三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ『錯覚の科学』4

2012年05月03日 | 

○知識の錯覚(自分の知識の限界を自覚せず、見慣れたものについては十分知識を持っていると錯覚する)

「実際以上に自分は知識があると思い込んでいる専門家のほうが、もてはやされる」
自分の知識の限界を知らない人は確信を前面に出すから、まわりの人は本当かと思ってしまう。
テレビのコメンテーターがこれにぴったり当てはまるように思う。

○原因の錯覚(偶然同時に起きた二つのことに因果関係があると思い込む)


『錯覚の科学』を読んで、原因の錯覚が迷信を作るんだと気づいた。
迷信の特徴の一つは、無関係なものをひっつけて、いいとか悪いとか言うことである。

たとえば、友引に葬式をすると続けて誰かが死ぬという迷信。
友引に葬式をすることと人が死ぬことは無関係なのに因果関係があると思うわけだから、原因の錯覚。

原因の錯覚につながる三つの傾向
1、偶然のものにパターンを見いだし、そのパターンで将来を予測すること。
2、二つのものの相互関係を、因果関係と思い込むこと。
3、前後して起きたことに、因果関係があると思い込むこと。

私たちは実際にはないパターンがあると思い込むと、パターンに因果関係を読み取りたがる。
記憶の錯覚がその手助けをして記憶を変形させ、注意の錯覚がパターンに合わないものに気づかせない。
「自分が期待するパターン通りにものごとを見たがる」

陰謀論も「結果から原因を推理しようとする」ということで、原因の錯覚。
疑似科学や超常現象肯定論の多くも原因の錯覚をしている。
脅す宗教は原因の錯覚を利用している。(先祖が迷っているからこうなったんだ、というように)
我々は「無作為なものに意味を求め、偶発的なものに因果関係を求める方向で、ゆがむことが多い。そしてたいてい、自分ではそのゆがみにまったく気づかない」

気をつけないといけないのは、「相関関係と因果関係はちがう」ということ。
関係があるからといって、そこに因果関係があるかどうかはわからない。
たとえば、リウマチの痛みと天候(寒さや雨)は関係ないそうだ。

アメリカでは「蚊の多い地域ほど結核患者が多い」という相関関係がある。
蚊が結核の原因になっているからではなく(因果関係はない)、「暖かい地域ほど蚊が多く、結核の療養所も暖かい地域に多く設置されている」というのが理由。(藻谷浩介『デフレの正体』)

アイスクリームの消費量と水難の割合にも関係がある。
アイスクリームを食べると水難事故が起きるわけではないし、水難のニュースを聞くとアイスクリームを食べたくなるわけでもない。
答えは、暑さが原因。
暑いとアイスクリームを食べたくなるし、泳ぎたくなる、という相関関係はあるが、因果関係はない。

我々は統計や調査結果よりも、知人の実体験(苦労話)を信じがちである。
たとえば、知人から岡崎公彦『がんの特効薬は発見済みだ!』という本を教えてもらったのだが、たま出版の本なので、こりゃダメだと思って読む気をなくした。(7章は「エドガー・ケイシー」の夢予知!)
でも、アマゾンでは星5つのレビューが多い。
その多くは、自分や身近な人に効果があったからというもの。
では、それほど効果があり、安価な特効薬なのに、なぜ広まらないのか。
著者は製薬会社の陰謀だと言ってるそうだ。
仮にガンが治ったとして、その特効薬の効果なのか、別の原因があるのか、一時的によくなっているだけなのか、そこらを検証しないといけない。
私には無関係なものに因果関係があると考える原因の錯覚だと思えるのだけど。

「手っとり早い治療法や、なんにでも効く万能薬を求める消費者の気持ちをくすぐる」
どのガンにも効くというお話に人は弱い。

コメント (26)
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