三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

光市母子殺害 本村さん会見 1

2012年02月22日 | 死刑

「今回、私たち遺族が求める死刑という判決が下されたことに関しては、遺族としては大変満足しております。ただ決して、うれしいとか喜びとか、そういった感情は一切ありません。厳粛な気持ちで受け止めなければならないというふうに思っております。
事件からずっと死刑を科すということについて考え、悩んできたこの13年間でした。20歳に満たない少年が人を殺めてしまった時に もう一度社会でやり直すチャンスを与えてあげることが社会正義なのか、命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか、どっちが正しいことなのか、とても悩みました。きっとその答えはないんだと思います。絶対的正義など誰も定義できないと思います。
ただ、この日本は法治国家であり、法治という社会契約で成り立っています。そして、この国には死刑という刑罰を存置している国だということを踏まえると、18歳の少年であっても、身勝手な理由で人を殺め、そして反省しなければ死刑が科されると。日本という国はそのくらい人の命について尊厳を持って重く考えているということを示すことが死刑だと思います。(略)
死刑判決というものが下されて、社会正義が、この日本の社会正義が示されたことは大変よかったというふうに思っております。
ただ、これが絶対的な回答ではないと思いますし、この判決を受けて、またいろいろと議論があると思います。死刑を存置すべきだとか、廃止すべきだとか、いろいろな考えが出ると思いますけれど、これをきっかけにこの国が死刑を存置していることを今一度みなさんが考えていただいて、(略)」

本村洋氏の会見を聞いて思ったのは、もしも死刑以外の判決が出たとしても、本村洋氏はその判決を批判することはなかったのではないかということです。
殺人者にやり直す機会を与えるか、死刑にすべきか、どちらが正しいのか、その答えはない、と言われているわけですから。
判決文に「遺族の被害感情はしゅん烈を極めている」とありますが、現在の本村洋氏は違うように思います。

娘さんを殺され、被告の死刑を求めた木下建一氏は加害者の無期懲役が確定した後、このように語っています。
「あいりのことを思うと、『許せない』という気持ちは強い。しかし、人の命を奪う主張をすることは非常に苦しかった」
「人の命を左右するようなことにかかわらなくなり、非常にほっとしている」
本村洋氏は「うれしいとか喜びとか、そういった感情は一切ありません」と語っているのですから、木下建一氏が感じた苦しみを抱いているのではないでしょうか。

記者会見で「この13年間、どのような年月だったか」という質問に、本村洋氏は答えの中で、このように語っています。

「やはり時間というのは最良の相談相手だったと思いました。長い年月の中で私自身も年を重ね、怒りも少しずつ収まり、いろいろなことを冷静に見られるようになってきました」
無期懲役であっても、本村洋氏も木下建一氏のようにほっとしたかもしれないと思ったわけです。

コメント (4)
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