三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

死刑について考える12 再犯と更正

2008年02月06日 | 死刑

10歳の娘を強姦されて殺されたラーソン夫人は委員会でこう証言した。
「遺族の最大の恐れは、私たちの子どもや最愛の者を殺した殺人犯が、いつか釈放されるのではないかということです」
「他の人たちに危険が及ばないように、殺人犯を街から遠ざけてほしいのです。私たちの多くにとって正義とは、殺人者が二度と再び人を殺すのではないかと心配しなくて済む、ということなのです」
(スコット・トゥロー『極刑』)

殺人犯が再犯したら誰が責任を取るんだということになる。
その際、こんなことが許されていいのか、といった論調で語られ、またそのほうが感情に訴えるから説得力がある。
しかし、犯罪を減らし、再犯を防ぐためには単なる感情論では何もならない。
刑務所や少年院で矯正のためにどういうプログラムをすべきか、刑務所から出てどうしたらいいのか、そうしたことこそ論じられるべきだと思う。
たとえば、薬物中毒の場合、ダルクやNAといった施設や自助グループがあることを教え、在所中から手紙のやりとりをするといったことが大切だし、そうした施設やグループがない地域には早急に作るべきである。

死刑を廃止すべきだというと、凶悪犯を野放しにするのかと言う人がいる。
死刑を廃止したなら、死刑相当の犯罪を犯した人は無期刑になるわけで、即釈放されるわけではない。
実際のところ、無期刑で仮釈放になった人が再犯するのは、ここ数年では0から1人である。

それと、無期刑が確定した人は毎年100人を超えており、在所人員は平成17年末で1467人。
そして、仮釈放される人はここ数年では1人から14人、いずれも在所期間は20年以上である。
つまり、無期刑になった人のほとんどは刑務所で一緒を終えることになるわけだ。

実際に死刑囚と接した人の記録を読むと、この人は再び罪を犯すことはないのではないかと思う死刑囚が結構いる。
東京拘置所で医務部技官を勤めた加賀乙彦の『死刑囚の記録』に詳しく書かれている正田昭もその一人である。

オウム真理教の井上嘉浩もたぶん再犯することはないと思う。
これは私が言っているわけではなく、高裁の判決文の中に「現在では同種犯行に及ぶ危険性は消滅したといえる」とある。
ところが、なぜか死刑判決。

金沢文雄広島大学名誉教授は次のように言っている。
「『人格の尊厳』には例外がなく、犯罪者にもこれを認めるということは、犯罪者が罪を自覚し反省して人間として再生する可能性を認めることである。死刑はこの人間的再生の可能性を奪うものであるから、人間の尊厳の思想に反するのである」(団藤重光『死刑廃止論』)
死刑になるほどの犯罪を犯した人であっても再生の可能性を私も信じたい。

コメント (15)
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