三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

暁烏敏と女性と天皇と 2

2011年04月29日 | 仏教

暁烏敏は女性関係もさることながら、戦争協力も相当のものである。
「天地の果てにひびけと高声に念仏称へて戦勝を祈る」
「奇しきかな我が身のうちに血の湧きて大君の辺に死なむとぞ思ふ」
こんな歌を作って、それゆけドンドンと若者を戦場に送り出した。

折原脩三は『もう一つの親鸞』で、暁烏敏の「戦争に対する態度」と「終戦時の変わり身の素速さ」を論じる。
「「大和魂」などといういかがわしいものと親鸞と合体させたのが、いまわたしの問うている暁烏敏なのである」

そして暁烏敏の文章を紹介している。
「大和魂と私たちがいうてゐながら、その本義を明らかにしてゐませんだので、それを知りたいために目下『古事記』や『日本書紀』の神代の巻の研究に心を向けてをります。(中略)日本に生れながら、今日まで二書を研究しなかつたといふことも、確かに我が成仏の欠陥であつた。日本に生れた私が成仏する道には、先づ第一に日本の祖先である神々の生活に触れ、それによつて、日本民族の精神の中枢に融け込み、それから日本歴史を自分の精神の背景とし内容として、此処に始めて我が成仏道が成就することを考へるやふになつた」
折原脩三は「笑止である。実に次元が低い」と一刀両断。

石和鷹『地獄は一定すみかぞかし』には『正像末和讃講話』(昭和15年11月)から次の文章が引用されている。
「正定聚の菩薩になるにはどうすればよいか。信心一つである。南無阿弥陀仏のおこゝろを信ずる一つである。丁度、三国同盟が成った時の詔勅の「万邦各々そのところを得しめ、兆民その堵に安んぜしむ」、という精神と同じであります。どうして民の心を安んぜしめることが出来るか。国体を明徴にすることである。日本の国体を明らかにすることである。国体を明らかにするということは、言葉を返せば、信心ということであります。国体が信ぜられるということであります。八紘一宇と言われた天壌無窮の国体が明らかになることである。そうすれば、皆がその土に安んずるのであります」
成仏と日本民族の精神、信心と国体がどう関係あるのかと突っ込むことすら恥ずかしくなるお説教ではあります。

あるいは次の話。
「大御心に従うて手を引かれて行く。それが定聚であります。人間は、そこにはっきり落ち着かにゃ助からんのです」
「一億の民の手を引き連れて、天皇陛下の御前に平伏し、腹ふくれて、有難い思いの中に御恩報謝の行をさして貰う。そして或いは満州、或いはインド等、世界中の人達をその土に安んずるように導く。ここに日本の国体明徴は、同時に世界の新秩序を建設せしめることになる」
天皇=阿弥陀如来ということになりますか。

こうした暁烏敏の天皇賛美は折原脩三にとって許し難いと思う。
というのも、折原脩三は「(天皇と日本とを)「知」としては分離していながら、「情念」としては分離させないでいる。それが「天皇がいれば安心だ」という安心の構造なのだ。が、これは安心の構造ではあっても、絶対に健康体とはいえない。非常に「不健康」である」ときついことを書いているのだから。

もっとも、折原脩三は「わたしは戦時中の暁烏には左程抵抗は感じない。「嘘」はなかったと思う」と言う。
たしかに嘘はないだろうけど、明らかにやりすぎである。

「真宗教学懇談会記録」(昭和16年2月)からご紹介。
柏原祐義と暁烏敏とのやりとり。
柏原「天皇の御稜威に乗托することが弥陀仏の本願と如何なる関係にあるのか」
暁烏「天皇の本願と阿弥陀仏の本願と同様であると思ふ。対立せば問題となる」

大須賀秀道と暁烏敏とのやりとり。
大須賀「一元か、どちらが上か、天皇即弥陀か」
暁烏「天皇なり、平面的に天皇即弥陀ではない」
大須賀「然らばどちらが奥の院か」
暁烏「天皇が奥の院である。弥陀がその前にある」

河野法雲と暁烏敏とのやりとり。
河野「天照大神の神国は、暁烏さん完全な御浄土と云はれたが西方の浄土との関係はどうで御座いますか?」
暁烏「西方浄土は大経に説かれてあり、釈迦の理想の天地で凡情では知られぬ世界なり、仏国は唯一真宗の世界でそれを分りやすく西方浄土と云うたのである。私は神典を遅ればせながら見ると日本国は立派な理想で出来たものと思ふ。それが全て仏の本願のあらはれと頂ける。釈迦の理想の国が日本で説かれてゐる」
河野「日本の理想の国と釈迦の理想の国と同じなりや又異りや」
暁烏「同じなり」
河野「天照大神が素戔嗚尊との喧嘩をしたのはそれは穢土か浄土か」
暁烏「浄土建立の修行です」
河野「ハイそうですか、伺つておきます。(唖然たり)」
「唖然」というところが笑わせます。
この座談会を記録した人も唖然としたんでしょう。

もっとも他の人たち(曽我量深、金子大栄などなど)も似たり寄ったりだからどうしようもないけれども。
金子「神ながらの道が超国家的のものを内に持つてゐる。従つて仏の御国が神の御国となることは間違ひない。祖先の国は浄土であり、浄土の聖典は国民の聖典である。浄土の念仏がそのまま神の国への奉仕である。今更ら真宗の日本精神を考へる必要はない。本来の精神を誤解して来てゐるのである。それを私するからである。私は喜んで日本の土になります。(涕泣しばし止まず)念仏往生のほかはありません。拝仏毀釈の行はれたと云ふことは行うた方が罪があるのか、行はれた方に罪があるのかを考へる必要がある。吾々にそれ以来六十年の反省の余地が与へられてゐる。私には極めて簡単な問題がこんなに複雑になつてゐると云ふことが遺憾である。念仏奉公してゐるものが一番邪魔者にされてゐた。(感泣することしばし、暁烏師亦机にうつ伏して泣く)
すごいなと思う。
「涕泣しばし止まず」とか「机にうつ伏して泣く」とか、どういう雰囲気だったのか、立ち会ってみたかったです。

もう一つ。
金子「ここに一個の問題がある。それは戦争に勝たねばならぬと云ふことである。その為にはケツトバサレルかも知れない。勝たんが為に必要ならば王法もあり仏法もある。互ひに信じ合つて、自分自身のことを皆やることが必要である」
曽我「みな解つてゐる、解つてゐる。いふ必要はない」

何が「解つてゐる」のかよくわからないが、鈴木邦男『右翼の掟 公安警察の真実』によれば、右翼はなぜ左翼のように足の引っ張り合いにならないかというと、
「天皇万歳で一つになれる」からだそうです。

真宗教学懇談会でもそうだったようで、最後はこのようにして終わっている。
円山「この会を閉づるに当り、皆さんと共に皇国の繁栄を念じ度い。竹中さんの発声で万歳三唱をお願ひします」
竹中参務 一同「万歳。万歳。万歳。(一同拍手)」

まあ、こうした発言も、当時の状況からすると一方的に非難はできないとは思う。
ところが、敗戦の翌年にはこんなことを暁烏敏は言っている。
「過去を反省すればただ懺悔があるばかりである。然し久しく懺悔に止っているのは愚痴だ。懺悔は懺悔として罪悪と共に水に流して勇ましく東天紅に向って発足すべきだ」
(『同帰』昭和21年6月)
暁烏敏の口舌に乗せられて多くの人が戦死しただろうに、「水に流して」なんてよく言えるもんだと思う。
「時代とともに変転する暁烏の思想遍歴」はまさに「アクロバット的変身」である。

折原脩三はこのように批判する。
「わたしの問いたいのは〝懺悔〟ということである。元皇族首相の東久邇のいった「国民総懺悔」などというスリカエではなくて、宗教家としての本当の懺悔である。沈黙する懺悔である。懺悔のない証拠はいくらでもあげられる。たえずしゃべっているのが、その証拠だ」

しかし、折原脩三や石和鷹が暁烏敏にこだわるのは、暁烏敏を憎みきれないものがあるからだと思う。
「たしかに矛盾の多い生涯であった。濃密なまでに人を愛し国を愛した。そして人に愛された人だ。念仏のきこえてくる生涯である」と、折原脩三は暁烏敏論をしめくくる。
蓮如もこんな人だったのかもしれない。
それにしても、弟子の名前に「暁」の字をつけるのはちょっとなと思う。

コメント (2)
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