三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

堀川恵子『裁かれた命』3

2012年06月25日 | 死刑

死刑になった長谷川武は初犯であり、被害者は一人。
信じられないことに、地裁の審理はたったの2回だけ。
それで死刑になっている。

1955年~1970年に死刑確定事件は246件。
そのうち、被害者数が1人で死刑になった事件は134件で約54%。
246件のうち、被告人の年齢が確認できた146件のうち、被告人の年齢は22歳以下が29人(うち9人が未成年)。

1971年以降、1990年代半ばまでは死刑の確定件数は毎年一桁に減少している。

ところが、1990年代後半から死刑確定数が二桁台に戻っている。
長谷川武の事件が数年後に起き、もうちょっとましな国選弁護人がついたら、たぶん死刑にはなっていないと思う。

死刑判決が出たのは弁護人の無能さ、やる気のなさもあるが、大きな理由の一つは長谷川武が書いた「犯罪日記」の存在である。

長谷川武は強盗殺人事件の前に三件の窃盗と強盗を犯しているが、犯行の内容を「犯罪日記」に詳細に記していた。
一審の判決文「被告人は本件各犯行後その非を悔悟反省することなく、その都度、自己の犯行を逐一詳細に「犯罪日記」と称する帳面にしたためて置くなど、被告人の有する凶悪性、反社会性、社会的危険性はまことに強度なものと認めざるを得ない」
「自分の人生は太く短く生きたい」と書いており、凶悪な事件をやるという意思が強いと見なされたわけである。

長谷川武自身も「殺そうと思って殺意を持って家に押し入った」と殺意を認めている。
堀川恵子『裁かれた命』の中で、土本武司氏は長谷川武の取り調べについてこのように語っている。
「死刑事件でこんなに手間のかからないケースは珍しかったんです。(略)彼は言ってみれば捜査官が捜査しやすい供述態度をとってくれたわけです。(略)長谷川に対しては理詰めにすることも怒鳴ることも、まったく必要がなかったんです」

ところが、長谷川武は上告趣意書では殺意を否定した。
なぜかというと、小林健治弁護人が長谷川武のために熱心に弁護したからだと思う。

長谷川武が起こした二件の強盗では被害者はすぐに現金を差し出した。

しかし、今回は被害者は大声を出したので、静かにさせようとしたが抵抗は収まらない。
上告趣意書にはこのように書かれてある。
「私は困却してしまいました。半分は無我夢中の私、奥さんは私の言うことを聞いてくれない、精神的にも切羽詰まった私、ちつとも静かにしてくれない、冷血漢の私、もう私の頭の中は何かがグルグル回つている様でした」
「私は奥さんの胸部を突差していました。私は其の時「しまつたあ」と唯それだけを感じ取りました」

土本武司氏は次のように語っている。
「この上告趣意書を読んで分かった事情や、こうやって改めて調べ直してみて分かってきた彼の情報を踏まえて考えていくと……、そういう犯罪を行う背景事情としての当時の彼の生活、その生活に基づく彼の心の動き、犯行時の心理状態については、はたして検察官である私は正しい認定が出来ていたのだろうかという気持ちが湧いてきますね。
検察官も弁護人も裁判所も、つまりあの事件に関与した法律関係者全員が本当に正しい認定をしたのかという、反省的な気持ちがありますね……」

堀川恵子「土本はさらに、もし「犯罪日記」を死刑求刑、そして死刑判決の有力な根拠にするのであれば、本来なら日記を書き始めた当時の被告人の心情、日記に書かれた事実関係の裏付けなど、日記の内容の立証に特化した捜査や審理が必要であったのに、一連の捜査でも裁判でも、そこには全く触れていなかったと言った。そして、自分たちに都合の良い部分だけを抜き出しただけだったのだろうと自省を込めてふり返った」

殺人事件を起こした被告は、調書や判決文に事実とは異なる点があっても、償いの意味でそのままにすることがある。
しかし、弁護人の働きかけで事実を明らかにすることが自分の義務だと思い、上告審で実際はこうなんだと訴える。
ところが、時すでに遅しで、否認したから反省していないと見なされてしまう。
長谷川武もそうだったんだと思う。

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