三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

放射能と誤作動と「被害者のイス」の三題噺

2011年10月05日 | 日記

陸前高田市の松で作った薪を京都五山送り火で燃やす計画の中止、風評被害で苦しむ福島県の農家らを支援しようと福岡市で予定されていた「ふくしま応援ショップ」の中止、愛知県日進市の花火大会で福島県川俣町の花火打ち上げの中止、いずれも抗議の電話やメールがあったからだという。
京都では抗議電話が少なくとも40件、福岡は抗議メールが10数件、日進市はメールが20件以上、成田山新勝寺で陸前高田の松の一部を使った「柴灯大護摩供」では、中止を求める電話などが100件以上。

それにしても、「福島からトラックが福岡に来るだけでも放射性物質を拡散する」といったメールや電話をする人はどういう人なのか気になる。
心配性の人もいるだろうが、おそらく文句を言うのが好きな人なのだろうと思う。
行政だったら安心して文句を言えるし。
でも、どうして「福島のトラック」→「放射能」→「危険」→「抗議」という発想になるのか不思議である。

べてるの家では「誤作動」という言葉があり、ひょっとしたらこれかなと思った。
たとえば、昔の嫌なこと、失敗したこと、恥ずかしかったことをふっと思い出し、それで「みんなから嫌われている」とか「誰にも相手にされていない」と思い込み、妄想がどんどこどんと突っ走る。
そうやって自分を責め、「自分はダメ人間」だと思い詰めて(これも自己責任ですね)動きが取れなくなるのとは逆に、爆発系のように他者を攻撃する誤作動もある。
誤作動が内に向かえば自己否定するし、外に向かえばクレーマーとなるんじゃなかろうか。
放射能云々で電話やメールでわざわざ抗議する人も似たようなものじゃないかと考えたわけです。

そういう人は被害者意識が強いのだと思う。
物事がうまくいかないとき、気に入らないことがあると、自分が悪いからと自分の責任にしてたらしんどくなる。
それよりも、自分はいつも人から迫害されているんだと、人のせいにしたほうが楽である。
そうして、被害者である自分が反撃してどうして悪いとなって抗議する。
本人としては、当然のことをしていると思っているんじゃなかろうか。

そういえば、大阪ダルクのK氏の「薬物をやめたいのなら、まずあなたが被害者のイスから立ち上がりなさい。被害者であると思い続け、言い続けているかぎり、薬物をやめることはできません。自分のイスを探しなさい」という言葉を聞いた。
なるほどねえ、と感心しました。
抗議のメールや電話をしたのは「被害者のイス」に座っている人ではないか。

何かうまくいかないことはすべて人のせいにして文句をつけては責め立てる。
そういうことをしていたら誰からも相手にされなくなる。
それでますます被害者意識が強まり、ますますまわりの人を攻撃するという悪循環。
以上、いつものこじつけです。

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