三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

児童養護施設について

2011年10月12日 | 日記

ブルース・D・ペリー『犬として育てられた少年』の解説で杉山登志郎氏は、虐待先進国アメリカよりも「わが国はもっと深刻」だと書いている。
「子どもが保護されても行く場所がない状況に陥っている」
「さらにわが国における社会的養護が破綻していることはご存じだろうか」

「ロシア、そしてわが日本を例外として、乳児院はいわゆる先進国では既に消失している。健全な人としての成長に、人生早期の乳児院でのケアが大きな弊害をもたらすことは、はるか以前に科学的に証明されているからである。さらにわが国は、社会的養護の大多数が大舎制(沢山の子どもが一緒に大部屋で暮らす)の児童養護施設によって担われている唯一の先進国である。児童養護施設は昭和二四年から変更がない。子ども六人に対して職員一人という極端な人手不足の中で運営されている」

「様々なトラウマを抱えた三歳から一八歳の児童が大集合し、個人への配慮も大人による十全な世話も不可能な状態で暮らしているのだから、「悪いモデル」のみが提供され、健全な育ちの不全はおろか、再虐待が起きないはずがない。実際、児童間の暴力、児童間の性的虐待の連鎖が、今やどの施設にも存在する。しかもこのような危機的な状況が、限られた職種の人間以外にはまったく知られていない」
「お隣の韓国ですら、大舎制児童養護施設は2012年までにすべて廃止になることが決まった」
知らんかった。

某氏にいただいた「BOX―916」に、ある人がこんなことを書いている。
この人は継母との折り合いが悪く、昭和44年の夏、小学校4年から中学を卒業するまでの6年間、養護施設で生活することになった。
「当時、わが国でもっとも規模が大きかった男子児童だけの養護施設に兄弟で収容されました。小学校、中学校も併設されており、まったく学園の外へ出る必要はありません。
広大な敷地は、高い塀と金網で取り囲まれていました。広い農場もあり、まさに自己完結型の施設でした。
その養護施設は、カトリックの男子修道会が経営にあたっていました。
運用は規則がベースとなっていました。
祈りと沈黙。あたかも修道院そのもののような厳格な雰囲気でした。
食堂へは子ども達が二列縦隊で移動。入浴はシャワーで水曜と土曜の15分ずつの二回。外部からの手紙はすべて園長が検閲。
外出は、月1度の面会、または全員での買い物のみ。経験はありませんが、まるで捕虜収容所、または少年刑務所のイメージに近かったかも知れません。
園生の間では、学園から逃げる事を「逃亡」そして外部のことを「世間」と言っていました。
園内では、児童指導員である修道士、神学生(神父のたまご)から、しつけと称した凄まじい暴力の洗礼を受けました。
これが当時、心に深い傷を負って入所してきた、家庭に居場所が無い子ども達に対する処遇の実態でした。
男子修道会のため男色の被害者は小学生に集中しました」

養護施設で育った人
(30代)から聞いた話。
テレビで体罰の特集をしていて、「えっ、これって普通じゃん」と、みんな驚いたという。
その養護施設では当たり前のように体罰が行われていたわけだ。
林眞須美『死刑判決は『シルエット・ロマンス』を聴きながら』にも、児童養護施設に入った林眞須美死刑囚の子どもたちがイジメなどを受けたことが書かれてあった。

579ヵ所の児童養護施設には約3万人の子どもたちが生活している。
09年調査によると、一つの生活棟で20人以上が暮らす施設が6割。
小学生以上の10人が相部屋という施設もあるそうだ。
毎日新聞にこんな記事があった。
厚生労働省は、児童養護施設の現行の「小学生以上の子供6人に対し職員1人」の職員配置基準を、「4人前後に1人」とする目標値を打ち出す。また、現状で9対1となっている施設と里親など養育家庭の生活割合を十数年後に、施設、グループホーム、里親など養育家庭で同比率とする全体目標も掲げる。
(毎日新聞6月29日)

行き場のない子どもたちの世話をしている人の話を聞くと、今の日本の話なのかと驚くことばしばしば。
人手が足りないし、お金はないしで、なんとかならんのかと思う。

コメント (7)
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