コニー・ウィリス『航路』はなにせ上下2巻、2段組で800ページ以上あるので、手にとって本を開くまでに、いささか心構えが必要である。
もっとも2~3ページも読めば、クイクイとページをめくってしまう。
臨死体験の仕組みを科学的に解明しようとする認知心理学者(女)と神経内科医(男)が主人公。
臨死体験とは何かが物語の軸である。
主人公の二人は臨死体験は脳の中で起こる幻覚だという説である。
ところが、臨死体験は死後の世界をかいま見たものだ云々というベストセラー本を出した男も出てくる。
第二部の終わり、まったく予想しなかった展開には驚いた。
それからまだ200ページ以上ある。
どういうふうに話が進むのかと思っていたら、今までの描写、たとえば迷路のような病院の通路やら、何度電話しても通じなかったり、そういう描写がくり返し出てきてくどいと思ったのだが、何とこれはメタファーだということがわかる。
訳者の大森望が、「十数年で訳してきた四十冊近い本の中では、この『航路』がまちがいなくベストワン」と言うのもうなずける。
コニー・ウィリスは『航路』の日本版あとがきで、臨死体験の実例を紹介した本についてこう書いている。
(臨死体験本は)あの世の実在を証明するものだと主張していました。そういう本を読んで、私は激怒しました。これは最悪の種類のニセ科学だし、人間の弱さや恐怖心につけこんで、読者が聞きたいと思っていることを―死んだ人間はただ存在をやめてしまうのではなく、別世界へと赴き、愛する人と再会できるのだと―語っているだけなのです。最悪なのは、これらの本がじつに卑しい動機で―つまり、金儲けのために―書かれていることです。(こうした臨死体験本はどれもこれもベストセラーになり、著者は講演やTV出演で何百万ドルも稼いでいます)
日本にもこういう輩がいますな。
しかし同時に、臨死体験という現象を調べるにつれて、わたしはしだいにこう考えるようになりました。臨死体験はたんに想像上のものではない、彼らはたしかになにかを経験しているのだ、と。(略)彼らはいったいどんなことを経験してるんだろう。いったい何が原因なんだろう。
ということで、『航路』ではコニー・ウィリスの臨死体験観や死後観も語られる。
死ぬこと自体はそう恐いとは思わないが、しかし死別は寂しい。
亡き家族や恋人の姿を見たと想像させるのは、死者の存在ではない、彼らの不在だ。いるはずの場所にいないこと。
幻想(仮にあったとしても、その構造を現世のコトバで言い当てることは不可能)でありましょうが、死別の悲しみは現実であるということじゃないでしょうか。
実体的な死後のお浄土なんて、おとぎ話。デタラメ、嘘だといって憚らない。。。というのが私のいいたいことではありません。
死別の悲しみをなくすことはできないけど、どう受け入れていくか。
悲しみの中で、何かが生まれることで、悲しみが違ったものになっていくのではないか。
そんなこと読んでいて思いました。
。。。浄土真宗親鸞会と関係が深い会社が発行している。。。ビデオテープを売りに
来た青年たちと半日ほど話をしたことがあります。。。彼らは信心が決定すると必ず極楽
に往生することができるといいます。。。地獄に行かないから自分は怖くない、つまり
地獄に堕ちないということが安心の中身なのです。。。そういう論理は地獄そのものを
恐れる気持ちそのものはまだ残っていて、ぜんぜん問題は解決しません。。。だから地獄
の恐怖とは地獄を覚悟するという乗り越え方でしか解決しない問題なのです。。。
で、「死後」がどうなるかはわかりませんが、今生きてる者にとって、「死」とはどんなイメージとしてあるのかなら考えられると思います。(あとまあ、仏教信者にとって地獄。。。という言葉で恐れているものは何か?)
自分にとってどうでもいい人、生き物。これらの「死」はさほど悲しくなく、ダメージを受けません。いわば、他人ごとの「死」でさっさと通り過ぎたり、忌避すべきもの。で、自分と関係の深い人。あなたと呼ぶことのできる人の「死」が悲しみを誘い、ダメージを受けるものですね。で、最後に自分の「死」。三人称や二人称の死(死別)なら経験するけど、自分の「死」は未経験。
http://www.geocities.jp/princegifu/tetu14a.htm
おおよそ、自分の「死」とは、もはや誰ともコミュニケートできない不安。自分にはどんな可能性もそこには残されてないという絶望感。誰かの記憶から薄れていって次第に忘れられてしまうという寂寥感。。。そのことからもたらされる、自分の「今、生きてること」の意味の崩壊による空虚感。。。
それだからこそ、何かの「物語り(死後、親しい人と再会できる等々)」によってこれらの感情を手なずけるのですね。
某寺の、ガンになって親鸞会バンザイになったおじいさんの話ですが、あれは苦しいときの神頼みにすぎません。
どうも嘘っぽい、作り話という気がします。
ああいう物語は相手にしたくもありません。
差別を生み出しますしね。