宮城先生の講義録にこんな詩が紹介されていた。
山崎まどか(小学6年生)
人間は、生きるために
にわとりも殺さなくちゃいけないし
豚も殺さなくちゃならない。
生きてるっていうことは
ずいぶん迷わくをかけることなんだ。
自分で自分のこと全部できたら
人は一人ぼっちになってしまう。
他人に迷わくをかけるということは
その人とつながりをもつことなんだ。
他人の世話をすることは
その人に愛をもつことなんだ。
生きるっていうことは
たくさんの命とつながりをもつことなんだ。
お乳をやった私に
あたたかいからだを押しつけてきた子牛を
私は思った。
(82年10月)
こりゃすごいと思い、無着成恭『ヘソの詩』に載っているということなので、図書館で借りてきました。『ヘソの詩』は明星学園の小中学生が書いた詩に、無着成恭氏の感想を書いた本。
読んでみると、宮城先生の本には詩の後半しか引用されていないことを発見。
ごはんの時に
六年 山崎まどか
食事のとき
自分のおちゃわんに
自分でごはんを盛ろうとしたら
「だめ!」っていわれた。
あら、どうして? って思った。
自分のことは自分ですると思ってたのに
山岸会のおばさんから
「自分のことは他人にしてもらうんですよ。
人は誰でも
生まれたときだって 死んだときだって
他人からしてもらうんでしょ。
だから
自分のことを自分ではしないの。
そのかわり他人のことをしてあげるの」
そういわれてしまった。
そういえばそうだと思った。
人間は、生きるために
にわとりも殺さなくちゃいけないし
豚も殺さなくちゃならない。
生きてるっていうことは
ずいぶん迷わくをかけることなんだ。
自分で自分のこと全部できたら
人は一人ぼっちになってしまう。
他人に迷わくをかけるということは
その人とつながりをもつことなんだ。
他人の世話をすることは
その人に愛をもつことなんだ。
生きるっていうことは
たくさんの命とつながりをもつことなんだ。
お乳をやった私に
あたたかいからだを押しつけてきた子牛を
私は思った。
山岸会とはヤマギシ会のこと。
明星学園では6年生の修学旅行に三重県にあるヤマギシズム豊里実顕地に行っていて、いくつかの詩はその時の体験を書いたものなのである。
子どもたちは牛や豚のお産を見たり、牛や豚や鶏の糞だしをしたりして、そのことを詩に書いている。
山崎まどかさんの詩もその一つ。
1982年ごろは、ヤマギシ会はまだ問題になっていなかったから、修学旅行に行ったのだとは思うが、びっくりでした。
無着成恭氏はヤマギシ会のおばさんの言葉をこのように記している。
「ね。あなた、生まれてきたとき、自分で生まれてきた? 死んだとき、その死体の始末を自分でできる? ね。自分のことは自分でせよ、なんてウソよ。自分のことであっても、最も重大なことは、みんな他人様からやってもらうのよ。自分でできることなんかおしりをふくことぐらいじゃないの。それだって、恍惚の人になってしまえば、みんな他人からやってもらうのよ。自分のことは他人からやってもらうの。だから他人のことをやってあげないといけないの。わかった?」
いいこと言ってます。
たけど、豊里実顕地への体験旅行がきっかけとなって、ヤマギシ会にはまった人がいるかもしれないし、今からするとちょっとなあと思う。