先日、東京に行った時、「つけ麺日本一決定戦」というのをやっていた。
食券を買うための長蛇の行列。
そして、つけ麺を求めてまたまた並ばないといけない。
当然のことだが、人気店の行列が長くて、東京の人は忍耐強いと感心した。
「つけ麺日本一決定戦」のサイトを見ると、第一陣から第三陣まであって、全部で24店が出店している。
どの店がおいしいかを投票して、1位を選ぶわけである。
期間は3週間だが、全店のつけ麺を食べるのも一苦労です。
東京行きの新幹線でたまたま読んでいたのが、適菜収『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』。
小泉政権が郵政民営化の広報において広告会社が作成した企画書で、国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、IQ軸を縦軸として、4層に分類している。
A層
・財界勝ち組企業
・大学教授
・マスメディア(TV)
B層
・小泉内閣支持基盤
・主婦層&子供を中心
・シルバー層
・具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層
・内閣官僚を支持する層
C層とD層は略。
広告会社はB層に向けた戦略を提言し、自民党は選挙で圧勝したというわけである。
頭のいい人間、すなわちA層がB層を対象に商品をつくっている。
B層はマスメディアを妄信することに疑問を感じない。
「A層は資本主義の原理によって動きます。そこにB層がいる限り、B層に向けた経済活動を行います」
ベストセラー、ヒット曲、テレビ番組など。
「B層にこよなく愛される店の料理が「B層グルメ」ですね。
具体的には、メディアに踊らされてラーメン屋に並ぶような人々が好む店です」
となると、つけ麺日本一決定戦で行列している人はB層だということになる。
ラーメンが大好きな私もその一人。
「いわゆる「オレ様系」の鮨屋も増えました」
店主が客に自慢話をし、「文句を言う奴は出て行け」みたいな。
ラーメンばかりでなく、鮨屋もB層化しているそうだ。
ラーメンに関するうんちく本なら速水健朗『ラーメンと愛国』。
もっとも、著者がどこまで本気なのか、それとも風が吹けば桶屋が儲かる的論理を楽しめばいいのかわからない本です。
他の飲食業に比べてラーメン業界は、宗教やオカルト色の強い自己啓発的な成功哲学にはまる傾向が強いそうだ。
1990年代半ば以降、ラーメン屋はラーメン道的になった。
店員が作務衣か、手書きの漢字がプリントされた黒のTシャツを着ている。
「そのイメージは、おそらくは陶芸家に代表される日本の伝統工芸職人の出で立ちを源泉としている」
ラーメン屋のオヤジがラーメン職人に変化したのである。
店の壁やメニューに手書き風の文字で人生訓(ラーメンポエム)を書き、〝ラーメン哲学本〟というラーメン業界で成功した人が出した本が売れる。
「多くの本に書かれているのは、生い立ち(悪かった過去とか)、ラーメンとの出会い、成功までの物語、ラーメンへのこだわり、弟子の扱いといったことである」
ラーメン界の右傾化、保守化である。
「従来、左翼がナショナリズムを批判するときに、伝統や正当性を掲げるナショナリストに対して、その伝統や正当性がまがい物であることを突きつけるという手法があった。例えば、日本には建国の当初から続く天皇という伝統がある。これに批判するために、天皇制は明治以降に確立された近代の産物に過ぎないと批判するやり口がそれである。
だが、大澤真幸は21世紀型ナショナリズムにはその批判のやり口は通用しないと言う。なぜなら、彼らは伝統や正当性のなさを自明のものとしてあらかじめ理解した上で、ナショナリストになっているからである。逆に「構築主義的な視線」(つまり「近代の産物だ」とやり込める手口)こそが、彼らをナショナリズムに誘う張本人であると言う」
ラーメンの右傾化も同様である。
「ラーメン的愛国心の大本が、ニセモノであること、捏造された伝統であることは、問題ではないのだ。人々は、それを自明のこととして、「伝統の捏造」を、リアリティーショー的、遊戯的に行っているだけなのである」
適菜収氏はラーメン屋に行列する人をB層だとするが、並んでいる人たちはそれを楽しんでいるだけかもしれない。
ちなみに、『ゲーテの警告』はB層をバカにすることでB層に受けるようとするいやらしさがある。
そして、民主党を非難し、鳩山元首相たちをB層政治家とけなしている。
では、東大卒の大金持ちである鳩山由紀夫氏はA層なのか、B層なのか。
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脱サラブームだった時、ラーメン屋さん、開いた人多かったようですが、そのまま上手く経営し続けてる方、そういないのではないかと、思います。もしかしたら、脱サラしたこと後悔している方も、たくさんいるのでは?北海道のある空港内のラーメン横丁に入店するには、厳しい審査がある上、売上下位1,2位は、撤退させられる条件付きという話を聞いたことがあります。標準のお値段より、幾分お高いようですが、いつもにぎわっているのには、大変な努力と理由があるようです。
石原さんのこと、少しの間、メディアが騒がなかったみたいですけど、今日はそのニュース満載。タイミングを知ってのことでしょうか。話題作りお上手。もちろん、石原さんを個人的に知っているのではないのですが、小林興起さんは、なぜか知っているのです。類は類を呼ぶ、とはよく言ったもの。
この方達の集団、ラーメンに例えたら、のびきったメンに腐りかけた具をたっぷりと乗せたって、そんな感じかなぁ・・・
期待しすぎたからかもしれません。
でも、ラーメンの味は私が子供のころとはどんどん変わっています。
ラーメンはいくら食べても食べ飽きません。
石原氏は官僚の悪口ばかり言ってます。
橋下氏の公務員叩きと同じ。
そこがまた受けるんでしょうね。
B層という言葉は嫌いですが、二人ともB層を取り込もうとしてるんでしょうね。
仏跳牆というスープがあるんです。贅沢な食材を、ふんだんに使っています。お金かければ、いくらでも、かけられるようなものを食材にするんです。たとえば、豚のアキレス腱ですむところを、鹿のそれにしたり、ダシに干鮑・魚翅の乾物を用いたりして。お値段聞いたら、とても味わえません。
中国料理のマナーでは、前菜のあとの熱菜(熱い料理)の第一品を大件といって、それでその日の「おもてなし」が決まると、言われています。燕窩の巣が第一級、魚翅が第二級、海参が第三級で、これが3大件です。大件の料理でその日を予想するわけ。こういうこと知ってると、な~んだ、なまこのスープ出してきたのかって思うかも。これって、かえって不幸?
スープのさめない距離ってありますけど、石原さんとさめない距離関係作れる人って、ある意味ですごいですよね。今日は、明治維新のことも、語っていましたね。
いま、『火はわが胸中にあり』を読もうかなって思っているところです。
http://kuidoo.blog88.fc2.com/blog-entry-248.html
いい距離関係を保っていたらしい猪瀬氏はいかに?
「辞職表明から一夜明けた石原氏は、都内の自宅前で雲一つない空を指さし「空を見なさい。さっぱりしている」と心境を語った。」
笑ってしまいました。
こんなスープは、いかがでしょう?
http://blogs.yahoo.co.jp/yasudaimonji/16635537.html
『中国の食譜』を読まなくては。
読んでも、すぐに忘れてしまいますけど。
彼は文革後、中農出身を理由に小学校を中退させられ、農業を手伝ったりしていたようですね。彼が、アメリカ・スタンフォード大学で語った言葉に「飢餓と孤独がわが創作の財産である」というのが、あります。飢餓に追い詰められて、美味しいものへの憧憬が、ノーベル賞の原点だったのですね。
大躍進時代を経験しているわけですから、実際にそんなことがあったかもしれません。
もてなされた後が、日本人と中国人で、およそ、異なる感じです。日本人同士なら、ご馳走してもらったら、次に会ったとき感謝の気持ち伝えたり、あるいは、その後お礼のプレゼント送ったりしますでしょ?
でも、中国人は、一般的にそういうことはしません。文化の違いからくるようです。招いたあの日、お礼を言っていたのは、うそだったのか?と思うらしいです。本心から、語ったのであれば、もう、お礼を言う必要はない、という考え。
こういう違いを理解しないと、戦争のことでも、謝罪すれがするほど口先ばかり、と思われてしまうのです。では、どうしたら良いか、ということになりますよね。
生半可な親中派になるのは、もはや限界。こうなったら、生理的な域まで理解するとか、でも、これは、大変。
日本文化は中国文化と、根本的に異なることを、共通理解することが大切だ、よく言われてるみたいですけど・・・
最悪を想定してるような、発言聞くとイヤになります。
日本人から食事の礼を言われたら、素直に受け取ればいいじゃないですか。
メニューや食材で相手を知的レベルを知ろうとするのは、私には何だか人を試しているというか、知識のひけらかしのようで、いやらしく感じます。