三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

堀川恵子『裁かれた命』2

2012年06月22日 | 死刑

東京地裁の検事だった土本武司氏宛に届いた長谷川武という死刑囚からの9通の手紙、その手紙にまつわるテレビ・ドキュメンタリーをもとに書かれたのが堀川恵子『裁かれた命』である。

土本武司氏は30年間の検事生活の中で一回だけ死刑を求刑した。
1966年5月に起きた強盗殺人事件である。
といっても、土本武司氏はこの事件の捜査検事で、裁判で死刑を求刑したのは別の検事である。
長谷川武は否認せず、1966年11月に東京地裁で死刑判決が言い渡された。
1968年4月、最高裁の死刑判決で確定する。

土本武司氏への最初の手紙は、地裁判決後の1967年1月1日の年賀状。

最後の手紙は1971年11月8日、執行の前夜である。
11月9日に執行、28歳だった(1944年生まれ)。
長谷川武は二審と三審の弁護人だった小林健治氏にも何通も手紙を出している。
手紙には怨みや怒りは書かれていない。

長谷川武を知る人たちは、大人しく感じがいい、引っ込み思案、話し下手、真面目、腕の良い職人だと語り、可哀相とも言っている。

1969年、土本武司氏は長谷川武の安否を東京拘置所に問い合わせた。
東京拘置所の返事(8月18日)に、こんなことが書かれてある。
「本人は現在健康で反省悔悟の生活を送っており、処遇上格別の問題もなく、職員に対する態度も良好です。日常本人に接している職員は現在の彼の生活態度とあの重大犯罪をむすびつけて考えるのは困難に思えると申しております。毎週一回の宗教々誨にも熱心に出席し、法話に耳を傾けるほか、被害者の命日にはその冥福を祈り読経を願い出ており、精進努力の姿が職員に右のような感を与えているものと思われます」
拘置所職員には、判決文には「更生不可能」とある長谷川武が、どうして強盗殺人を起こしたのかわからない、と感じているのである。

土本武司氏からの安否確認を聞いたのだろう、長谷川武は5通目の手紙(9月1日付)を出している。

「現在、苦しんでないかと言うとそうではないのです。一己の人間として、過去の事事が苦しい。かと言って、ぼくは此の苦しみから逃げようとはしない。何故なら、これらの苦しみも含めて、罪の償いの一部と考えるからです。
ぼくは絶対 立ち直ります。このままでは嫌です。
検事さんに本当のぼくを知って貰う為に、――否、立直ったと言いましょうか、立直ったぼくを知って貰う為に」

しかし、立ち直っても死刑は執行される。
堀川恵子「しかし、「死刑」は受刑者である死刑囚に立ち直ることなど求めてはいない。死刑とは、自ら奪った命に対し自分の死をもって償わせることであり、いわば犯した罪への罰である。反省していようがいまいが、立ち直ろうが開き直ろうが、その先にあるのは等しく「死」のみである。償いが「死」そのものである以上、その前に別の償いを求める必要はない」
立ち直るとか、反省するとか、償うとか、そういったことは死刑囚には求められていないのである。

土本武司氏は1970年7月20日付の手紙(7通目)を読み、恩赦の可能性はないかと上司に相談する。
土本武司「それまで私は自分の人生の中で接してきた家族や親友、あらゆる人の中で、ここまで私の心を揺さぶった人間は一人もいなかった……。(略)
この長谷川という人間を仮に今、社会に戻せば、再び重大な凶悪事件を犯す恐れというのは一点だにないと私は思ったのです」

しかし、死刑を求刑した検事が恩赦の措置を取るというのは筋が通らないと諭されてあきらめる。

死刑を求刑した検事でも恩赦をと考えたぐらいだから、刑務官はさぞかし死刑の執行は嫌だったろうと思う。

コメント (32)
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