秋の風景 水本爽涼
(第十五話) 確かに…
僕も少し大きくなったせいか、自然の変化を幾らか上品に考えられるようになった。例えば今日の、空に浮かんだ鰯雲が実は高層雲だという類(たぐい)だ。確かに…と思える進歩? で、お利口さんとじいちゃんに頭を撫(な)でられるのだが、果してこれが進歩だろうか…と、いささか僕には疑念が芽生えていた。ある意味、俗界に染まった無駄な知識ではあるまいか…ということだ。愛奈(まな)は、キャハハ…と笑ったり、△●××★!!…と泣いたりして離乳食を食べ、母さんの乳を好きなだけ飲んでりゃいいのだが、僕の場合はそうはいかないのだ。俗界に染まろうと汚れようと、母さんから、「あらっ! また百点ね。正也は先が楽しみだわ」と期待に答え、褒められる子供であらねばならないのだ。まあ百歩譲って、家では俗界から逃れられたとしても、学校ではそうはいかない。父さんの場合だと社会だから、相当、手強(ごわ)い。確かに彼の場合はそれが分かっていてか杭(くい)を出さない。出る杭は打たれる…という諺(ことわざ)があるが、父さんはそれを理解していて、あえて出さないのではあるまいか。いわば、彼の処世術とでも言えるだろう。父さんは家でもじいちゃんに対して出ないから、確かに…と思える。じいちゃんの場合は他に敵らしい相手を寄せつけない威厳めいた光を放っておいでだから、これも確かに…と思わせる。母さんの場合は上品なホホホとPTA役員だから、知的なシールドで身体を防備している風に見える。これも、確かに…と思わせる説得力がある。愛奈の場合は、すべてが確かに…である。泣けば空腹か、洩らしたか、暑いか、寒いか…などの生理現象だからだ。僕は残念ながら、まだそこまでのオーラはない。正也なら確かに…と家族を思わせるものを身につけたいと思う。今のところは、減った冷蔵庫のケーキは正也だろう…と思わせる確かさだけなのだ。これでは品位に欠け、情けない。そこへいくとタマとポチはいい。人にどう思われようと、自分の意思どおりに生きている。昨日もポチは庭掃除をしていた父さんの手拭いをどこかへ持ち去った。タマは父さんの書斎を抜け毛だらけにして何かありましたか? という顔で欠伸(あくび)している。ははは…、確かに結構な生きざまだ。