三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

裁判員制度を考える13 おしまい

2008年12月01日 | 日記

高山俊吉『裁判員制度はいらない』に、司法制度改革推進本部の意見公募に寄せられた意見(2003年7月)が紹介されている。
「刑事裁判を雑にやっていいのか」
「裁判官が常識外れだからといって市民が良識を備えていることにはならない」
「間違った判断をして判決後に真実がわかったら一生悔やむ」
「少しぐらい休んでも生活に困らない人の考え」
「国民常識の現状は推定無罪ではない」
「あなたは法律知識のない人に裁かれたいか」
「被害者、犯罪者、その家族、国民みんなの人生を簡単に考え過ぎている」
「拒否できないというのは国家の強制力に国民を慣れさせたいからだろう」
「マスコミの意見に左右され、死刑だと繰り返し報道されれば死刑だと思い、こんなに悪いことをしていると繰り返し放送されれば有罪だと思うものだ」
etc

なるほど、もっとも。
きわめて常識ある意見ばかりである。
裁判員制度の問題点を的確に指摘しているこうした意見に対して、最高裁、法務省、日弁連はどう答えるのだろうか。

2005年8月に行われた模擬裁判での裁判員たちの感想は、
「もうやりたくない」
「専門知識がないので、これで良いのかと後悔が残りそう」
「何を基準に(量刑を)決めればいいかわからない」

その時の裁判員は、裁判所職員2人、日弁連職員2人、その他2人。
身内でもこういう感想なわけである。

渡辺えり子氏はこう言っている。
「みんな裁判員になるのをいやがっているのは、裁判を軽視しているからじゃなく、裁判は重要なことだと思うからこそ自分たちがやるべきじゃないと考える。命がかかっていることを素人感覚でやっちゃいけないと思っているのです」(高山俊吉『裁判員制度はいらない』)

これまたそのとおり。
餅は餅屋にまかせるべきだと思う。
大相撲で不祥事が続くから、日本相撲協会の役員に外部の人が入いることは当然だと思う。
医療ミスを検証するために病院が委員会(外部の人も含む)を設置するとしたら、反対する人はあまりいないと思う。
だけど、医療ミスが多いから医療制度を改革すべきだというので、診察には国民から選ばれた一般人が立ち会い、選ばれた診断員と医者の多数決で決めるようにしようなんてことを主張する人はいないだろう。

司法を変えるためには、裁判員制度ではない、違ったやり方があるはずだ。
裁判員制度で裁判を行いながら、問題点があれば変えていこう、というのは順序が逆で、まずは代用監獄制度の廃止、取調べの全面可視化、証拠の事前・全面開示、公判までの準備期間の保障、国選弁護人の質と報酬を高める、推定無罪の周知などを行い、そのうえで裁判に国民が参加するかどうかを国民に問うべきではないかと思う。
細かなところまで考えずに、とにかくやってしまおう、まずいところがあればその時に考えればいい、というので裁判員制度が始まる。

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2 コメント

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裁判員制度に到底賛成はできませんが、 (tibimama)
2008-12-01 16:33:17
>「間違った判断をして判決後に真実がわかったら一生悔やむ」

そのとおりですよね。

でも、プロの判事は悔やまないのでありましょうか?(さらに言えば、その時起訴した検事は悔やまないの!?!)
まあ、悔やまないひともいるでしょうね。
でもでも、わたしが「その事件」の関係者(被告であれ、被害者遺族であれ)なら悔やまない判事に裁いてほしいとは思いません。

つまり、わたしは、お金と引き換えにひどい仕事をプロの判事にさせている面があるのも確かです。(だから「裁判員制度を!」というのはあり得ない論理の飛躍です。)

わたし(「わたしたち」ではありません!)は、少なくとも現在の日本で起きている誤審の責任の何万分のい1かは、自分にあるように感じてしまいます。

少なくとも、代用監獄など人権上に明らかに問題のある制度を容認しているのは、わたしたち(こちらは「わたしたち」でいいような気がします。)なのですから。
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嘘つきの国の正直者 ()
2008-12-02 16:47:00
>プロの判事は悔やまないのでありましょうか?(さらに言えば、その時起訴した検事は悔やまないの!?!)

自白を強要してウソの調書を作り上げる刑事、被疑者の言い分を聞かない弁護士、間違った鑑定をする法医学者などなども悔やむことはないのでしょうか。
たとえば、紅林麻雄警部補。
静岡県警は幸浦事件、小島事件、島田事件、丸正事件など冤罪事件を大量に出しているのですが、その中心人物です。
http://www.asyura.com/0601/nihon20/msg/390.html
こういう人たちは無実の人が死刑になっても何とも思わないのでしょうか。

いま読んでいる『グランド・ミステリー』という本にこういう文章がありました。
「一番本当らしく書いてあることが一番嘘なのよ。しかも、困るのはね、嘘を吐(つ)いている本人が、それを本当のことだと思いこんじゃうことなのよ。嘘を吐いている自覚のない嘘吐きを、本物の嘘吐きっていうの」

>現在の日本で起きている誤審の責任の何万分の1かは、自分にあるように感じてしまいます。

おっしゃるとおりです。
誤判に限らず、政治、社会の諸問題、たとえば定額給付金という2兆円もの無駄づかいです。
多くの人が意味がない、無駄だと言ってますが、そうは言っても給付金をもらうでしょうね。(笑)
ただ、一億総懺悔というのもおかしいと思います。
責任者はいるわけですから。
責任の所在は明らかにしないといけないのですが、そこがまた有耶無耶になるんですよね。
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