三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「なぜ目立つ家族殺人」

2008年02月24日 | 厳罰化

「毎日新聞」の「論点」に、「なぜ目立つ家族殺人」という題で、藤本哲也中央大教授(犯罪学)と管賀江留郎(「少年犯罪データベース」主宰)、そして佐木隆三が書いている。

藤本哲也は「犯罪抑止効果になっていた家族の機能」と、次のようなことを書いている。
「私は、少年非行の要因としては、家庭の果たす役割が重要であると思う。戦後の家族構造が、拡大家族から核家族へ、そして最近では少子家族へと移り変わり、ライフスタイルが欧米型へと変遷しているところに、凶悪で重大な少年非行の遠因があるように思われる。(略)
世界で最も犯罪が少ない国と言われていた頃のわが国の家庭には、期せずして、犯罪抑止効果をもつ家庭の機能が備わっていたように思う。常日頃、親が子どもの行動を注意して見守るという、いわゆる「監視機能」。(略)そして、小さいときから「人に後ろ指をさされるようなことはするな」と注意され、「良いこと」と「悪いこと」の判断ができるように育てるという「教育機能」。(略)「情緒安定機能」(略)「保護機能」がそれである。(略)
家族がお互いを愛し合い、思いやる心が大切である。家族に対する思いやりは、ひいては、他人に対する思いやりとなる。今われわれ大人に求められているものは、子どもとのコミュニケーションと思いやりの心、すなわち、「家族の絆」なのではあるまいか」

それに対して管賀江留郎は「濃密な関係ほど憎しみを抱く機会増える」と、藤本哲也とはまるっきり反対の意見を述べている。
「戦前は少年の親殺しが多発していました。(略)教育勅語で、親を大切に、兄弟仲良くと教えていたのは、戦前は家族の争いが絶えなかったためなのでしょう。仲がいいなら、こんなことをありがたいお言葉で毎日聞かせるはずがありません。(略)
昔は家族以外の殺人も多く、隣人一家皆殺しや、主婦が近所の幼児を殺害なんて事件がよくあり、今では濃密なつきあいをしなくなったこともあってこんなご近所殺人は減りました。人間は知り合うほどに憎しみを抱く機会も増えるわけで、挨拶は殺人の始まりとすらいえます。(略)
家族も一緒に住まず事務的な会話だけの関係にすれば、殺人はほぼなくなるかもしれません。伝統的家族回帰を願う人は、家族とは本来、殺し合う可能性が高いものだと正しく認識すべきで、過去をきちんと調べて学び、親兄弟殺しは昔のほうが多発したことを知るべきです」

家族が大切なんだ、しかし日本が欧米化することで家族の絆が弱まり、その結果、親が子を殺し、子が親を殺すような事件が増えた、だから家族や近所との絆を取り戻すべきだ、という藤本哲也の意見に賛成する人は多いだろうと思う。

しかし、「世界で最も犯罪が少ない国と言われていた頃」、そして「犯罪抑止効果をもつ家庭の機能が備わっていた」ころとはいつの話なのだろうか。
もしも昭和30年代をイメージしているのなら、管賀江留郎が
「「三丁目の夕日」時代より家族殺人が増加と言っているのなら基本的データを何も調べず妄想を語っている」
と言うように、昭和30年代は犯罪が多く、それ以降は減少していることぐらい犯罪学者なら知っているはずだが。

それと、日本では20代が起こした殺人事件が少ないということがある。
愛憎のもつれとか激情にかられて
若い人が犯す殺人がかつては多かったのだが、今はその手の理由でなされる殺人が減っている。
殺したいほど相手を憎むことがなくなったらしい。

管賀江留郎が主張する、家族や近所づきあいという圧力が減り、そして他者にそれほどの期待を抱かなくなったから殺人が減った、という意見は受け入れにくいと思う。
しかし、統計を読み込めばこういう結論にならざるを得ないのではないだろうか。

もっとも、家族の密着さと家族殺人とが関係があるかどうか、そこらをきちんと調べないと何とも言えない。
だが、昔は家族や近所の絆が深かったから犯罪が少なかったという間違った思い込みは、
少なくとも捨てるべきだと思う。

なぜ家族殺人が目立つのか、その答えはマスコミの犯罪報道が過剰だからである。
家族による殺人が多いからではない。

そこらの反省が「毎日新聞」の「論点」には見られない。
まずはマスコミに反省してもらうことが第一歩だと思う。

コメント (7)
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