれませんね。差別問題でも、宿業問題を克服していないし、戦争責任問題でも、ミニ天皇制=法主(門首)制をいまだ抱え続けて(皇室とのつながりを示す抱きボタンや下がり藤をシンボルにして)いるわけでありまして。。。
○公家とのつながり。。。
「仏・法・僧伽という三宝で表される仏教は、誰かが上で、他のものはそれに隷属する家来になるわけではなく、一人ひとりが同じ高さで出会い、一人ひとりが、その人として自立する世界を開くものです」
「三宝ということで、自分たちの在り方、教えのありさまを点検する眼をいただいているといえると思います」
「三宝の視点を持つということが、カルトに陥らないための何よりの予防にもなるわけです」
ということを四衢先生は言われています。
仏教教団の戦争責任の問題ですが、市川白弦師(師も臨済宗の方です)が問題にされていましたね。
http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/shirani_ichikawa.html
市川師を糾弾するくせして、外人(外人とは外国人ではなく、白人のことです)が禅仏教の戦争責任の問題を本にしたら、教団がごめんなさいと謝るのは恥ですよ。
外圧には弱いということでしょうか。
まあ、大谷派もハンセン病が話題になってから急に取り組み始めたわけで、謝罪したのもホンネはどうなのかと邪推したくなります。
http://www.shinmai.co.jp/news/20080805/KT080805FSI090013000022.htm
破壊的カルト 許すまじ。
怒りや憎しみを持ってはいないようです。
すごいなあと思いました。
罪を憎んで人を憎まず、ということでしょうか。