三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

菊池聡『予言の心理学』(1)

2005年12月21日 | 問題のある考え

菊池聡『予言の心理学』を読み直した。
名著だと思う。

菊池聡氏は認知心理学者である。
予言はなぜ当たるのか、なぜ予言を信じるのか、そのことについて心理学の観点から具体的な事例をあげて説明している。
予言を信じる心理は、インチキ宗教・サギ商法・迷信などにはまってしまう心理と共通していると思う。

予言はなぜ当たるように思うのか。
1 はずれた予言は誰も覚えていないが、当たった予言は忘れない。
いい予言よりも悪い予言のほうが多いが、悪い予言がはずれて文句を言う人はいないから。

2 あいまいな言い方をする。
「悲惨な出来事が起こる」というように。
後づけで解釈すれば当たったように感じる。
この法則を応用して、たとえば芸能人が結婚した時に「いつか破局がおとずれる」と予言をすれば、はずれることはない。
破局が離婚か死別か、あるいは別の何かとは言わないし、日時を限定していない。

これは手かざしで病気が治ると信じるのと同じで、手かざしで治ったことは忘れず、誰彼となく吹聴する。
もっとも、手かざしで本当に治ったのかどうかはわからない。
治ったような気がしただけなのか、自然に治ったのか、別の原因で治ったのか。
治らなかったら、「信心が足りない」「神があなたに試練を与えた」などと言えばいい。
ということで、予言がはずれたから予言なんてあり得ない、とは言えない。
同じように、インチキ宗教をインチキだ、サギだと証明するのは難しい。

もうじき終末がおとずれ、ほとんどの人間は死んでしまう、しかし信者だけは終末を生き延びるという終末思想も予言の一つである。
終末が来て人類は滅亡するぞと脅す(ムチ)、そして信者だけは生き残る、もしくは天国に生まれると救いを与える(アメ)。
アメとムチの使い分けはインチキ宗教、悪徳商法の手である。
霊感商法も「先祖が迷っているからよくないことがある」(ムチ)と、「この壺を買えば先祖が成仏する」(アメ)という予言する。
「先祖が迷っている」というのはウソだし、ましてや「よくないことがある」こととは無関係だと、私は断言する。
しかし、証明することはたぶんできない。

高橋紳吾先生の話。

仕掛けたほうが詐欺だと告白しなければ、詐欺罪は成立しないというのをご存じでしょうか。
詐欺を仕掛けたほうが、これは本当に悪霊が憑いていると信じ切っている場合には詐欺にならないという、非常に複雑な問題がありまして、詐欺と認定されたのは足裏診断と満願寺の霊視商法だけなんです。

ということで、霊感商法をサギとして捕まえることはできないそうだ。
悩ましい問題である。

もっとも、アメとムチが短絡的に悪だと考えてはならないと菊池聡氏は言う。
たとえば、子供に「悪いことをすれば地獄に堕ちる」と恐怖心をあおり、「善行を積んで、神を信じれば天国に行ける」と安心と希望を与えることで、善い人になっていく。
あるいは、「しっかり勉強しないと、浪人するぞ」と言って、やる気を引き出すのも同じである。
ということで、脅して(ムチ)救いを与える(アメ)ことがいいか悪いかは単純には決められないそうだ。
ちょっとひっかかる。

コメント (6)
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