本村洋氏の記者会見を聞いて疑問に思ったこと。
「主文を聞かれたときの思いは」という質問に、本村洋氏はこのように答えています。
「裁判官の方が、被告人が不合理な弁解を続けているということ言及されて、反省の情が見られないという判断をされたと理解しています。最高裁判所も非常に悩まれた今回の判決だったろうなというふうに思っております。18歳の少年に対して生きるチャンスを与えるべきか、どうすべきかということで、反省の情があれば私は死刑は下らなかったと思っています。しかし残念ながら、被告人には反省の情が見られないということを理由に、今回、死刑が科したということが一番重いと思っております。
今まではことさら被害者の数を基準にですね、被害者の数が3人以上だったら死刑、2人だったら無期というような機械的にされていた判例主義じゃなくて、一つの事件を見て、一つの被告をしっかり見て、反省しているのかどうなのか、社会に出て再犯しないかということをしっかり見極めた上での判決だったということで、(略)一つひとつの事案を見て、被告人を見て、悩まれた判断だったということで、それは非常によかったというふう思っております」
本村洋氏は本当に「反省の情があれば私は死刑は下らなかった」と思っているのでしょうか。
反省の情のあるなしに関係なく、一審、二審は無期懲役の判決でした。
2005年に最高裁が弁護人に弁論を開きたいと連絡した時点で、死刑になることは決まっていたと、今にしてそう思います。
死刑のハードルを下げたい、少年法を改正したい(つまり厳罰化推進)という法務省の意向があって、弁論を行うことにしたのではないでしょうか。
また本村洋氏は、判決は「社会に出て再犯しないか」ということをも見きわめていると言っています。
しかし、今回の判決文に「被告人が犯行時少年であったこと,被害者らの殺害を当初から計画していたものではないこと,被告人には前科がなく,更生の可能性もないとはいえないこと,遺族に対し謝罪文と窃盗被害の弁償金等を送付したことなどの被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,被告人の刑事責任は余りにも重大であり,原判決の死刑の科刑は,当裁判所も是認せざるを得ない」とあります。
更生の可能性があると、判決では言っているのです。
1,犯行時少年であったこと
2,被害者らの殺害を当初から計画していたものではないこと
3,被告人には前科がなく,更生の可能性もないとはいえないこと
4,遺族に対し謝罪文と窃盗被害の弁償金等を送付したこと
本来、この四点は「死刑を回避するに足りる」事情になるはずだと思うのですが。
◇「なぜ死刑」分からず--本庄武・一橋大大学院准教授(刑事法)の話
第1次上告審判決は「死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情が認められない」と高裁に差し戻したが、今回の判決は元少年の「特に酌量すべき事情」の有無がどう検討されたかが具体的に書かれていない。なぜ死刑になるのか分からず、肩すかしの判決だ。また補足意見は「18歳程度の精神的成熟度を判断する客観的基準はない」としたが、実質的に見て成人より精神的成熟度が劣っているかが問題であるから、この点も的外れと言える。(毎日新聞2月20日)
安田好弘氏が講演で、永山則夫第一次上告審判決と光市事件第一次上告審判決を紹介し、その違いを説明しています。
永山則夫事件と光市事件は、どちらも高裁で無期懲役の判決が出ていますが、最高裁で差し戻し、そして差し戻し審で死刑判決になっています。
永山則夫第一次上告審判決
犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない。
光市事件第一次上告審判決
犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択をするほかないものといわなければならない。
ほとんど同じなのですがが、最後がちょっと違います。
この違いが大きいそうです。
永山裁判では「死刑の選択も許されるものといわなければならない」(死刑は例外。死刑を選択しなければならない理由を検察が証明しないといけない)となっていますが、光市事件裁判は「死刑の選択をするほかないものといわなければならない」(原則死刑。死刑を回避する合理的な説明が弁護側に求められる)へと変わっています。
安田好弘氏によると、光市事件第一次上告審の差し戻し判決は裁判員制度が始まる前年であり、クギを刺したんだとのこと。
たしかに、裁判員裁判では死刑判決が続出しています。
安田好弘「私は、日本の死刑存置の最大の勢力は、世論ではなく、検察なんだと思っています。検察が政治性を持って、法務省を完全に動かしてる。彼らは、無答責、つまり政治的に責任を問われない立場にいて、法務省の官僚となって法務省全体を支配していて、強力に死刑存置の政策を遂行している。しかも、彼らに対する指令は、法務大臣ではなく、彼らのトップ、つまり検事総長にあるんですね。これがなくならない限り、検察庁と法務省を完全に分離しない限り、つまり検察官が法務省官僚になるというシステムを壊さない限り、死刑廃止は困難だと思うんです」(「フォーラム90」Vol.115)