三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』1

2011年10月19日 | 厳罰化

安部英医師といえば、「薬害エイズ」事件で悪徳医師として叩かれまくった人。
ミドリ十字から金をもらい、加熱製剤の製造が遅れていたミドリ十字の便宜を図るため、加熱製剤の治験の進行をわざと遅らせた。
おまけに、非加熱製剤を使うとエイズに感染することを承知していたのに、非加熱製剤を使うよう指示し、多くの血友病患者にエイズ感染させた。
1988年2月 毎日新聞は、安部英医師が「加熱製剤の開発が遅れていたミドリ十字のために治験を調整し、日本で加熱製剤の使用開始を遅らせ、多勢の血友病患者をエイズに感染させた」と報じた。
櫻井よしこ氏や小林よしのり氏も「安部医師は金で医師の良心を売った」などと酷評している。
私もそう思っていた。

ところが、武藤春光・弘中惇一郎編『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実 誤った責任追及の構図』を読むと、なんと濡れ衣なんですね。
安部英医師がミドリ十字から金銭を受け取ったという事実はなく、何の根拠も示されていない。
安部英医師が製薬会社から資金の提供を受けていたことは事実だそうだ。
しかし、
「資金の使途はすべて血友病治療の研究のための学会の開催費用等に充てられており、安部医師が自分の懐に入れたことなど一度もありません。それどころか、安部医師は、血友病研究のための財団設立のために、多額の自己資金を拠出したほどであります」
また、ミドリ十字は開発が送れていたというのは噂話にすぎない。

1983年7月 エイズ研究班で、帝京大学病院の血友病患者の症例がエイズの疑いありとして議論された。
安部英医師は「エイズに間違いない」と主張するが、他の委員が否定し、エイズ認定は見送られた。
小林よしのり氏は、安部英医師は日本での最初のエイズ患者は同性愛者にしたかったので、血友病患者の事例を隠したと『ゴーマニズム宣言』で書いているが、これも嘘だったようです。

1985年5月~6月 非加熱製剤の投与(これが裁判に)
1985年7月 加熱製剤の製造承認
加熱製剤が販売されるまでは、日本の血友病専門医のほとんどが非加熱製剤を治療に用いていた。
「当時、血友病専門医において、今日分かっているような「非加熱製剤」の注射による「エイズ感染の危険性」を認識していた血友病専門医は、一人もいませんでした」
当時の世界中の血友病専門医は、血液製剤によるエイズ感染の危険性がわからなかったのである。

1996年、菅直人厚生大臣は「1983年当時、厚生省内に、非加熱製剤が危険だという認識があった」と発表した。
しかし、各国政府や国際機関では、非加熱製剤の投与によってエイズが感染することがわかっても、長期間にわたって非加熱製剤の投与を受けてきた血友病患者は、従来どおり非加熱製剤を使用することが推奨された。
「使用を中止すれば激烈な痛みの持続に加えて出血死の危険もあるが、他方で使用するとエイズウイルス感染の危険がありエイズ罹患しての死亡の危険がある」
さあ、どっちを選びますか、という問題である。

加熱製剤が承認されるまでの期間、今までの治療法を継続するというのが一般的な考えだった。
地裁の判決文にはこうある。
「本件当時、血友病につき非加熱製剤によって高い治療効果を挙げることとエイズの予防に万全を期すことは、容易に両立しがたい関係にあった。すなわち、非加熱製剤を使用すれば高い治療効果は得られるが、それにはエイズの危険が伴うことになり、また同製剤の使用を中止すればエイズの危険は避けられるが、血友病の治療には支障を来すという困難な問題が生じていた」
マスコミと世論は後知恵で安部英医師を裁いていたわけである。

安部英医師がいなければ加熱製剤の承認は遅れていたそうだ。
「日本における加熱製剤の承認は、ひとえに治験に際しての安部医師の力量による」
衝撃の事実でした。

コメント (3)
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