三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

戦艦大和と少年兵

2005年12月29日 | 戦争

佐藤純弥『男たちの大和』の語り手である神尾は、15歳で海軍特別年少兵に志願する。
少年兵である。
誘拐されて無理やり武器を持たされるアフリカの少年兵と同一に論じることはできないにしても、それでも少年兵には違いない。

前田有一氏の『男たちの大和』評に、「騙されたのでも、洗脳されたのでもなく、明確な国家防衛の意思を持って、自ら戦いに挑んだ若者たち」とある。
だけども、やはり洗脳じゃないだろうか。
昭和3年生まれの人が「早く戦争に行きたい、そして戦争で死ぬんだと思っていた」と話されていた。
そう思い込むようになったのは国の教育であるし、社会の雰囲気もある。

仏教界もそれいけどんどんと後押しをした。
「仏教も、軍隊も、倶に平和を目的とする。平和を目的とする為に戦争をする。」
「天皇陛下のために死ぬることが報恩の務めである」
「戦死は無我の行・菩薩の行」
「義勇奉公こそ仏恩報謝」
これらの言葉は西本願寺のものである。
東本願寺も滅茶苦茶なことを言っている。

少年兵といえば、今井正『海軍特別年少兵』。
左翼映画人の代表といえる今井正作品だから、国のために殉じた若き英霊たちがとかいうようなものではない。
しかしながら、『海軍特別年少兵』を見ると、国や愛する人を守るために身を投げ出して戦った少年たちに涙するかもしれない。
今井正は年少兵を美化するつもりは全くなかっただろうが。

で、『男たちの大和』でいささか驚いたのは、護衛の飛行機もないのにどうして出撃するのかという質問に、参謀は天皇が「海軍にはもう船はないのか」と言ったからだと答える。
つまり、この無謀な作戦は天皇の失言のせい(天皇にそういうつもりはなかったにして『男たちの大和』の脚本は監督の佐藤純弥。
佐藤純弥は政治的メッセージを発する監督ではないと思うが、どういう意図があったのだろうか。

コメント (12)
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