赤坂真理『東京プリズン』を読みながら、小説を書くということは過去の自分を受け入れるための一種のセラピーなのかもしれないと思った。
というのも、赤坂真理氏は15歳の時に渡米しているそうだ。
母と「私」(作者)との関係の修復。
そして、天皇と国民との関係の修復。
赤坂真理氏の天皇観と思われる汎神論的天皇、円の中心にある虚無としての天皇は、現実の歴史的な存在としての天皇とは違うと思う。
『東京プリズン』は天皇の戦争責任についてのディベート小説かと思っていたら、441ページある中の342ページからディベートが始まる。
の最後、主人公の高校生はディベートの場で聴いた天皇の声を伝える。
積極的に責任を引き受けようとしなかったことが、私の罪である望んでトップにまつりあげられたわけではなかった。担ぎ上げられたとも言える。が、それは私がこの魂を持ちこの位置に生まれついたのと同じ、運命であり、責任であったのだ。巡りあわせであり、縁あって演じることになった役割だ。それには私の全責任があるはずであった。戦争前に、戦争中に、そう思い至らなかったことを悔いている』。
二重カギになっているのは、天皇の声だということなのか、それともタネ本があるということか。
赤坂真理氏は「彼ら(兵士)の罪は、私(天皇)の罪である」と書いているが、実際はどうなのか。
昭和天皇はマッカーサーとの会見で「自分が全責任を負う」「自分はどうなってもいい」と語ったとされているが、実際は違うらしい。
昭和天皇にとって一番大切なのは国体護持なんだと思う。
梯久美子『百年の手紙』に、昭和天皇、皇后が皇太子に出した手紙が紹介されている。
昭和天皇の手紙(昭和20年9月9日)
「三種の神器を守る」=国体護持である。
マッカーサーには「戦争に関する一切の責任はこの私にあります」と言ったとされるが、息子には敗因を軍人のせいにしている。
前にも書いたが、昭和天皇は知らされていたわけではないし、軍人の言いなりになっていたわけでもない。
梯久美子『昭和の遺書』に、2.26事件で死刑になった磯部浅一についてこのように書かれている。
昭和天皇34歳、磯部30歳。
天皇なら自分たちの気持ちをわかってくれると信じ込んでいた磯部浅一たちにとって、反乱軍とされることは天皇の裏切りだと感じたのだろう。
現実主義者の昭和天皇と、理想主義に殉じた磯部たち。
そして、香淳皇后の手紙(昭和20年8月30日)
「救われた」とはどういう意味だろうか。
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