人は自分のことをよく思いがちだという例を、ロルフ・デーケン『フロイト先生のウソ』はいくつかあげている。
・90パーセントが自分は平均以上のドライバーだと答える
・70%の学生は自分には平均以上の指導力があると思っている
・85%が他人より社交的だと考えている
などなど。
人は、成功や好成績は自分の手柄だと思い、失敗は環境や他人のせいにする傾向がある。
なぜかという説明がおもしろい。
精神の病に苦しむ人々の自己認識は間違っているというよりは正しすぎることのほうが多い。
ウツ病患者はこうした錯覚とは無縁であり、ウツ病の人のほうが現実を正しく把握し、希望的観測に曇らされないクリアな目で将来を予測する。
ところが、自己欺瞞度の高い人ほど精神的に安定しており、自分のことがわからないほうが精神的にはいい。
しかし、健康人も内面に注意を集中させていると、ウツ病患者の状態に近くなる。
そこで人間は、ウツでない状態を保つために現実をポジティブな方向にねじ曲げる。
幻想や粉飾された自己認識が精神の健康にとって不可欠な要素であり、自分のことがわからないほうが健康的なのである。
自分のことをきちんと知ることで病気になるのと、うぬぼれて健全な社会生活を送るのと、はたしてどっちがいいのか。
ウツ病患者が暴力犯罪を起こした事例は皆無と言っていいほどなのに対して、高い自尊意識がしばしば暴力的傾向を助長することがあり、復讐に駆り立てられるのも、高い自尊意識の持ち主(自信家、うぬぼれの強い人)のほうらしい。
となると、ウツ体質の人が多いほうが世の中が穏やかになるわけです。
もう一つ、不愉快な経験は気にしないのが一番だそうです。
たとえば死別。
悲しみから目を逸らし、悲しみをほとんど外に表わさないタイプの人のほうが、心身の健康状態は良好だったのである。
なるほどね、苦しまないためには、イヤなことを忘れて考えないようにするのが一番だということです。
何も考えず、疑問に思わずに生きていくことは楽ではあるが、それでは人間としてどうなのかとは思う。
でも、人間らしく生きるためにはウツ状態でなくてはいけないというのも困った話です。
悩まずに楽しく暮らすことを選ぶか、苦悩の中で何かを見出そうとするか、これは性格的なものが大きいと思う。
真継伸彦が「宗教的天才は絶望の天才だ」というようなことを書いていた。
たとえば釈尊である。
なぜ家族や地位や財産やらを捨てて出家したかというと、老人・病人・葬式を見たからという伝説がある。
ほとんどの人は、老人・病人・葬式を見たからといって、一時的に落ち込むことはあっても、自分とは関係がないものとして考えないようにするから、そこまでは悩まない。
年に一万人以上が交通事故で死亡するが、自分もやばいと思ってたら運転などできないし、霊柩車を見るたびにウツになる人はほとんどいないと思う。
他人事だと思っているから、まあ、何とか生きていけるわけで、明日は我が身と真剣に悩んでいたら、ノイローゼになることは間違いない。
たいていの人はいろんな悩み事はあっても、「人生なんてそんなもんだ」と自分に納得させて、ほどほどのところで考えるのをやめる。
だけど、釈尊はそこにこだわり続けたわけだ。
釈尊は徹底したマイナス思考の、後ろ向きの性格だったんだと思う。
最終的には「自分はこういう道を見つけることができた」と説いている。
嫌な思い出が時々、意識の表面にぷかぷかと浮いて出てくる私としては、マイナス思考でグジグチと悩んでしまう釈尊が見つけた道を歩むしかないなあと思っている。
ご指摘のように、釈尊は他人のことまで受け止めて悩んでいたように思います。まぁ、神経質なような気もしますし、釈尊礼賛者であれば、同悲同苦とか言うんでしょう。
拙僧はとてもそこまではできませんが、あの「万人に向かって警告されていること」を自分のものとして受け止められるように思ってます。「駆け込み乗車をするな」とか、「交通標識」とか・・・
他の方に聞くと、やはり嫌だと言われます。
別に遺族に共感しているわけではないのですが、死というのは重たいですから。
「太陽と死とはいずれもじっと見つめることができない」と言いますが、そこがお釈迦さまとの大きな違いですね。
>「万人に向かって警告されていること」を自分のものとして受け止められるように思ってます。「駆け込み乗車をするな」とか、「交通標識」とか・・・
しかし、人から注意されると腹が立ちます。
「太陽と死と自分自身はいずれもじっと見つめることができない」
としたらどうでしょうか。
「宗教的天才は絶望的事柄に希望を持ち続けた天才だ」と理解しました。
私は「釈尊は徹底したプラス思考の、前え向きの性格だった」のだと思う。
プラス思考=善、マイナス思考=悪、とされていますよね。
となると、マイナス思考ではダメだ、後ろ向きではダメだと切り捨てているわけですから、プラス思考、前向きだと片面だけしか見ていないように思います。
プラス思考については落合政道さんが少しだけ批判してます。
http://www.geocities.jp/utu_tannisho/
来世を前提にしている従来の宗教では、どうしても、前世も存在すると暗々裏に言ってることにならないでしょうか。それでは、
障害者やハンセン病者を苦しめた業の問題は
、とことん批判できないのではないかとわたしは思ってます。(別に今の私も完全にこの問題と切れた訳ではありませんが)
スピリチュアリズムやニューエージの説く実体的な前世来世観は、確実にある人々を対象に忌避感覚を植えつけるの(差別の再生産)に貢献していると思います。(この点が私、お世辞でなく、ニューエージ批判を続けられる円さんのブログを評価しているとこです。)
麻原(オウム=アーレフ)批判、靖国批判は確かに簡単なのですが、他の伝統宗教でも世界観は似たり寄ったりなんじゃないかと思ったりなんかして。
ですから、そう簡単ではありません。
プロジェクト卍さんが、ぐちゃぐちゃと悩み、こだわるということは大切なことで、ふっきれたらダメだと思います。
考えるためのいろんな糸口があるわけですが、私は新興宗教やカルトが好きなもんですから、そこから考えることが多いということです。
ま、鬱状態のほうが物事をきちんと見ることができますから、どしどしと落ち込んでくださいな。
年末の大掃除(でかい団扇で埃を払う)のと、夏の
東本願寺の得度式です。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006080400080&genre=J1&area=K1F
これを見てて、おおっと思ったのが、最近は女の子も9歳から得度できるようになったことです。男女は平等であるべきだ、というフェミニズム派の主張が通ったことなのですね。けれど、果たして今時分(鎌倉時代でも疑問なのですが)、子どもが9歳で坊さんになろうという選択をするのだろうかということです。
これは、家がお寺の人だけの話しですね。ちなみに西本願寺では、15歳。高校生になってから得度できるそうです。まあ、それでも自分の進路というのは15歳でなかなか決まらない。。。決められないでしょうけど。
キリスト教界では、再洗礼派というのがあるそうです。 http://www.tabiken.com/history/doc/H/H044C100.HTM
年端も行かない子どもに洗礼を授けるより、自覚的にキリスト教を選ぶということが大切だということらしいです。この辺、東本願寺は何も考えないんでしょうか。あるいは、フェミニズム派も。
韓国では、曹渓宗という禅を基調にしている教団が最大手(?)ですが、朝鮮戦争後、妻帯することを認める太古宗というのが分派したそうです。
日本の禅宗とかはどうなんでしょう。道元禅師の教えは出家というのか、独身というスタイルでなければいけないのか。それとも構わないのか。
禅宗のお坊さんと結婚した女性が、これはマズイ。私は道元さまの教えに惹かれたから、今から離婚して出家する。。。なんて話しは皆無なのか。
曹洞宗でもフェミニズム派の方がいらっしゃるけど、自分の生き方と仏法はどうなっているのでしょうか。お寺は仕事で、生きる根拠はフェミニズムなのでしょうか。親鸞会は、私は好きではないですが、でも「後生の一大事」ということにこだわりを持たれてるわけで。何となくその辺はあいまいにされる。。。というのは、どうなんでしょう。
宗派が分裂するほどに、教義をめぐって論争するというのは、大切なのかも知れません。
http://www.horakuji.hello-net.info/jiun_sonja-shobo_siso.html
が見つかりました。長い文章ですが、三分の一ほどに日本仏教や韓国仏教の妻帯について批判的な言葉があります。で、住職ご自身、妻帯者であるようです。
http://www.horakuji.hello-net.info/horakuji_masters.html
というか、させました。
真宗の場合、僧侶になるわけではないらしく、僧分になるということだそうです。
仏法にご縁を作るという意味だと解釈して、どうかお許しくださいな。
仏教の堕落は、明治政府が僧侶の肉食妻帯を認めたことから始まると、私は思っています。
上座部仏教の僧侶が尊敬されているのは、戒律を守って清浄な生活をしているからですから。
これまた、自分のことを棚に上げての話ですが。
親鸞のころから、僧侶が妻帯することは珍しいことではなかったことはたしかです。
しかし、本音とタテマエがありまして、タテマエではお坊さんは立派な方だから、ということがあったわけでしょう。
そのあたり、真剣に論議すれば、お前はどうなのかという話になるわけで、タブーという領域になるのでしょうか。