岸川は名刑事として知られていた。だが、別に彼の犯人検挙が辣腕(らつわん)で上手(うま)かったからという訳ではない。岸川は自然な流れで犯人を自白へ追い込む名人と言っても過言ではなかった。警察の剣道仲間は、滅法弱い彼の流儀を自然流と呼んだ。そして、事あるごとに、剣の腕と逮捕は別だな・・と岸川の稽古ぶりを見ながら自然な流れで言い合った。
ある日、岸川は事件に遭遇した。とある町の有名な土産漬物の製造会社、遠州漬物の漬物石が何者かによって盗まれたのである。数多くある石の中の数個なのだが、被害届が出された現場に岸川が出向くと、間違いないと製造責任者で工場長の森松(もりまつ)は答えた。
「もう一度、お訊(たず)ねしますが、数え間違いということはないんでしょうね?」
「ええ、そりゃもう…。なあ?」
「はい!」
森松に促(うなが)され、工場の現場責任者、紙緒(かみお)は大声で言った。
「そうですか。こんな石が…いや、失礼。石が他で金になるとは思えないんですがね、私にゃ。その辺は、どうなんでしょうな?」
「はあ…なんとも。ただ私らにしてみりゃ、商売ものですから、戻(もど)らないと困るんですよ。製造にたちまち困るってことでもないんですがね…」
紙緒は小声で訴えるように返した。だったら、いいじゃないかっ! たかだか、こんな石、数個のことでっ! こっちは忙しいんだっ! と内心で怒れた岸川だったが、そこはそれ、顔で笑って思うに留(とど)めた。
「そうですか…。一応、調べてみましょう」
重大事件でもないことを強調し、岸川は一応という言葉で捜査する立場上、精一杯の嫌味を言った。
「そうですか。ご足労をおかけしますが、よろしくお願いいたします。いや、正直なところ、私もお電話するか迷ったんですがね」
岸川はその言葉を聞いた瞬間、するなっ! と思った。その日は、状況と出入りした者の確認や調べをして岸川は警察へ戻った。岸川が警察へ戻ったとき、課長が岸川を呼んだ。
「あっ! 岸さん。アレ、数え間違いだったそうだ。少し前、遠州漬物から電話があったよ、ごくろうさんだったね。まあ、自然な流れだ」
「でしたか…」
岸川は課長の言葉を聞き、何が自然な流れだ、石が流れるかっ! と思え、気疲れからか、身体が石のように重くなった。
完