三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』3

2011年10月25日 | 厳罰化

2001年、東京地裁は「薬害エイズ」事件の被告である安部英医師に無罪の判決を言い渡した。
翌日の新聞の見出し。
「どよめく傍聴席 『まさか』天仰ぐ母」(毎日新聞)
「『論理のすり替え』追認 市民感覚から離れた司法」(毎日新聞)
「『医の聖域』踏み込めず」(読売新聞)
「『無罪になるとは』厚労省幹部も複雑」(読売新聞)
「安部被告の責任変わりない」(読売新聞)
「命の代価 だれが……」(朝日新聞)
「『それでも罪の自覚を』30代の息子を亡くした母」(朝日新聞)

それまでマスメディアは、
「安部医師が血友病治療医の中で圧倒的な権力を有していて、他の医師にも、危険な非加熱製剤の投与継続をさせたというように宣伝した」し、「非加熱製剤の投与によるエイズ感染の危険性の認識が持たれるようになったのはずっと後のことであったのに、当時も、非加熱製剤の投与によるエイズ感染の危険性の認識があったのだという決めつけ」報道をしていたと、『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』は書いている。
今までホロカスに叩いていたのが、無罪判決が出たとたんに「冤罪だ」と検察を攻撃することはさすがにできなかったのだろう。

『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』にこうある。
「マスメディアはなぜここまで動揺し、感情的になったのでしょうか。それは、マスメディアが「エイズ問題の諸悪の根源は安部医師である」という間違ったメッセージを送り続け、その結果、血液製剤によるエイズ感染の原因と責任についてきちんと取り組むべき患者のエネルギーを「個人安部医師への憎悪」に置き換えてしまったからでした。諸悪の根源が安部医師であり、日本の検察が安部医師の訴追に全力を尽くしてくれた以上、安部医師への厳しい有罪判決が下されなければ収まらないのは当然のことです。ところが、安部医師に対して完全無罪の判決が下されてしまったのです。患者が「まさか」と思ったのは当然のことでした。
このままでは、市民の輿論が患者へ間違ったメッセージを送り続けたメディアへ攻撃の矛先を向けることが必至でした。そこでそれを逃れるために、メディアは、判決文を冷静に読むという当たり前の手順さえも踏まずに、また「公正」というメディアの基本的立場さえかなぐり捨てて、このような感情的な対応をしたのです」

無罪判決が出たのなら、きちんと検証し、それまでの報道に過ちがあれば、素直に認めなければいけないはずだが、そんなことをマスメディアはしない。
たとえば、検察が不起訴にしたにもかかわらずマスメディアは小沢一郎氏を非難しつづけていることを、カレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか?』は問題にする。
マスコミと司法が一体となった魔女狩りである。

「ジャーナリストの中には、ただ目立ちたいということだけからと思いますが、十分な取材をしないで証拠も確かめないまま、検察官ですら主張することを控えた殺人罪を安部医師にかぶせようとして躍起になり、安部医師がどれだけの金を貰って医師の魂を売渡したのか、というような極めて失礼な主張を繰り返している者がおります。そして、このようなやりかたに同調する新聞や週刊誌もありました」
その一人である櫻井よしこ氏の安部医師に対するインタビューは、
「実際のやりとりの重要な部分を省略したり、ないものをつけ足したりしたものであって、インタビューのねつ造と言って過言ではないものでした」
『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』付録のCDには、櫻井よしこ氏の「ねつ造」について詳しく書かれた論文が収録されている。

「メディアがインタビューを行うのは、そこで獲得した映像や言葉の一部分を、報道したいストーリーのパーツとして用いるために過ぎないのですが、被取材者に対しては、このことをごまかすことが少なくありません」
30分インタビューしても、実際にテレビで使うのは15秒ぐらい、おまけに都合よく編集するんですからね。
NHKやTBSについても具体的に批判しているが、省略。

そもそも、血液製剤によるエイズウイルス感染は世界中で同時に起こっているが、血友病の臨床医がこの問題で刑事責任を問われた国は日本以外にないそうだ。
「仮に、メディアがこの事実を報道していれば、安部医師攻撃などできるはずもありませんでした。しかし、わが国のメディアは意図的にこのことを隠蔽しました。弁護人の1人が、S新聞のO記者に、「なぜ、メディアはこのような海外の状況を報道しないのか?」と尋ねたことがありました。O記者はこう答えました。「先生のおっしゃるとおりで、そのことはわかっています。しかし、現在は、そのようなことを書くわけにはいかないのです」と」
現場の記者が、これはおかしいとか、やりすぎだと思っても、デスクが書き換えてしまうというから、あり得る話ではあります。

たしかに、あのころ安部英医師をちょっとでも擁護するような報道をすると、世論から攻撃されることは間違いなかったと思う。
ということは、受け手である我々にも問題があるわけである。
「大衆としては、このような惨劇を作り出した極悪人たる個人が存在して、その個人を攻撃することが解決につながるという筋書きは誠に受け入れやすいものでした。その場合、「白い巨塔」の中心に居座っている権威者のようなタイプがその極悪人にぴったりだったのです」
悪の権化みたいなステレオタイプが好きですから、それにぴったりだったわけです。

コメント
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