三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

自己愛パーソナリティ障害

2010年02月14日 | 

何ヵ月か前の「週刊文春」に載っていた中村うさぎ「さすらいの女王」にこんなことが書いてあった。
「幼少の頃よりキリスト教的世界観のもとで育った女王様は、「嘘」や「ごまかし」や「偽善」を憎むべきものとして教えられてきた。おかげで今でも女王様は嘘や隠し事が苦手だし、他者のそれも激しく憎む傾向にある。
いや、ホント、他人に対して心の狭い女なんだよ。こんな自分が嫌になるけど、骨の髄まで「断罪」癖が染み付いてて、まるで中世の魔女審問官みたいだと、我ながら思う。
そう。潔癖すぎる倫理観は「独善」や「断罪」といった傲慢の罪を犯しがちなのである。だからこそキリスト教は、他方で「愛」や「赦し」や「奉仕」といった利他的精神を強調するのであるが、これもまた前回申し上げたように、他者を弱者とみなす「差別意識」や「偽善」を背後に抱えており、要するにどっちに転んでも傲慢の罪からは逃れられないのであった」

「ついつい他人の嘘や欺瞞を糾弾してしまっては「この独善者!」と心の声に罵られ、珍しく人に優しくすれば「偽善者めが!」という内部告発の声に鞭打たれて、たびたび進退窮まってしまうのである」

いやはや、独善、偽善、傲慢、そうそう、わかるわかる、です。
私は人をほめるよりも、アラ探しをしてはけなすほうが好きである。
もっとも、筒井康隆が細川元『戦後日本をダメにした学者・文化人』の書評に「悪口は面白い。なぜこんなに面白いのだろう。四ページで一人、計六十七人の学者・文化人をやっつけているが、いずれも麻薬的に面白い。読み出すとやめられぬ」と書いているように、断罪や悪口好きは私だけではないのだ。

人をけなす時は自分のことは棚に上げているわけだが、結局のところ自惚れと嫉妬だと思う。
「真宗」に西田真因先生の話が載っていて、その中でこんなことを話されている。
「自分だけが正しく尊い、自分以外はみな馬鹿と他者を見下す全能感をもった誇大自己、そういう青少年が増えていると精神医学や精神療法にたずさわる先生方が言われています。これはフロイトによれば、赤ん坊のままで身体だけ大人になっているということです」
世界で自分が一番えらいと思って他人を見下す人間は結構いるもので、鼻にかける材料がなくてもかまわない。
森岡利行『女の子ものがたり』という映画で、「知り合いにヤクザがいることを自慢する男」というようなセリフがあり、笑ってしまった。
でもまあ、そういう悪口や自慢話で酒席が盛り上がったりしますからね、聞いてるほうも似たり寄ったりなわけです。

で、西田真因先生が紹介していた岡田尊司『誇大自己症候群』速水敏彦『他人を見下す若者たち』を読む。
両氏の論は精神分析家コフートの自己愛障害に基づいているようなので、まずはこれから。

和田秀樹『〈自己愛〉と〈依存〉の精神分析 コフート心理学入門』には、
「自己愛とは、要するに自分がかわいい、自分を大事にしたいという心理全般のことです」とある。
「自己愛を傷つけられると、人間は激しい怒りの感情や攻撃性をもつ」
つまりは自己中心的ということだが、コフートはそれがいけないことだとは言わない。
「人間には多かれ少なかれジコチュー的なところがあり、それを認めてあげていいんだというところがコフートの人間観のおもしろいところだと私は思っています」

自己愛も程度が過ぎると問題で、それが自己愛パーソナリティ障害である。
1 他人に厳しい、他人の気持ちがわからない(共感の欠如)
2 ほめられたり評価されないと、怒ったりスネったりする(賞賛欲求の異常な強さ)
3 自分がものすごく偉いと思っている(誇大性)
「この三つがそろった場合は、精神医学の世界では病的だと考えるのです」(和田秀樹『今日から「イライラ」がなくなる本』)
この三つがそろうと自己愛が病的ということになるそうだ。

バランスのとれた自己愛とは、人からほめられる、評価されるということがポイントらしい。
成長の過程で周囲の反応がよくないと、「自分だけが偉いと思ったり周りのだれにも相手にされないような人間に育っていき、非常にいびつな形で自己イメージだけを肥大させるというようなことになる」
「何か立派なことをしたつもりでも、人にほめてもらえなければ自分で自分のことを天才だと信じ込むしかなく、尊大な行動を取ったり、逆にがっくりと力を失い、まったく自分に自信がなくなってしまうということになってしまう可能性もあります」

共感の欠如ということだが、共感能力が乏しくて人の心が読めない人がいる。

「なぜ人の心が読めないかというと、最近の精神分析の理論では、他人に主観があることがわかっていないからだと考えられています。つまり、一方的にしゃべりまくるだけで相手が何を思っているか考えておらず、相手がこちらのしゃべりの受け手であり、こちらの憎しみなり愛情の対象であるとしか見ていないのです」
「自分だけが一方的に愛してもらいたいというのも、さすがに人間関係の中では未成熟な自己愛といわれてもしょうがない」

この自己愛パーソナリティ障害が誇大自己症候群、仮想的有能感と関係があるというのである。

(追記)
以下の記事が続きです。
誇大自己症候群
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/ee86f6abedc53dfb62fc375bf62c57f4
仮想的有能感
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/891f4c2d7029662379fcdcd0048b2650
『ライズ』と『8Mile』
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/960c3449dc5471c38097d4b7ab8bee2b

コメント (2)
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