三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『原田実の日本霊能史講座』

2012年02月14日 | 問題のある考え

日本人の宗教観は霊信仰だと思っていたが、『原田実の日本霊能史講座』によると、霊魂観は時代とともに変遷している。
原田実氏によると、霊の概念を四種類に分類することができる。

1,その姿が誰にもまったく見えない霊(得体の知れない恐るべき霊)
たとえば『源氏物語』で、六条御息所が生霊となるが、誰かが見たわけではない。

「日本の古代~中世の霊能者にとって、霊は見るものではなく、鎮めたり使役したりするための存在だった」
たとえば安倍晴明。
原田「この時代の貴族社会の生活は陰陽道なくして成り立ち得ないものだった。呪術的な支配力を有しているわけです。たとえばこれも『宇治拾遺物語』にあるエピソードですが、暦を作る人がいたずらで、はこすべからずという日を暦の中に設けたという話がある」
杉並「はこすべからず?」
原田「大便をしてはいけない日、を暦に入れてしまうんですね。で、暦に従って行動する貴族の女房が青い顔をしているのを見て、人々が笑っていたというふうな話が出てくるわけです」

2,生前に因縁があった人に向けて現れ、その人だけに見える霊

霊に怨みを持たれている人、因縁がある人だけ見えて、他の人には見えない。

3,その姿が誰にでも見える霊
印刷技術の発達によって18世紀以降に広まる。

4,特殊な技術/操作によって見えるようになる霊
写真の普及と心霊写真の登場によって、「肉眼で見えない霊を写す写真機のような目を持った人間=霊能者」という発想が生まれた。

18世紀半ばの印刷技術の発展、出版物の普及以前には「霊能者だけにしか見えない霊」というのはなかった。

原田「古代には、霊という概念はあったとしても、いったん死んでしまった人の霊が個性(姿や人格)を持つとは考えられていなかったと思われるわけです」

「死んでからも生前の個性を持ち越している人間の霊」という概念はなく、霊は「生前の個性から切り離された、得体の知れない恐るべきもの」だった。
原田「どんなに愛した人であっても、死んでしまったら、「個性を失った、得体の知れない怖いもの」になってしまうから、それは生き返ってもらっては困る」
たとえば菅原道真の霊。
原田「生前の個性を持ち越した人格を帯びた幽霊として出てきたのではなくて、火雷天神として現れた。つまり、怨念や妄執だけがこの世に残っているわけです」

ところが、印刷技術の発展、出版物の普及により、おばけや化け物の概念が変わってくる。
原田「印刷物の中で人間の霊が絵に書かれるようになってくると、まず他の化け物と人間の霊(幽霊)との区別が問題になってくるわけです。人間の霊は人間の名残をとどめているはずだから、他の化け物より人間らしいはずだ、というわけです」

化け物と幽霊の区別/分化が進み、幽霊は「生前の個性を持ち越して現れる」ものであり、基本的には「因縁のある人だけでなく誰に対しても現れる」ものであるという認識が広まっていく。
原田「きちんと生前の人としての個性(姿・人格)を保っているものが幽霊で、そうではないものが化け物だということになってくる」

写真の普及も霊魂観を変えることになる。
原田「写真の普及と心霊写真の登場によって、ここに新しい種類の霊が付け加えられるわけです。それはいわば、「特殊な技術/操作によって見えるようになる霊」です」
肉眼では見えないが、カメラによって写される霊、つまり心霊写真である。

原田「この、「特殊な技術/操作によって見えるようになる霊」という概念の延長線上に、「普通の人の肉眼では見えないけれども、それが見えるような、写真と同じような特殊な技術/能力を持った人がいるにちがいない」という発想が出てくるんですよ」
肉眼では見えないものを見る能力を持つ人=霊能者の登場。
それ以前には、「霊能者だけにしか見えない霊」というのはなかった。

さらには、X線という、肉眼では見えないものを透視する光線。
原田「これからなにか未知の光線、未知の透視能力、そういうものがあるはずだという発想が出てくるんですね」
原田「X線のような透視技能を持った人間=透視能力者/超能力者がいるに違いない、という発想につながっていく」

そして念写。
原田「X線のように物を通過し乾板を感光させることができて、しかも人の目には見えない、特殊な光線なり物理現象なりがあるにちがいないという思い込みが強められる」

大蔵貢怪談映画の影響も大きいそうだ。
原田「それによって何が起きるかというと、大衆が、幽霊を具体的なイメージとして見るという経験を積んでしまうわけですね」
原田「たとえば映画に、幽霊が見える人物が登場する。そしてその霊がどういう状況でどのように見えるのか、ということが映画の中で描かれる。するとその認識が、霊というのはそういうふうに見えるものなのかという暗黙の了解として人々の間に定着していくわけです」
映画界で大蔵貢をよく言う人はいないと、何かの本で読んだが、こんなところで貢献しているとは知らなかった。
そして、テレビの普及で霊の視覚化が定着するということです。

コメント (13)
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