三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

コニー・ウィリス『航路』

2006年08月29日 | 問題のある考え

コニー・ウィリス『航路』はなにせ上下2巻、2段組で800ページ以上あるので、手にとって本を開くまでに、いささか心構えが必要である。
もっとも2~3ページも読めば、クイクイとページをめくってしまう。

臨死体験の仕組みを科学的に解明しようとする認知心理学者(女)と神経内科医(男)が主人公。
臨死体験とは何かが物語の軸である。
主人公の二人は臨死体験は脳の中で起こる幻覚だという説である。
ところが、臨死体験は死後の世界をかいま見たものだ云々というベストセラー本を出した男も出てくる。

第二部の終わり、まったく予想しなかった展開には驚いた。
それからまだ200ページ以上ある。
どういうふうに話が進むのかと思っていたら、今までの描写、たとえば迷路のような病院の通路やら、何度電話しても通じなかったり、そういう描写がくり返し出てきてくどいと思ったのだが、何とこれはメタファーだということがわかる。
訳者の大森望が、「十数年で訳してきた四十冊近い本の中では、この『航路』がまちがいなくベストワン」と言うのもうなずける。

コニー・ウィリスは『航路』の日本版あとがきで、臨死体験の実例を紹介した本についてこう書いている。

(臨死体験本は)あの世の実在を証明するものだと主張していました。そういう本を読んで、私は激怒しました。これは最悪の種類のニセ科学だし、人間の弱さや恐怖心につけこんで、読者が聞きたいと思っていることを―死んだ人間はただ存在をやめてしまうのではなく、別世界へと赴き、愛する人と再会できるのだと―語っているだけなのです。最悪なのは、これらの本がじつに卑しい動機で―つまり、金儲けのために―書かれていることです。(こうした臨死体験本はどれもこれもベストセラーになり、著者は講演やTV出演で何百万ドルも稼いでいます)

日本にもこういう輩がいますな。

しかし同時に、臨死体験という現象を調べるにつれて、わたしはしだいにこう考えるようになりました。臨死体験はたんに想像上のものではない、彼らはたしかになにかを経験しているのだ、と。(略)彼らはいったいどんなことを経験してるんだろう。いったい何が原因なんだろう。

ということで、『航路』ではコニー・ウィリスの臨死体験観や死後観も語られる。

死ぬこと自体はそう恐いとは思わないが、しかし死別は寂しい。

亡き家族や恋人の姿を見たと想像させるのは、死者の存在ではない、彼らの不在だ。いるはずの場所にいないこと。

 

コメント (4)
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