三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

増田美智子『福田君を殺して何になる』

2010年02月08日 | 

増田美智子『福田君を殺して何になる』は光市事件の被告や関係者に取材した本。
被告の名前を実名にした理由を増田美智子氏はこう説明する。
「私が実名を書く理由は、匿名報道が彼の人格を理解することを妨げていると思うからだ。名前や顔写真が出ないことで、ひとりの人間とは違う、いわばモンスターのようなイメージがふくらみ、それが死刑を望む世論を形成しているのではないか」
そりゃないなと思う。
実名にしたらイメージが変わるわけではない。
ネットで被告を実名で書いている人たちは「あんな奴、さっさと死刑にしろ」という人ばかりだから。
大久保清や宅間守という実名がモンスターのようなイメージになっている。
実名を題名に入れることによって話題になり、本が売れたらいいなという発想だと思う。

増田美智子氏「正直なところ、私は「実名を売り物にしている」という批判の意味がよくわからないんです。本文で実名を書くのはOKだけど、タイトルにするのはけしからん、というのは筋が通らないし、タイトルに実名を入れたからと言って、どうしてそれが「売り物」になっちゃうんでしょうか」と語っているが、本文だろうとタイトルだろうと同じことである。

たぶん増田美智子氏は被告と面会し、マスコミを通して作られた残忍、凶悪、狡猾、図太い、知能犯といったイメージとはまるっきり違う被告、幼く、愛情を求め、罪を悔い、時には剽軽なことを言う被告にショックを受け、被告の実像はこうなんだと一人でも多くの人に伝いえたいという気持ちからこの本を書いたのだろうと思う。
被告の幼児性ということが認められれば、甘えたくて抱きついたという被告の主張にも納得できるし、ドラえもんが何とかしてくれるということにも違和感を感じなくなる。
そこまで増田美智子氏が考えているかどうかは本を読んだ限りではわからないが、そういう理屈になる。
しかし、ネットの反応を見る限り、被告の幼さは認めても、被告を好意的に感じるようになった人はあまりないように思うし、まして被告の主張はひょっとしたら正しいのかもと思った人もほとんどいないのではないか。

それと、この本を読んで感じるのは、取材に応じてくれない人、被告の父親や被告の弁護人たちにやたら厳しい。
被告の父親や弁護人にアポなし取材をし、突然の電話でのやりとりをそのまま文章化して本に載せている。
ちゃんと承諾を得ているのだろうか。
そんなものを本に載せられたら誰だって気を悪くする。
なのに取材に応じない相手を非難する。
そこらはすごく自分勝手だと感じた。
被告の死刑回避を願うのなら、弁護団への非難はほどほどにすべきではないかと思う。

私がこの本を読もうと思ったのは、「不謹慎な手紙」の相手であるA君へのインタビューが載っているからである。
「不謹慎な手紙」の中には反省の言葉がつづられているし、二人のやりとりの多くはテレビゲームやマンガ、家族のことや下ネタなど他愛もない話題だそうだ。
ところが、この「不謹慎な手紙」の不謹慎な部分だけをマスコミによって何度も取り上げられ、被告は世間から罵倒され、その結果として死刑判決が出たと言ってもいい。

A君が被告と知り合ったのは山口刑務所の拘置監である。
窓越しに会話をして名前を教えてもらい、A君が手紙を出したことから文通が始まる。
ところがA君は手紙を検察に提出する。
なぜか。
「出所してしばらく経ったころ、自宅に僕が起こした傷害事件の担当刑事と、光市母子殺害事件を担当する刑事が訪ねてきました。『最近どうだ』『ちゃんと仕事しているのか』というひととおりの挨拶が終わったところで、本題が切り出されました。『ところでお前、光市の事件の犯人と文通しとるのう。検察側から要望がきとる。1点の真実でいいから、判断材料がほしい。本当に公正な裁判が行なわれるために、出してくれ』と。
刑事は『犯人を死刑にするために』なんて言いません。僕は子どものことから警察と折衝してきましたから、警察のもの言いはだいたいわかっています。『建前だな』と思いました。刑事たちは福田君からの手紙を絶対に持って帰るという感じでした。僕は当時、まだ執行猶予中で、断ればどんな微罪をふっかけられて逮捕されるかわからない。逮捕されれば執行猶予は取り消され、刑務所送りです。断れませんでした」

脅されて手紙を提出したものの、それが被告にとって不利な証拠になるとは予想していなかったという。

では、「週刊新潮」に手紙を売ったのはなぜか。
「『週刊新潮』の取材に応じた当時、僕はいちばんの親友を交通事故で亡くしたばかりでした。事故のとき、親友と僕は同じクルマに乗っていました。そういう状況に遭遇して、精神的にかなり不安定になり、『なんの罪もないオレの親友が死んで、なぜ福田君は生きているのか。2人も殺しているのに。こんなヤツはもうマスコミに売っちまえ』と思ったんです」

検察に手紙を提出したあとのA君の手紙は事件に関する記述がエスカレートする。
「A君自身が福田君から不利になる言質をとるために福田君をあおりたて、返ってきた手紙を嬉々として検察に提出していたのではないかとも思えるほどだ」と増田美智子氏は言う。
それに対してA君は「決してあおりたてたつもりはありません。僕が手紙に書く内容を、警察や検察に指示されたわけでもありません」と答えているが、増田美智子氏はこの答えに納得ができない。
そんなふうに友人を試すものだろうか、被告は他人の影響を受けやすい、他人に媚びるところがある、と考える。
それで、「Aさんが、無意識のうちに検察が求めているような手紙を書いてしまったことはありませんか? 何度も同じ検察官に会うわけですから、親近感もわいてくるでしょうし、検察官の言外の意図をくみ取るということもありそうに思うのですが、いかがでしょうか」と手紙を書くが、返事は返ってこなかった。
怪しいなと思う。

今枝仁弁護士が『福田君を殺して何になる』の解説を書いている。
その中で、最高裁が差し戻し審理を求めた意味を考えるべきであると今枝仁弁護士は言う。
「(最高裁の差し戻し判決は)重罰化の流れとひとくくりにはできない。最高裁は「事件後の事情」を重視して判断しており、特殊な事案と見るべきだ」
「事件後の事情」とは、
①「不謹慎な手紙」に代表されるF君の反省や謝罪の姿勢の欠如
②被害者遺族の本村洋さんが峻烈な処罰感情を訴え続けたこと
が挙げられる。
「F君の現在の言葉から反省や謝罪の度合いをはかり、それを聞いた本村さんら遺族言葉から処罰感情の変化を見る、という展開を最高裁は想定していたと思う」
ところが、差し戻し控訴審で弁護団は被告の強姦目的や殺意を否認することに全力をあげた。
「つまり、F君の言葉や態度しだいで、死刑回避はありえたということだ」
被告がいくら反省し、謝罪しても、最高裁が差し戻しした時点で死刑回避なんてことがあり得ないこと素人の私でもわかる。
増田美智子氏も「マスコミも世論も、福田君に「真の反省」を求める。しかし、「真の反省」とはいったい何なのか。福田君に、人間的な感情を持つことを許さず、ひたすら謝罪の言葉を述べさせることだとしたら、それはだいぶ違うと思う」と書いている。
どういう反省をすれば死刑が回避されたと今枝仁弁護士は思っているのだろうか。

コメント (2)
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