三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

堀川恵子『裁かれた命』1

2012年06月19日 | 死刑

名張毒ぶどう酒事件の再審開始決定が取り消されたが、土本武司氏は妥当な決定だというコメントを新聞に寄せている。
私は元最高検察庁検事の土本武司氏はばりばりの死刑大賛成、厳罰化推進論者だと思っていた。
しかし、堀川恵子『裁かれた命』を読むと、隠れ死刑反対派ではないかという気がする。

堀川恵子氏が光市母子殺害事件の死刑判決について意見を求めると、土本武司氏の口から「あれは、ちょっと厳しすぎるんだよね……」という言葉がもれた。
そして、死刑についてこのように語っている。
「死刑っていうのはまさに究極の刑なんです。みんな、死刑とはたくさんある刑罰の中の一つくらいにしか思っていない。私も公に意見を求められたら、まあ、型通りに死刑で当然と見解を述べますけれど。そもそも今の社会で死刑について深い議論を交わすことなんて出来っこないですから。だから私も死刑については突っこんだ議論はしないんですよ」
光市事件の死刑判決は厳しすぎると土本武司氏が思っているとは驚きである。

さらに土本武司氏は死刑に関する議論の底の浅さに不満を述べる。

「悪い事をしたら罰を受ける、人を殺したら命で償うというのは分かりやすいロジックではあるけれど、死刑は法律が認めた、いわば国家による殺人と言ってもいい。目の前で動いている、生きている人間を殺すことなんですから。死刑は本来、究極の選択でなくてはならないんですがね……」
土本武司氏の口から死刑が「国家による殺人」だという言葉が出るとはね。

池田小学校での無差別殺害事件の加害者の執行についても、こんなことを話している。
「あの死刑囚が処刑された後に遺族の方たちのコメントが新聞に載りましたね。多くは早期の死刑執行に不満をうったえていました。それは早期の執行そのものに反対するのではなくて、執行する前に反省させてほしかった、謝ってほしかったというものでした。ご遺族の気持ちはもちろん理解できますが、それでも私はこの種の感情に簡単には同調できないんです。
死刑というのは、命を奪うこと、つまり本来なら神様しかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。それは単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。それほど死刑というのは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」

土本武司氏は司法修習生のときに、死刑を廃止するための方策について論文を書いている。
「だけど検事に任官してから、私の中で死刑に対する考えは百八十度、変わったんです。色んな被疑者を取り調べる中で、世の中には死をもって償わせるしかない罪が存在するのだと思うようになったのです」

そうは言うけれども、土本武司氏が死刑制度に賛成なのは、法律で死刑という刑罰が定められているからであり、法律は守られるべきだという、法律家としての信念からじゃないかと思う。
千葉景子法務大臣が死刑執行の文書にサインしないことに対して、土本武司氏は「サインしないのなら辞職するのが筋である」と新聞社にコメントしている。
「死刑判決が確定しながら法的な特段の事情もないのに執行をやめるというのは、法治国家というは自らを破壊することになる。執行しない死刑制度というものを残しておくのは矛盾です。執行しないなら、もともと死刑制度そのものを廃止しなきゃいけないだろうと思うんです」
たしかに筋は通っている。

しかし、かつて土本武司氏が死刑を求刑した長谷川武について、こう言う。
「一個人、土本武司からすれば、もはや彼(長谷川武)に対して冷たいロープを首にかける必要性はなかったんじゃないかと思いますよ。そんなこと、よくある死刑事件と事件を起こした犯人であって、死刑は手続きの流れの一環に過ぎないじゃないかというふうに冷たく突き放す、わたしには突き放すことがいまだ出来ないんですよ……」

堀川恵子氏は土本武司氏について「ただひとりのか弱い人間にすぎない自分の心に生まれた死刑への疑問をかき消すために、普段の彼はあえて強硬な言葉を並べて死刑を語っている。それは社会から一方的に期待される元検事、そして法学者としての役割を果たそうとしているようにも思えた」と書いている。

コメント (32)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする