三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

青木由美子編『オウムを生きて』1

2012年05月19日 | 問題のある考え

青木由美子編『オウムを生きて』は、地下鉄サリン事件後もオウム真理教にとどまり、後に脱会した元信者7人へのインタビュー。

A 1965年生まれ・女性
B 40代・男性(ひかりの輪信者)
C 40代・女性(Bの妻)
D 80代・女性(Cの母)
E 1959年生まれ・男性
F 1968年生まれ・女性(ひかりの輪信者)
G 1989年生まれ・女性(麻原彰晃の四女)

それぞれの話になにやら違和感をおぼえた。

女性の場合、もともと精神的に不安定で、入信後にもっと悪くなっているからかもしれない。
「元オウムということを隠して生活し、トラウマを抱えている人もいます。私の知り合いが心身症になり、精神科の先生に「元オウムなんです」と相談にいったところ、元信者はたくさん来ているとの答えだったと聞きました。修行によって麻原が自分の意識に入り込んでくる幻覚にとらわれ、現実に精神を病んでしまった人もいるのです」
神秘体験のことは後で。

Aはお祭り大好き、お酒大好きだが、性格的にもろいところがあり、楽しいことが終わると悲しさを感じ、不安や孤独で不眠症だった。

1994年、飲み会の帰りに難波駅のホームで、目の前にいた女性に「この電車は、堺筋本町に行きますか?」と尋ねた。
「彼女の笑顔は、とてもさわやかでした」
好印象を受けたので、再び「あのー、さっき電車の方向を尋ねたときのあなたの答え方、すごくさわやかで、気持ちよかったです。電車が来るまで、ちょっとお話ししませんか?」と話しかける。
これ、釈尊の四門出遊の話と似ている。
話がはずみ、「ちょっと飲んでいきませんか」と誘うと、「ヨーガ道場に行こう」と言われ、ついて行ったらオウムの大阪道場だった。

越川真一正悟師の「どんなに君が乱れても、全力でぶつかってきても、僕は君を、全身で支えてあげるよ」という言葉で決めた。
出家したのはなんと地下鉄サリン事件の直後の4月1日。
01年ごろ統合失調症と診断され、05年には結核で入院する。
08年、アーレフの幹部から「あなたをご両親のもとに帰したい。これから教団の解散も考えているし、病気のサマナを介護する人もいないから」と告げられる。
断ると、みんなから無視されるようになり、追われるかたちでオウム真理教を去る。

Cはかわいくて頭のいい子だった。
父親は生長の家の講師、母親は真光。
Cは真光、生長の家、桐山靖雄、高橋佳子、心霊科学などの本を読み、「生長の家が一番いいな」と考えて、高校3年の春休みに錬成会という合宿に参加する。
「宗教がなんで好きかといえば、いろんな悩みに対して「こうすればよくなりますよ」という教えがあり、実際の体験談があるからです」
早稲田大学に進学してからも生長の家で活動した。

「私が10代で宗教を求めた気持ちは、かなり切実で自発的なものでした。
「みんながあたりまえにできることが、わたしはできていない、できていない……」
あたりまえのこととは、みんなと普通に楽しくしゃべること。私にはこれができませんでした。精神病一歩手前まで追い詰められ、人間関係で悩まないようになりたいという思いがありました」

大学の授業で知り合った人がオウム真理教の信者で、話を聞いていると非常に説得力があり、生長の家よりオウム真理教のほうがずっと上のように思えてきたので、オウムの道場に行く。
「オウムの教えはすばらしく、厳しい修行によってさまざまな煩悩を克服していく過程は実践的であり、確かな効果が感じられました」

アーレフがいやではなかったし、麻原彰晃を全否定したくなかったが、Bと一緒にアーレフを脱会して結婚する。


Dは出家した娘のCと会えるというので在家信者になる。


Fは中学校のころから霊のようなものを見たり感じたりするようになった。

「たとえば、夜寝ていると半透明な子どもが空中にいて微笑んでいたり、何かが体に乗って苦しかったり、毎晩のように、金縛りにあったりするようになってしまいました」
心身とも疲れ果て、激しく悩み、心の余裕を失っていった。
高校では成績はトップクラスで、かわいいと言われていたが、極度に緊張し、まわりに合わせ、一生懸命演技していた。
だんだんと相手に合わせることができなくなり、体調不良になる。
心身の切迫感や不安感、孤立感が強くなり、自殺を考えるようになった。

オウム真理教の講演会に行き、入信する。
「これまで奇異に見られて信じてもらえなかった霊のような体験に、理解を示してもらえたこと、自分を理解してもらえたこと、自殺を考えていたほどの問題の理由と、その解決方法を初めて具体的に説明されたと感じ、私は感激しました」

弟子の解脱のために麻原が与える試練をマハームドラーという。
Fはあらゆることをマハームドラーだと受け止めるようになった。
たとえば、衆議院選にオウム真理教が立候補した際の選挙活動で、ゾウの形の帽子をかぶり、サマナ服を着て、通勤者に大声で「麻原彰晃をよろしくお願いします」と言うことも、「恥ずかしさを超えてマハームドラーを成就せよ」という課題だと解釈した。
あるいは、薬物人体実験のため二、三か月ほど毎日、薬物を注射された時も。
「何をされても「マハームドラーの修行」と思い込み、それがつらく過酷であればあるほど「高度な修行」だと自分を納得させてしまう蟻地獄、私は深く深くはまり込んでいました」

そして精神的に不安定になる。
「たとえ理解できなくてもすべてをマハームドラーだととらえ、できる限り麻原に従おうとしたために、私は気づけば支離滅裂な言動をとるようになっていました。笑ったと思えば泣き出したり、すっかり不安定な精神状態になっていたのです」
Fは07年、上祐らとともにアーレフを集団脱会する。

麻原彰晃の四女であるGの話は虐待としか思えない。

男性のBとEはあっさりして、こだわりを持たない人らしい。
「たぶん自分は前世から財産や家族に対するとらわれが、かなり少ないのだと思います」
07年、アーレフを脱会して、ひかりの輪の会員になる。
脱会後、Cと結婚するが肉体関係はない。

Bは子どものころから真理の探究に興味を持っていた。
有機農業で成功し、地方全体の青年団のトップになり、有機農業の生産グループの代表にならないかと誘われる。
ところが、有機農業が一生にわたって真理の探究をする道かという疑念が出てきて、その申し出を断る。

Bは自分自身やオウム真理教、麻原彰晃のことなどを客観視して語っている。
しかし、ひかりの輪の在家信者でいる理由の一つが日月神示だという。
日月神示とは、1897年に岡本天明に神が降りてきていろいろな予言をし、それを岡本天明が自動書記で書き留めたもの。
中矢伸一日月神示を現代向けに書いた本を読み、これは真理だと思い、再び農業をすることになるというんですからね、私には「れれれのれ」です。

Eは幼なじみにオウム真理教の本をもらったのがきっかけ。
妻が両親ともめるということもあり、夫婦で入信、そして出家。
妻とは別々に暮らすことになる。
事件後、逮捕された妻から離婚届が送られてきて、離婚した。
妻と暮らすには下向(在家に戻る)しなければならず、それはお互いのためにならないので離婚を選ぶ。
その後、妻とは連絡を取ることもない。

家族への愛情は煩悩だから解脱の妨げになる。
そりゃそうだけれども、執着がではなくて感情がなくなるという感じ。
執着を離れるとBやEのようになるとしたら、私は凡夫のままがいい。

コメント (38)
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