三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

土井隆義『人間失格?』2

2012年02月01日 | 厳罰化

土井隆義『人間失格?』によれば、近年は犯罪や犯罪者への嫌悪が厳罰化につながり、そうして犯罪者を社会から排除していこうという意見が強くなっている。
では、厳罰は効果があるのか。

2007年から2008年にかけて行われた小5・中2・高2生を対象にした意識調査によると、
「万引を絶対にやってはいけない」と考えるのは約88%。
「万引を発見されたらどうなると思うか」という設問
・警察に通報されて取り調べを受ける 約78%
・商品を買い取れば済む 約3%
「万引をした少年を店が捕まえたら警察に引き渡すべきである」と答えたのが約81%。

土井隆義氏の「このような人びとに対して、いわゆる厳罰化で臨んだとしても、その威嚇効果は、やはりほとんど期待できないでしょう」という意見はもっともである。

少年の場合、友だち関係に引きずられて犯罪に関わることが多いそうだ。
イヤだと言って仲間はずれにされたくないので。

土井隆義氏は「存在論的な不安」という言葉を使っている。

今の時代、束縛がないので、仕事、趣味、生き方などを自分で自由に選択できる。
しかし、自分で選ばなくてはいけないのは面倒である。

そう言われてみれば、私が大学の時、知人と「制服は楽でよかった。何を着るか考えなくていいから」と話したことがある。

おしゃれとは縁遠い、何とも冴えない話ですが。
本田哲郎神父へのインタビュー「宗教者として社会の現実に向き合うとはどういうことか」にこんなことが書かれてある。
「「世界に一つだけの花」という歌のように、「大きい花、小さい花はあるけれど、あなたはそのままでいいのだ」と言ってくれても、私はもっと大きく咲きたいのに、さまざまな条件で小さくしか咲けない、自己実現ができないのだと言う人に「あなたはそのままでいい」と言ってしまうのは、能力のある人が安心して自分の生活を送っていくための逃げでしかないのではないですか。ただ共生というだけでは何も変わらない」(「現代と親鸞」第21号)
今の冴えない自分のままでいいとは、とてもじゃないけど私も思えなかったもんです。

それはともかく、自分の中に確かなものがないから、自分はこれでいいのかと不安になり、人の評価に左右される。
誘われたら断れないというのはこういう自信のなさがあるのかもしれない。

それで思い出したのが、ある講師の薬物離脱プログラムに関する話です。
講師が、大切なのは「相談する」「断る」ということだ、薬物を使いたくなったとき、誘われたときに、相談する相手がいたり、どうやって断るかを知っているかで大きく違ってくるという話をした。
「相談する」「断る」ということは薬物に限らず、あらゆる場面で必要なことだと思う。

コメント
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