この事件? は数十年以上先で起きた未来警察での出来事である。当然ながらこの時代では、すでに捜査はすべてがメカ[機械]システムで動かされ、さらには思考判断による機械中心の捜査陣で構成されていたから、人間の刑事が直接、張り込んだり聞き込むといった捜査は行われていなかった。あらゆる捜査の指示は、中央制御室での機器操作を任された数人の選抜された機器オペレーターにより進行していた。
そしてこの日も、犯人はすでに逮捕直前にあった。遠い過去に人間が食べていた食物の[おでん]を盗み食いした嫌疑(けんぎ)による指名手配だった。
「昼にしてくれたまえ…。どうだ、何か変化は?」
中央制御室へ入ってきたのは、署長と捜査刑事官を兼務する●●●● 回向正志 ●●●●である。数十年前までは●●●● ●●●● ●●●●の個人番号と姓名は別だったが、サイバー攻撃により国民の情報流出に歯止めがかからず、やむなく個人番号と姓名を混合する個人識別に改変されたのだった。
「署長、それが困ったことにシステム・エラーで犯人の行方(ゆくえ)が分からなくなりましたっ!」
「なにぃ~~!! それは大問題じゃないかっ! どうするんだっ、君! えっ! どうするんだっ!」
「さぁ~~? 私に言われましても…」
捜査刑事官の●●●● 只乃政基 ●●●●は怪訝(けげん)な表情で首を捻(ひね)った。他の捜査刑事官達も合わせるように首を捻った。始動しない捜査で未来警察のパニックが始まった。この事態は全世界のあらゆるシステムに波及し、人類の未来文明は完全な崩壊を迎えつつあった。全世界は震撼(しんかん)した。この始動しない捜査こそが究極(きゅうきょく)のサスペンスである。
完
損ばかりしている冬木という定年前の老刑事がいた。何ひとつ上手(うま)くいった試(ため)しがなく、上手くいった事件も、気づけばいつの間にか若手の青葉に持っていかれているのだ。その都度、冬木は、もう、いいっ! と一人、呟(つぶや)いた。だが、次の日の朝になれぱ不思議と考えが変わり、今度こそ…と思いながら勤務についているのだった。
そんな定年が迫ったある日、珍しく冬木に損にならなそうな軽い事件が巡ってきた。自動車の盗難事件である。それも持ち主が買い換えたばかりの数百万円の高級車であり、指紋などから犯人が特定でき、いよいよ重要参考人として、男の同行を求められる運びとなっていた。冬木は天が与えた最後のチャンスだ…とばかりに意気込み、男の身柄確保へと向かった。
「ヤツが現れましたっ!」
青葉が勇んで言った。
「よしっ! 取り逃がすなっ!」
俺のあとから先にも最後の晴れ舞台だからなっ! と冬木は思ったが、そこまではさすがに言えなかった。冬木と青葉が男の前後に分かれようとしたときだった。冬木の胸ポケットの携帯が振動した。
「はい! これから確保するところです。ええっ!! 被害者が届けを取り下げたですって! どういうことですっ! …はいっ、…はい、… そうですか。分かりました!」
冬木は半分、自棄(やけ)になって携帯を切った。電話は刑事課長からだった。
「どうしましたっ、冬さん!」
青葉が冬木の顔を窺(うかが)いながら訊(たず)ねた。
「害者の健忘症によるド忘れだと…」
「どういうことです?」
「この男に、買った新車をひと月、貸したんだとよ」
「なんだ…そうでしたか」
「今度こそ、もう、いいっ!」
冬木はまた呟いた。
「えっ?」
「いや、なんでもない…」
二人はトボトボと署へ帰還(きかん)した。冬木は葉を落としたように足どりが重かった。
完
今日は晴れて気分がいいな…と思いながら交通機動隊の袋(ふくろ)は地方道から国道へと白バイを進入させた。こういう快晴のいい日にかぎり、怒れる違反者が現れるものである。
「前の車、止まりなさいっ!」
20Kmの速度オーパーで違反切符を切り、袋は、テンションを下げた。その後は事もなく、袋は夕方、警察へと、帰還した。
「あの金が国庫に入り、国はまたムダ金を使うんだろうな…」
袋の脳裏に怒れる想いが巡った。こんな日は一杯飲むか…とばかりに、袋は飲み屋街へと足を向けた。
いつもの行きつけの小料理屋、指圧のカウンター席には見かけない男が座っていた。
「あっ! どうも…」
声をかけると、その男は無言で軽くお辞儀をし、コップの酒をグビッ! と、ひと口飲んだ。
「袋さん、この人、ご同業の刑事さんだよ」
袋がカウンターへ座ると、店主がニンマリ笑って小声で言った。
「そうでしたかっ! いや、どうも! 私、交通機動隊の袋です」
「捜査二課の舐木(なめぎ)です」
人の気配をうかがい、舐木は刑事らしく小声で言った。その後は雑然とした世間話となり、酔いもお互いに回っていった。
「警察は国民の見方! 国の見方じゃないですぞっ、絶対!」
疑獄事件の捜査が止まり、舐木は怒れていた。
「ええ! そうですともっ! 国は無駄金は使うなっ!」
袋は国庫へ入金されるその使途に怒れていた。店主は閉店できない二人に怒れていた。
完
岩岸署管轄の浜波交番は今日も何ごともない日が続いていた。何ごともない日というのは交番にとっては腕の見せようがないイライラする日なのかといえば実はそうではなく、世の中が安穏(あんのん)と動いているのだから、実に素晴らしい日なのである。
この日、表の公務はもう一人の巡査、帆先(ほさき)が受け持っていた。
「なんか、大変なことになってきましたね、船頭(せんどう)さん」
昼の弁当を食べながら奥の休憩所にあるテレビをつけた若い巡査の舟漕(ふなこぎ)は老練な船頭にポツリと呟(つぶや)いた。テレビにはテロ関係のニュースが映し出されていた。
「怖(こわ)い怖い…。くわばら、くわばら…」
船頭は美味(うま)そうに食後の熱い茶をフゥ~フゥ~と啜(すす)りながら祈るように言った。
「この手の事件は捕らえるだけでは解決しませんからね」
「まあ、そうだな。この辺(あた)りは当分、関係ないだろうが…」
「当分ですか? ずう~~っとでしょ?」
「そうあって欲しいが、集団的自衛権だしな…」
「嫌だ、嫌だ…」
船頭に感化されたのか、舟漕も祈るように言った。
「じゃあ、そろそろ戻(もど)ろうか。帆先君は昼がまだだからな…」
「はい…」
「それにしても、何ごともない日、というのは有難い…」
「♪何でもないようなことがぁ~♪ ですね?」
舟漕が急に歌いだした。
「おお! 若いのに古いの知っとるな。♪幸せだったと思う~♪にならず、♪幸せにぃ思う~♪時代ならいいんだが…」
船頭も歌って返し、意味有りげに言った。
完
朝から反物(たんもの)署では捜査会議が行われていた。
「やはり馬鹿の仕業(しわざ)かと思われます」
「それは、どうしてだ?」
「銀行へ1億円の窃盗に入った者が、9,999万はそのままにして9,999円を置いて去っているからです」
「…1万円を盗って、9,999円を置いていったんだから、実質的にはわずか1円の窃盗事件だからな」
刑事課長の友禅(ゆうぜん)は、若手刑事の洗水(せんすい)に悠然(ゆうぜん)と言った。
「課長、しかし1円でも窃盗は窃盗ですよ」
割って入ったのは中堅の竿干(さおほし)刑事だ。
「ああ。それはまあ、そうだ…」
「ただ、事件だとしても1円を盗られて、フツゥ~届けますか?」
「それには、はっきりした理由がありますよ。金庫に保管された1億円の札束の置き場が変わってたんでしょ?」
「ああ、そうだったな。そして、その100万の札束の中の1枚が抜き取られたと…。これは届けんと、また盗難に遭(あ)う可能性もあるんだからな}
「万引きテロみたいなもんですからね」
課長の友禅に竿干が追随(ついずい)した。
「上手(うま)いこと言うな。…それにしても、手間のいる嫌(いや)な一件だな」
「なぜ1円だけなんでしょう?」
「俺が訊(き)きたいよ」
竿干が洗水に返した。
「やはり馬鹿か? …」
友禅が、また悠然と言った。竿干と洗水は黙って頷(うなず)いた。
完
世の中には見も知らない人が声をかける場合がある。勘違いされ声をかけられる場合、意図的に何らかの作為をもった者に声をかけられる場合、その他・・いろいろとある。それに対して無言で右から左へと受け流せば、それはそれだけのもので、何事も起こらない。逆に、右から脳内に入れ、その声に対応すれば、左へ出るときには因縁や一つの人間関係が生じる。それはいい場合もあり、悪い場合もある。
「あの…ちょっと、お尋(たず)ねしますが?」
腰打(こしうち)中央署の派出所である曲首(まがりくび)交番に一人の田舎(いなか)風の男が入ってきて、そう言った。
「はあ、どうされました?」
巡査の揉押(もみおし)は怪訝(けげん)な顔つきでそう返した。
「さっき、妙な人に声をかけられたんですが、大丈夫でしょうか?」
「はっ? なにが、ですか?」
「財布です」
「財布? 財布をどうかされましたか?」
「財布を渡したんですが、そのあとその人がいなくなって…」
揉押は瞬間、こりゃ、事件だぞっ! と身を乗り出した。
「ひったくられたんですかっ!?」
「いえ、そうでもないんですが…」
「じゃあ、どういうのです?」
「お金を貸(か)して欲しいといわれたんで、財布ごと渡したんですが、そのまま帰ってこられないんで…」
「あなたね! そりゃ、窃盗ですよっ、窃盗! あなたもあなただ。よく見も知らない人に財布を渡しましたね?」
揉押は半分、呆(あき)れたような声で言った。
「よさそうな人で困っておられたんで…」
「で、中にはいくら入ってたんです?」
「え~と、115円ばかり…」
「115円! …」
揉押は、また呆れて男の顔を見た。手続の方が高くつくわっ! という顔である。それでもまあ、盗難事件は盗難事件である。
「被害届を出されますか?」
「いえ、それはいいんです。いいんですが、あの方を探してもらえないでしょうか?」
揉押は厄介(やっかい)なのが来たな…という顔で、また男を見た。
聞くところによれば、今も一応、まだ探しているそうである。
完
矢箱(やばこ)署である。
「どうも、花の色は・・だな」
老練刑事、岩園は、百人一首で事件を読み解く[かるた刑事(デカ)]と署内で呼ばれる、辣腕(らつわん)の刑事だった。
「このままだと、年老いて捨てられるのでは・・という気持からの犯行だと?」
岩園にピッタリと小判鮫のようにいつも寄り添い、ご機嫌を窺(うかが)うのは、若手刑事の杉板だ。
「そう、それ…。わが身世にふる ながめせしまに、だっ! 時期が、村雨の~・・だからな」
「はい! 秋の夕暮れでした」
「そうじゃない。作者名、作者名…」
「寂蓮法師・・なるほど、寂しかったんですね?」
「まあな…、侘(わび)しかったともいえるが…。捜査はまず、犯行を行った人物の心理から真実に迫(せま)る。それが鉄則だっ」
杉板は岩園の言葉を警察手帳にメモ書きした。
「…そんなことは頭に覚えておくんだっ!」
「はいっ!」
杉板はメモをやめた。そのとき、岩園の腹がグゥ~! っと鳴った。
「まあ状況とそのときの心理は分かった。ただ…」
「ただ、なんでしょう?」
「鰻重に付いている瓶の市販品の山椒が分からん。あれは、本物の木の芽をパラパラ・・と、散らせて欲しいものだ…」
「? はい…」
杉板は、かるたとは関係ないな…とは思ったが一応、頷(うなず)いた。
完
漁川(いさりがわ)署の捜査本部である。事件は犯人逮捕で一件落着し、刑事達は勤務後の慰労会で一杯、やっていた。
「いや! 私はこの手のものは…」
茶碗に一升瓶の酒を注(そそ)ごうとした小鮒(こぶな)を慌(あわ)てて片手で止め、ペットボトルの烏龍(ウーロン)茶を茶碗に注ぎ入れたのは新しく第一線に配属された諸子(もろこ)だった。諸子は酒が嫌いだとか下戸(げこ)という訳ではなかった。表立って角(かど)が立たないよう、当たり障(さわ)りがない苦手(にが)で飲めないことにしたのだ。
「ああ、そうか…。お疲れさんっ!」
小鮒は変なヤツだ…と蟠(わだかま)ることなく、笑顔で諸子の肩をポン! と一つ叩(たた)くと他の刑事達の方へ行った。一方、諸子の内心は蟠っていた。諸子にとって事件の終着は犯人逮捕ではなかった。一足のそれほどいいとは思えない安価な靴が盗まれ、その犯人が捕まって酒かいっ! といったところだった。まあ、連続窃盗犯の逮捕だったから、フツゥ~に考えればそれも頷(うなず)けるのだが、諸子には頷けなかったのである。
「どうしたんだ、諸子君。元気がないじゃないか」
しばらくして声をかけたのは課長の波町(はまち)である。私事(わたくしごと)ながら、このたび目出度く警視に昇格し、県警本部への異動が内定していた波町は、至ってご機嫌がよかった。
「いや、大丈夫です。少し疲れただけですから…」
諸子はまた方便を使った。方便とは、こんなときのためにある・・とでもいえる絶好のタイミングだった。
「そう? まあ、無理しないようにね」
「はい! 有難うございますっ」
波町は少し偉(えら)ぶり、余裕めいて言った。なにが無理しないようにねだっ! が、諸子の内心だったが、そうとは言えず、笑顔で軽くお辞儀した。諸子にとって、事件の終着は、なぜ犯人は高価な靴を盗らなかったのか・・の素朴(そぼく)な疑問が解けたときだった。
完
猿山署の刑事、手長は上司の警部、赤毛に今日も叱責(しっせき)されていた。しかし手長は素直に聞いていた。日々の馴れもあり、手長にはそう苦にはならなかった。というか、手長はすべてに素直だったのである。手長は署内で[フォローの風]と陰で呼ばれた。逆らう[オーム]や[アゲインスト]ではなかったからだ。署内では、ほぼ日常の行事的な繰り返しで、他の署員達も赤毛が手長を怒らない日は体調でも悪いのか・・と案じたくらいだった。
そんなある日、猿山署に事件が舞い込み、手長も現場へ急行した。事件は畑荒らしである。何者かにより多量の山芋が持ち去られたのである。現場は掘られたあとの土の乱れを残すのみで、これといった犯人を示す痕跡は認められなかった。
「フツゥ~は何か残すがねぇ?」
「どれくらいするもんなんですか?」
「馬鹿野郎! 俺が知るかっ!」
手長がつまらないことを訊(き)き、赤毛にまた、どやされた。
「はあ…。私は窃盗ではなく、食べられたんだと思います」
「どうしてだっ!?」
「いや、理由はありません。ただ、山の裾野(すその)だということで、ただなんとなくですが…」
「ただなんとなく、どうだというんだ?」
「我が署みたいなものに…」
「我が署?! 聞き捨てならんなっ!」
「猿山署です」
「猿山署がどうしたというんだっ!? 猿山… …猿だというのかっ?」
「飽(あ)くまでも、みたいなものに、です。猪、その他の動物も考えられますが…」
「だったら事件じゃないじゃないかっ!」
赤毛は、ここぞとばかりに怒った。
「はい、事件ではないと思います…」
手長は素直に返した。
一件はその後、手長の予想したとおり、野生動物の被害として被害届が取り消され、素直に解決した。
完
立花は風変わりな刑事である。あらゆることを柳に風と受け流すのだ。そんな立花だったが、妙なもので事件はスンナリ解決させたのである。取り分けて手法がある訳ではなく、警察内部では七不思議の一つとなっていた。
そんなある日、また新(あら)たな事件が一つ、発生した。
「えっ!? なんです? あなたの旦那が失踪(しっそう)したんですか?」
立花は捜索を願い出た女に一応、驚いたものの、内心では、アンタなら仕方ないでしょうな…と思った。女の態度は横柄(おうへい)で、容姿(ようし)も、どちらかといえば男だったからだ。それでも、そうとは言えないから、適当にあしらって聞く態でいた。女も立花が柳に風と受け流すものだから、始めのうちは諄(くど)く話していたが、要領を得ないのでそのうち言葉少なになった。立花としては、いつもながらの事情聴取であり、この場合だけ特別にしている訳ではなかった。立花は丁重(ていちょう)この上ない態度で手続きだけ済ませてもらい、お引取りいただいた。
そして、探すでなく、一応、住所の家だけでも見ておこうと女の家を訪問した。なるほど…と思える肋(あばら)屋で、掃除した形跡がないほど家内は埃(ほこり)に塗(まみ)れていた。
『お掃除はなさらないんですか?」
「大きなお世話でしょ! そんなことっ!」
女は機嫌を損(そこ)ねたのか、こともあろうに立花に噛(か)みついた。立花は、これじゃな…とは思えたが、そうとは言えず、思うに留めた。
「ご主人が立ち寄られそうなところは?」
「それが分かれば苦労しませんよっ!」
まあ、言われてみれば、そうか…と立花は腹立てることなく柳に風と受け流した。
女の家を出て、五分ばかり歩いたときだった。立花は塀(へい)越しに女の家を見続ける一人の男を発見した。刑事の直感で、おそらくは女の旦那…と立花は閃(ひらめ)いた。
「あの…そこのご主人ですか?」
男は黙ったまま静かに頷(うなず)いた。
「まあ、よかった…。お宅はサスペンスですなぁ~」
立花は柳に風と、なにを思うでなく男に言った。
完