三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

水子供養と間引き

2012年02月18日 | 問題のある考え

『原田実の日本霊能史講座』に、増上寺の住職だった祐天(1637~1718)のこんな話が載っている。

元禄ごろ、江戸の大きな商家の娘に怨霊が憑いた。
商家の主人が下女に手を出して妊娠させ、堕胎薬を飲んで死んだ下女の霊である。
主人が下女に手を出して堕ろした水子が15人いて、水子の霊はみんな主人を恨んでいる。
そこで、祐天は下女だけでなく、堕ろされた子供にも戒名を与えて供養した。

どうもこのことが水子供養の始まりらしい。
原田「ここで重要なのは、胎児に戒名を与えたということ、つまり、そこに人格を見出している。これは前近代の農村社会ではありえない現象なんです」
というのも、江戸時代には子どもを堕したり、生まれてすぐに殺すという間引きが行われていた。
原田「間引きに罪の意識を持ち続けていては暮らしてはいけません。だから、胎児や生まれたばかりの赤子の人格を認めるわけにはいかなかった。
ところが、都会人は自分の子供を労働力としてではなく、庇護する対象としてみる余裕があるわけです。だから、生まれたばかりの赤子や胎児にも人格を見出すことができる」
そこで江戸では水子供養が始まるようになったというわけです。

太田素子『江戸の親子』は土佐藩の下級武士楠瀬大枝の日記を中心として、江戸時代後期の家族について書かれた本。
楠瀬大枝は長女の死(文化2年)の時には葬儀は簡潔にしたが、長男の死(天保5年)では大人と同じ葬礼を行なった。
「四十歳の大枝は五歳で亡くなった長女に葬式を出すことが、未練がましいと思われないかを心配しているが、五十代の大枝は長男と甥の供養を、先祖の供養と同じように年々積み重ねて行く」
ということは、土佐では文化年間以前には子どもの葬儀もしなかったらしい。

この変化は、一つは土佐藩の間引き対策の強化を契機としている。
乳幼児の死亡率は17世紀末に3~4割だったのが、18世紀後半には1割に減り、19世紀に入って少し上昇する。
間引き対策の効果だけではなく、医療の発達ということもあるだろうが。

折口信夫によると、水子や子どもの霊は「其に殆浮かぶことなき無縁霊」である。
だから、水子供養は不成仏霊を祀る日本古来の方法の一つだと思っていたが、どうもそうではなく、江戸中期、地域によっては江戸時代末期から行われるようになったらしい。

ところが、大村英昭『現代社会と宗教』には、「とくに我が国の民俗宗教については、筆者はかねてから、それが〈おかげとたたりのコンプレックス〉から成る、というふうに言い表してきた」とある。
見田宗介が、欧米の「原罪の意識」に対比して「原恩の意識」が重要なポイントであり、「これがアニミズムに由来する〝おかげさま〟の心情である」と示唆しているそうだ。
「今のこの「あるがまま」の日常性を天地の恩と感じる」感覚は、日本人が好む宗教感情である。

しかし、「時折襲いくる災厄(→変事)に際して、なおかつ「天地の恩」を喜んでばかりはいられなかったはずである」
変事の際にはたたりを鎮めることが行われた。
「ユダヤ=キリスト教圏に、愛ないしゆるしと罪ないし裁きの間にモチーフ変更がくり返しあったように、我が国では、〈おかげとたたり〉の間を揺れ動き、「相変わらない」時には前者が、「変事」の折には後者が、交互に噴出してくるといった具合に考えたほうがいい」

堕胎、間引きという汚れ仕事を担ったのは女性であり、女性の地位の低さと無関係ではない。
男たちはケガレを嫌う「〝きれいごと〟の祖先祭祀」を行うが、女たちは「疎外されたワタクシ(個別の霊)に共鳴する、よりシャーマニズムに近い形の宗教に魅かれる」
「この構図は、1973年頃から急に騒がれだした我が国の、いわゆる「水子供養」ブームにまで持ち越されたものだと見て間違いあるまい」
このように大村英昭氏は言っていて、ずうっと昔からたたりを恐れて水子供養をしていた、ということだと思う(たぶん)。


堕胎、間引きしても何もしなかったのか、あるいはひとまとめにして祀っていたのか、それとも個別に供養していたのか。
原田実氏の霊魂論に従うなら、江戸時代中期から後期までは水子の供養はされなかったが、堕胎、間引きの減少とともに水子供養がされるようになったのではないかと思う。
だから、水子のたたりと
は明治以降の話ではないかと、これは思いつきです。

大村英昭『現代社会と宗教』を読んで思いついたのがもう一つあって、それは海への散骨である。
海へ散骨すると、どこに撒いたのか、北緯と東経をきちんと教えられ、遺族は後日その地点を訪れる。
しかし、骨は海流に流されるのだから、撒いた地点にとどまってはいない。
にもかかわらず、遺骨を撒いた場所にこだわるのは、そこに死者がいると思うからだろう。
通常の死に方だと、死者の霊は一定の期間を経たら先祖霊と一体化する。
ところが、いつまでも個別な存在として一定の場所(死んだ場所など)にとどまる霊は、交通事故などの不慮の事故によって死んだ地縛霊である。
これも霊魂観の変化の一例ではないかと考えた次第です。

コメント
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