三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

死刑について考える11 命の尊厳性

2008年02月03日 | 死刑

テレビや雑誌は、殺人事件が起こると、まだ裁判が始まってもいないのに、「こんな奴は死刑だ」などと平気で言ったりする。
どういう事件なのか、経緯や背景がわからなくても「殺せ」と、よく言えるものだと思う。

今の日本、死刑制度がなかったら社会の秩序が保てないような国なのだろうか。
とてもそうは思えない。
日本は世界的に見て犯罪は少なく、治安がいいし、社会は安定している。
かえって死刑制度があることによって命を粗末にすることになっているのではないかと思う。
どうしてかというと、人権の基本は命の尊厳を守るということだからである。
「私たちは、誰からも尊敬され、大切にしてもらう権利がある。この人権は、いい換えれば、人間の尊厳は誰からも侵されることはないということです」(平木典子『アサーショントレーニング』)

どのような理由があろうとも人の命を奪う行為は、命の尊厳性を軽んじるものである。
その意味で、死刑と殺人、そして戦争はいずれも命の尊厳を奪うことになる。

戦後しばらくは殺人事件が多かった。
前にも書いたが、昭和31年に提出された死刑廃止法案の審議で
「現在のわが国においては、過去の戦争の影響により人命尊重の観念が甚しく低下し、これが殺人などの犯罪の増加の原因となっていると考えられ」
と言われているように、その当時の殺人件数の多さは戦争の影響が大きい。

現在の日本では殺人事件が少なく、特に注目すべきは、諸外国では殺人を犯すのは20代がほとんどなのに、日本では10代、20代による殺人が他の年代に比べて低いことである。
外国の研究者が調べた結論としては、日本は徴兵制がなく、戦後60年間、戦争していないことが大きいらしい。
戦場から帰ってきた人の心が荒んでいることは、ベトナム帰還兵やイラク帰還兵などの例をあげるまでもない。
そして、帰還兵の家族もその影響を受ける。

死刑があるために起きる殺人事件がある。
宅間守のように、「死にたい。しかし、自分だけが死ぬのはいやだから、人を殺して死刑になろう」と考える人がいるからである。
他殺と自殺はうらおもてなんだろうと思う。
こうした自分の命、そして他人の命を大切に思えなくなっている人に対して、死刑は抑止効果を持たないし、逆に犯罪を犯す引き金になっている。


団藤重光は
「国民に対して生命の尊重を求めながら、法がみずから人の生命を奪うのを認めるということでは、世の中に対する示しがつかないのではないでしょうか」(『死刑廃止論』)
と言うが、まさにその通りだ。
命の尊厳はどんな人間にでも共通して大切である。
死んでもかまわない人はいない、たとえ殺人犯や敵であろうとも。

死刑囚の澤地和夫が
「〝死刑問題〟を考えると、「犯人の死刑は当然」という世間一般の気持と、自分の目的実現のためには、もはや人を殺すこともしかたがないとする犯人の気持とは、その根本においてどこか心情的につながっているように思われます」(『死刑囚物語』)
と書いている。
「死刑囚が何を言うか」と言われそうだが、場合によっては人の命を奪ってもやむを得ないと考えることでは、殺人と死刑は同じであり、おかしなことは言っていないと思う。

コメント (13)
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