水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

連載小説 代役アンドロイド 第6回

2012年10月31日 00時00分00秒 | #小説

  代役アンドロイド  水本爽涼
    (第6回)

不意にその残像が保の脳裡を過(よぎ)った。両瞼(まぶた)を開けると、ベッドサイドにはアンドロイドの沙耶が立っていた。その微笑んで立つ姿は、完璧に初恋の相手の沙耶だった。
『はいっ、着替えっ! 顔、洗ったら、すぐに食事ねっ。…まだ、時間はあるわねっ!』
 足元に、いつもの外出用の服が置かれている。保は沙耶に急(せ)かされ、ベッドを降りた。
━ 完璧だ! が、少しタメ口が気になるぞ…。まっ、いいか! 外観も口調も本物の沙耶と遜色ないしな… ━
 着替えて洗面台へ急ぎながら、保はそう思った。洗顔を終え、口を漱(すす)ぎ、歯を磨く。昨日はなかった真新しいタオルが鏡の下の棚に置かれていた。おおっ! と思いながら顔を拭き、食卓テーブルの椅子へ座ると、タイミングを推し量ったかのように、沙耶が温めたミルクをコップに入れて現れた。テーブル上に置かれた幾品かの料理皿も、どこか人間っぽい暖かさが感じられた。昨日まではなかった雰囲気だった。こりゃ、いいぞ! と保は第一感、思った。その第一感の中には、これなら外へ連れ出しても気づかれないな…という気持が含まれていた。
 次の日、保はいつもと変わらず家を出た。マンションの出口までは沙耶が送り出してくれた。改良前の岸田2号は、こうはいかなかった。ドアを閉じ、歩き始めた保の顔は思わず緩んだ。


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連載小説 代役アンドロイド 第5回

2012年10月30日 00時00分00秒 | #小説

  代役アンドロイド  水本爽涼
    (第5回)

 その姿を見ながら、これくらい軽いのが食いたかったんだ…と、保は頭に描いたドンピシャのイメージに驚かされた。ただ、まだ言葉の抑揚とか感情移入のなさが機械的といえば機械的だった。その辺りの微調整を考えれば、完成したとはいえ、まだ課題は残っている。加えて皮膚の質感や沙耶に似せる外観の修正も必要だった。変態じゃないから、そこまで精巧に作る必要もないように思えたが、ここまで完成すれば保にも、岸田2号、いや、沙耶に対して愛着が湧きつつあった。
 サンドイッチを食べ終え、ふたたび数時間、パソコンと格闘した挙句、保は、ようやく全てのプログラムを完成させた。いつの間にか窓の外には夕闇が迫っていた。
「修正するから一端、オフるよ」
『ワカリマシタ、ゴシュジンサマ』
 もうこの、ご主人様呼ばわりも最後だな。次回はタ・モ・ツか…と思いながらニヤリとし、保は沙耶の主電源をオフにした。そして、メモリー回路のICチップを、ゆっくりと引き出す。あとは、このチップへ新しいプログラムをインストールするだけだ。保の胸は高鳴った。
 どれだけの時間が経過しただろうか・・。保はベッドで熟睡していた。
『保! 起きないと、研究室、遅刻するわよっ!』
「んっ?! ああ…。… …んっ?!!」
 昨夜、最後の作動点検をし、再起動することなくそのまま眠ってしまったのだ。


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連載小説 代役アンドロイド 第4回

2012年10月29日 00時00分00秒 | #小説

  代役アンドロイド  水本爽涼
    (第4回)

━ それが、いい… ━
 保は決断すると、炊事場で洗い作業を続ける岸田2号を横目に食卓テーブルの椅子から立ち上がった。そして、近くのデスクトップ型パソコン椅子へふたたび座り直すと、修正プログラムの入力キーを叩き始めた。心なしか指先が快活に動き、保の心は躍った。上手くしたもので、今日の大学研究室は山盛教授が所用とかで出向く必要がなかった。時計の針はグルグルと回り、時は瞬く間に過ぎていった。昼を抜き、ふと空腹感を覚えて腕を見ると、すでに4時は半ば過ぎていた。保は慌てて、何か食べるものはないか、と岸田2号に訊(たず)ねた。そういえば昼前に、オヒルハ、イカガシマショウカ? などと問わなかったことも少し気になった。
「腹が減ったな。昼は言ってくれないと…」
『シツレイシマシタ。ヒッシニ、サギョウヲサレテオラレタモノデスカラ、オコエヲオカケシテ、オジャマニナルノモ、イカガカトオモイマシテ…』
 そんな細かなところまで気遣(づか)ってくれてるんだ…と思うと、その律儀さに保は怒る気分が消えた。ただ、冷静に考えれば、言葉遣いが少し硬いというか他人行儀にも思えた。その辺りも修正しよう・・と、保はふたたび、キーを叩いた。
『コンナモノデ、ヨロシュウゴザイマショウカ?』
 岸田はその声に驚いた。まだ数分しか経っていなかった。顔を上げると、岸田2号がサンドイッチとミルクセーキをトレーに乗せて立っていた。
「んっ? …ああ、それでいい。テーブルに置いといてよ」
『カシコマリマシタ』
 岸田2号は軽い身の熟(こな)しで反転すると、テーブルへトレーを置き、部屋隅に移動して停止した。そして、ピクリ! とも動かなくなった。


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連載小説 代役アンドロイド 第3回

2012年10月28日 00時00分00秒 | #小説

  代役アンドロイド  水本爽涼
    (第3回)

 一躍、世の人となり、著名人の仲間入りも出来るに違いない。だが、それで、いいのか? 反面、今の平凡な自由と安らいだ生活は消え去り、世間の目を気にする日々が続くことは目に見えている。保は、すっかり重い気分になった。とはいえ、こんな気持でいつまでも頭を悩ませてはいられないのだ。愚直な日々の暮らしは今まで通り続けねばならない。それが、ともかくは気づかれない唯一の手段に思えた。で、保は、そうした。幸い、マンションの管理人だろうと、そう容易(たやす)くは賃借人の居住空間へ立ち入ることは出来ない。それを考えれば、一歩、外へ踏み出した後の行動、言動にさえ注意すれば事足りる。そう巡りながら、保は、この朝も岸田2号の調理した美味い朝食に舌鼓を打っていた。
━ 岸田2号では堅苦しいな。名前を考えてやらにゃ、いかん… ━
 と、保は思った。そして、食べ終えるとコーヒーを啜った。
『オサゲシテモ、ヨロシュウゴザイマショウカ、ゴシュジンサマ』
 岸田2号の人工的ながらも柔和な女性の声がした。
「ああ、頼むよ…」
 岸田2号は慌てる様子もなく、スムースな身の熟(こな)しで保が食べ終えた食器を炊事場へと下げていく。保は、もうすっかり、この光景に違和感がなくなっていた。そのとき、ふと浮かんだのが初恋の沙耶(さや)の姿である。まあ、初恋の相手と言えるかどうかは保の一方的な淡い恋愛感情だったから些(いささ)か疑問なのだが、ともかくその相手が浮かんだのだ。保にとって本格的に恋した最初の女性であり、唯一の女性であった。


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連載小説 代役アンドロイド 第2回

2012年10月27日 00時00分00秒 | #小説

  代役アンドロイド  水本爽涼
    (第2回)

 給料とはいかないまでも、助手としての僅(わず)かな報酬もあった。最初に製作したアンドロイド1号は岸田1号と命名されたが、♂性機能を加味した強力設定だった。今、それは埃(ほこり)を被り、部屋の押し入れに収納されている。性能が悪い訳でも失敗作でもなかったが、どうも保には馴染めなかった。今一、付き合う相性が合わなかった・・ということもある。しかし、この岸田2号は♀性を加味された柔軟設定で、なんか保と相性もよかった。というか、少し異性を瞬間、意識でき、保にすれば、アンドロイドというより、女性と暮らしているような妙な安らぎも心中に芽生えたのである。そう思う都度、自分は、やはり女に飢えていたのか? と、テンションが、かなり萎(しぼ)んで落ち込んだ。
 だが日々、岸田2号は精巧なメカに改良され、性能をアップしていった。そして製作から3年が経った頃、生理的機能を除けば外見、内見とも完璧な女性へと生まれ変わったのである。もうこれは、保にとって彼女であり、よき伴侶であった。完成後は何かにつけ、重宝した。しかし、彼の心中にはひとつの悩みが生じていた。このアンドロイドを世間に公表していいものかどうか・・という悩みである。このまま自分だけの友として、よき伴侶として置いておく。それがいいのではなかろうか、と…。大学助手の自分が今、世間に公表すれば、恐らくマスコミは大騒ぎをして拍手喝采を浴びせることだろう。


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連載小説 代役アンドロイド 第1回

2012年10月26日 00時00分00秒 | #小説

  代役アンドロイド  水本爽涼
    (第1回)

 あいつは、俺の代役で都合よく動いてくれるから、まあ今回の作としては上出来だろう。岸田保(たもつ)は、部屋中に溢れ返った機械部品の鉄屑を律儀に片づける新作アンドロイドを横目で見ながら、腕を組んで一人、悦に入っていた。
『ゴシュジンサマ、カタズケガ、オワリマシタ』
「ああ、ご苦労さん。止まっていていいよ」
『ワカリマシタ。ヤスマセテ、イタダキマス』
 プログラムした言語が、どこか秋葉原のメイド喫茶女店員に似ているぞ…と思え、保は部屋の片隅へ静止した新作アンドロイドの肩に片手をかけながらニンマリと笑った。しかし次の瞬間、俺は変態かっ! と自問する気持が芽生え、慌てて素の顔に戻した。よく考えれば、プログラムしたのは自分なのだ。
 この男、根っからの機械好きである。高専でテレビ大会出場用メカを作ったこともあった。そして、編入した工学部を卒業後、助手を続ける傍(かたわ)ら、アンドロイド製作に全エネルギーを傾注した。それが災いしてか、「君ね、…もう少し力を入れてもらわんと、僕が困るんだよ!」と、お付きの山盛(やまもり)教授から叱責されたことも多々あった。だが、そんなことは左の耳から右の耳へと聞き流し、保の頭は帰った後のメカの続きを絶えず考えていた。


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[最終回]

2012年10月25日 00時00分01秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (最終回)

 思わず圭介は屈(かが)んでいた。そして手の平にその蜘蛛をやんわりと乗せ、一枚のティッシュを背広のポケットから出す。そして、ふたたび蜘蛛をやんわりとティッシュの紙に包(くる)んだ。
「気持悪いわぁ・・。どうすんのよ? 可笑しい子ねぇ」と、不満を露(あらわ)にした智代が、少し声を大きくして佇む。
「こんなに小さい奴でも、命はあるんだよ、姉さん…」
「… …」
 いつもなら必ず反発して返す姉だが、珍しく頷いて微笑んだ。そのとき、二人の周囲に閃光が輝いた。いや、圭介にはそう見えた。
「今、光らなかったか?」
「何が? やっぱり、可笑しい子ねぇ…」と、智代は怪訝な眼差しで圭介を見た。
「眼科で診て貰ったらどお? …まあ、そんなことはいいとして、ソレ、なんとかしなさいよ」
 圭介の片手に持たれたティッシュの紙を指さして、智代が眉を寄せる。相も変わらぬ勝ち気が、もう復活している。幾らか早足になり、通路の開閉窓に近づいた圭介は、その一匹の蜘蛛に感謝を込めて逃がしてやった。何に対しての感謝だったのか…彼にはそれが分からない。
 窓をふたたび閉じようとして、外壁沿いに植えられた樹々が圭介の眼に映った。その紅葉は、夏から秋への季節の移ろいを知らせている。
「何してるの? 行くわよ!」
 智代が放つ高音域の声が、通路に響く。
━ 人間なんて、弱いもんだなぁ… ━
 対象がない何かに対して、圭介は、ぼそっと呟いた。

                           突破[ブレーク・スルー]  完


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シナリオ かげふみ <推敲版 3>

2012年10月25日 00時00分00秒 | #小説

≪創作シナリオ≫

   かげふみ  <推敲版 3>        

  登場人物
黒木浩二 ・・公務員(回想シーン 学生)
川田美沙 ・・会社員(回想シーン 学生)
老婆    ・・鹿煎餅売り

○   興福寺境内 五重塔前 夜[現在]
  十六夜の朧月。微かな巻雲。煌々とした蒼い月に照らされる五重塔、境内。 

○ メインタイトル
  「かげふみ」

○    同   五重塔前 夜[現在]
  月光にくっきりと浮き上がる五重塔を見上げ、立ち止まる浩司。十六夜の朧月。辺りに人の気配はあるが、割合、静穏である。
 浩司M「そう、あれは…去年のこんな夜だった」

○    同   五重塔前 夜[現在]
  十六夜の朧月、五重塔の夜景。
  O.L

○    同   五重塔前 夜[回想 去年]
  O.L
  十六夜の朧月、五重塔の夜景。
  現在と同じアングルで見上げ、佇む浩司。後方から静かに女性が近づいてくる。
 美沙「あのう…、すみません」
  突然、背に声を受け、驚いて振り向く浩司。目と目が合う二人。見つめ合う二人。一目惚れ。束の間の無言。
 浩司「…はい、なにか?」
 美沙「なんか、言いにくいな…(照れて)」
 浩司「けったいな人や。…どないしたん?」
 美沙「(はにかんで)この辺りに財布、落ちてませんでした? …やっぱ、恥しいな。(気を取り直して)鹿のストラップがついてるんですけ
     ど…。(浩司を窺うように見て)馬鹿(ばっか)みたい!(突然、自分に切れて苦笑)」
 浩司「かなり怪(おか)しいで、あんた。どもないか?(笑いをこらえて)」
 美沙「(少し膨(ふく)れて)あんたってなによ! 川田さんとか美沙さんとか言ってよね!」
 浩司「言(ゆ)うてて…。初めて会(お)うたんやで、僕ら(笑えてくる)。君も知らんし、君の財布も知らんし…。そない興奮せんでもええが
     な…
 美沙「アッ! そうでした、すみません」
 浩司「(大笑いして)マジ、怪(おか)しいわ、あんた。…いや、あんたやない。川田さんとか言(ゆ)うたな?」
 美沙「はい、そうですぅ~(少し拗(す)ねて)」
 浩司「ほやけど、財布がなかったら困るな。昼間、落としたんか? 昼間なら、ここら人が多いで、あかんで」
 美沙「そうなのよね。一応、交番には届けたんだけど…(月明かりの地面を窺い)」
 浩司「駐在はん、どう言(ゆ)うてた?」
 美沙「出たら連絡しますって。…でも、ほとんど出ないそうよ」
 浩司「ほやろな…(月明かりの地面を窺い)」
  二人、探しつつ歩き始める。十六夜の朧月に照らされた興福寺五重塔。

○  奈良公園 夜[回想 去年]
  十六夜の朧月。鹿が所々にいる。月明かりに遠景の五重塔が映える。歩く二人と影法師。
 浩司M「僕達は諦(あきら)めて、ふらふらと歩き、いつの間(ま)にか、興福寺の外へ出ていた」
 浩司「黒木いいます。地元の学生なんやけどな」
 美沙「なんだぁ、親のスネカジリか…」
 浩司「あんた口悪いな。…いや、川田さんやったな」
 美沙「口悪いのは生まれつきですぅ~(“あっかんべえー”をして)。で、名前は?」
 浩司「なんやいな、警察みたいに…(少し、むくれて)。浩司や」
  二人、小さく笑い、芝生へと座る。月の光で結構、辺りは明るい。鹿も何頭かいる。
 浩司「…川田さんも学生さんかいな?」
 美沙「はい。ずう~っと向こうの(東を指さして)ほうですぅ~」
 浩司「(小さく笑い)ほんま、面白(おもろ)い娘(こ)やで…」
  二人、意気投合し、互いの顔を見て笑う。
 浩司「(急に真顔に戻り)ほやけど、どないするん? 今晩」
 美沙「それは問題ないんだけどね。(指さして)ほん其処(そこ)の友達ん家(ち)泊まるから…」
 浩司「そうか…。そら、よかったわ。…で、今日は、まだ時間あるんか?」
 美沙「うん。…ありは、ありね」
 浩司「そうか。…一寸(ちょっと)戻らなあかんけど、猿沢の池、案内しとこか」
 美沙「(立ちながら)上から目線がムカつくなあ。まっ、
いいか(勝手に歩き始め)」
  浩司も立つと、後を追って歩く。

○  同 猿沢の池 夜[回想 去年]
  十六夜の朧月に映える池の遠景。池の後方に蒼白く浮き上がる五重塔。
 浩司M「僕達は猿沢の池に出た」
  池堀の周辺を並んで歩く二人と影法師。二人の遠景。十六夜の朧月。微かな巻雲。

○  同 猿沢の池 夜[回想 去年]
  朧月に照らされた柳が春の微風に戦(そよ)ぐ。笑顔で語らい、池堀を並んで歩く二人の近景。
 美沙「しばらく忘れてた…、こんな感じ」
 浩司「どうゆうことや?」
 美沙「ん? …別に意味はないの…」
 浩司「やっぱ、どっか怪(おか)しいで、川田さん、とか言(ゆ)う人…」
 美沙「なによ、それ(微笑んで)。馬鹿にしてんでしょ、私のこと」
 浩司「そんなことないで
。(空を眺めて)それにしても、ええ月やわ。こんな遅う、なんか悩みがあるんか? そないなときは、子供に戻るこ
    っちゃ。…なあ、影踏(かげふ)みしよか?」
 美沙「なに? それ」
 浩司「かなんなあ。影踏み、知らんのかいな。そやで都会の娘は…。お月さんで影法師ができるやろ。それを踏むんや
 美沙「馬鹿(ばっか)みたい。それくらい、知ってるわよ(少し向きになって)。でも、昼間の遊びじゃなかったっけ?」
 浩司「そんな決まり、ないがな。…ほな、僕が鬼になるわ。はよ、逃げんと…(小さく笑い、冗談で脅かす)」
  『キャ~』と奇声を発しながら笑って走り出す美沙。その後を走る浩司、美沙の影を踏もうと、おどけて追う。しばらく戯れて走り、息が切
  れた二人、立ち止まる。浩司、息を切らせながら思わず空の月を眺める。釣られて眺める美沙。十六夜の朧月。月に照らされる柳。見上
  げる二人の姿(近景)。
 美沙「久しぶりに子供の頃に戻ったみたい…(荒い息を整えながら、月を眺め)」
 浩司「ああ…(荒い息を整えながら、月を眺め)」

○  二人の歩く姿と空に浮かぶ月(遠景) 夜[回想 去年]

○  興福寺境内 夜[回想 去年]
 浩司M「僕達は興福寺へ戻り、別れた。いや、そうするつもりだった」
  歩く二人、立ち止まる。煌々とした蒼い月に照らされる五重塔の夜景。
 浩司「じゃあな…。ええ旅してや。アッ、川田のメルアド訊いとこか。財布、出てきたら連絡するさかい…」
 美沙「(小さく笑い)おいおい、今度は呼び捨てかい。プラス、相変わらずの上から目線」
 浩司「悪(わり)ぃー悪(わり)ぃー(頭を手で掻きながら、悪びれて)」
  美沙、膨れながらも微笑む。携帯のメールアドレスを交換する二人。
 浩司「友達の家て、どこや?」
  二人、歩き出す。
 美沙「ほん其処(そこ)…(指さし)」
 浩司「なんや…、ほなら送ってくわ。女性の一人歩きは物騒やでな」
 美沙「フフフ…(笑って)、黒木さんの方が物騒」
 浩司「川田も結構言(ゆ)うなあ(小さく笑い)、きつぅ~。…ほやけど、名前覚えてくれたんは嬉しいなぁ」
 美沙「不覚じゃ! 喜ばせてしもうたかぁー。(笑って)」
 浩司「やっぱ、僕には手におえんわ、川田は(笑って)」
 美沙「(真顔で)美沙でいいよ…」
  佇(たたず)んで見つめ合う二人。十六夜の朧月。また歩き出す二人。

○ とある家の前 夜[回想 去年]       
 美沙「んじゃ、ここで…」
 浩司「ああ…(微笑んで)」
  月明かりが射す、とある家前で別れる二人。

○  同 境内 夜[回想 去年]
  五重塔の遠景。
  O.L

○  同 境内 夜[現在]
  O.L
  五重塔の遠景。
  煌々と照らす十六夜の朧月に、くっきりと浮き上がる五重塔の近景。去年と同じアングルで見上げ、佇む浩司。
 浩司M「あれから美沙と数度逢い、僕達は婚約した。勿論、結婚は、僕が卒業して社会人になる前提だった」
  ふと我に帰り、歩き出す浩司。
 浩司M「それが、急に美沙は姿を消し、携帯も繋がらなくなった」
 浩司「もう一年か…(ふたたび五重塔を見上げ、嘆くように)」
 浩司M「会社に勤めた美沙と役場へ勤めた僕。二人の結婚は、何の障害もない筈だった。…でも、それっきり逢うことすら途絶えた」
  その時、斜め前方より、時代を感じさせるリヤカーを引いた鹿煎餅売りの老婆が、のろのろと浩司に近づく。
 老婆「あんた…、黒木さんか?(しわがれ声で)」
 浩司「…」
  手拭いを被った白い乱れ髪の下から嘗(な)めるような視線で浩司を見上げる背の曲がった老婆。立ち止まり、老婆を見下ろす浩司。
  おどろおどろしい風貌の老婆に、少し引きぎみの浩司。
 浩司「そうやけど…(少し気味が悪いと感じながら)。お婆さん、なんぞ僕に用か?」
 老婆「昼間、娘はんがな。黒木、言(ゆ)う人に会うたら、…これ渡してくれて、預かったんやわ…(しわがれ声で)」
  汚れた服のポケットから、半折れになった白封筒を取り出し、浩司へ手渡す老婆。
 浩司「(受け取って、朴訥に)おおきに…」
  老婆、頷き、ふたたび、のろのろと、何もなかったかのようにリヤカーを引いて去る。

○  同  境内 夜[現在]
  老婆が去ったのを見届け、白封筒の中に入った便箋を取り出す浩司。便箋に書かれた携帯番号とメールアドレス。空を見上げる浩
  司。朧月に美沙の姿が重なる。その時、浩司の携帯が鳴り、メールが入る。携帯画面を見る浩司。携帯画面に綴られた美沙からのメ
  
ール。
 美沙M『たぶん、あなたが、このメールを開く頃、私は外国へ旅立っていると思います。黙って姿を消したこと、まず先に誤らせて下さい。
      親の決めた結婚相手を断れなかった私。全て私が弱かったのです。どうか、こんな私のことは早く忘れて幸せになって下さい。
      遠い、遙か彼方から、あなたの幸せを祈っています。 美沙』
  黙読し終えた浩司。心なしか項垂(うなだ)れ、携帯を胸ポケットへ入れる。

 浩司「(思わず泣けてきて、涙を拭い)美沙の馬鹿野郎!(咽びながら小声で)」
  その時、浩司の肩を後ろから突っつく者がある。浩司、ビクッと驚いて振り向く。涙顔の美沙が立っている。
 美沙「(他人行儀に)…あのう、どうかされました?(言葉をかけた後、真顔から笑顔になって)」
 浩司「アッ! …なんやお前、戻ってきたんか…(意固地になり)」
 美沙「なんや、とは、なによ!(膨れぎみ)戻ってきてあげたんだからね…(真顔に戻って)」
 浩司「(素直になり)ほうか…、おおきに。そやけど、書いたーることと違うやん(微笑みながら白封筒を突き出し)。プラス、ここで今、会う
     のは、出来過ぎた話と違うか?」
 美沙「(恋する真顔になり)行けなかったの…。それで、あの時に戻りたくなって…」
 浩司「…」
 美沙「…」
  互いに見詰め合う二人。どちらからともなく抱擁し交わすキス。空の朧月。静かに離れる二人。暫しの沈黙。浩司、空の朧月を眺める。
  美沙も釣られて眺める。
 浩司「み空行く、月の光に、ただ一目、相(あい)見し人の、夢(いめ)にし見ゆる…か」
 美沙「どんな意味?」
  二人、歩きだす。自然と手をつなぐ二人。
 浩司「…空を行く月の光の中で、ただ一度、お逢いした人が、夢に出てらっしゃるんです…ぐらいの意味やろ」
 美沙「ふ~ん、そうなんだ(反発せず素直)」
 浩司「なんや、それだけかいな。やっぱり怪(おか)しいわ、美沙は」
  美沙、立ち止まる。浩司も立ち止まる。手を離す二人。
 美沙「なぜ?」
 浩司「ほやかて、そやろが。僕が万葉の恋歌を、しみじみ詠んでんねんで。もっと、弄(いじ)ってもらわんと…」
 美沙「(小さく笑って)お笑いじゃあるまいし…。で、どう言って貰いたいの?」
 浩司「じれったいなあ、もう…。こんなこと、僕に言わすんかいな。…好、き、や、って言(ゆ)うてんねん」  
 美沙「分かってたよ、ずっと前から…。だから結婚するんでしょ? 私達」
 浩司「(怪訝な表情で)えっ? ほやかて、外国、行くんやろ? そやないんか?」
 美沙、ふたたび歩きだす。浩司も歩きだす。
 美沙「馬鹿(ばっか)じゃない。じゃあ、なぜ私、今ここにいるの? さっき出会ったとき、何も思わなかった?」
 浩司「アッ! そうや。そうやわな。そらそうや…。ほんで、いつかの財布は?」
 美沙「(小さく笑い)可笑(おか)しな人…」
  釣られて、笑う浩司。そこへ前方から近づくリヤカーを引いた鹿煎餅売りの老婆。浩司、近づくにつれ、先ほどの老婆だと気づく。擦れ違
  いざま、
 浩司「さっきは、どうも…」
  と、老婆へ徐(おもむろ)に声を掛ける浩司。老婆、少し行き過ぎた所で立ち止まり、振り返る。
 老婆「…ああ、 昼間のお人と先(さっき)のお人か。上手いこと出逢えたようやな、お二人さん。よかったよかった…(二人を笑顔で見上
     げ、しわがれ声で)」
 浩司「はあ…(軽く会釈)」
 老婆「わてにも、こんなことがあったなぁー。そうそう、もう六十年以上、前の話やけんどなぁ。戦争で出逢えんかったんや、とうとう…(しわ
     がれ声で悲しそうに空の月を見上げて)」
  ふたたび何もなかったように寂しげにリヤカーを引いて立ち去る老婆。一瞬、立ち止まり、後ろ姿のまま、
 老婆「わての分も幸せになんにゃでぇ~!(声を幾らか大きくして)」
  と、やや叫び口調の声で離れた所からそう言い、遠ざかる老婆。次第に闇の中へ紛(まぎ)れる老婆。

○ 十六夜の朧月に照らされる興福寺五重塔

○  興福寺境内 夜[現在]
 美沙「訳ありか…、可哀そう。でも、一寸(ちょっと)キモイね」
 浩司「(不気味な言い方で)そういや、あの婆さん、影がなかったでぇ~(老婆が立ち去った後方の闇を振り返り)」
 美沙「(驚いた高い声で)キャ~っ!」
 浩司「嘘や、嘘やがなぁ~(笑って肩に手を掛け)」
 美沙「驚かさないでよ(フゥ~っと、溜息を吐き)」
 浩司「それにしても、よい月夜やったな」
 美沙「ん、そうね…。結果、オーライ」
 浩司「み空行く~、月の光に、ただ一目~」
 浩司、横を歩く美沙の手をさりげなく握る。
 二人「相(あい)見し人の、夢(いめ)にし見ゆる~(笑う)」
 浩司、横を歩く美沙の手をさりげなく握る。
 浩司「僕は、ずっと君の影法師や…」
  美沙も握り返す。握り合った手を振って歩きだす二人。前方に十六夜の朧月。煌々とした蒼い月に浮かぶ五重塔。微かな巻雲。

○  (フラッシュ) 奈良公園 夜[現在]
  テーマ音楽
  月の光が射し、鹿が所々にいる芝生。     

○  (フラッシュ) 猿沢の池 夜[現在]
  十六夜の朧月に照らされる池。池の後方に浮かび上がる興福寺五重塔。

○ もとの興福寺境内 夜[現在]
  十六夜の朧(おぼろ)月に照らされる五重塔。
  その前を話をしながら去っていく浩司と美沙の手をつなぎ肩を寄せて歩く姿。次第に二人の姿、遠ざかる。二人の後ろ姿。空の朧
  月。

○ エンド・ロール
  奈良公園と朧月。
  キャスト、スタッフなど
  F.O

                 (2008/NHK奈良 投稿作を推敲)

 ※ テーマ音楽としては、ポルノグラフィティ ♪ カゲボウシ ♪ がいいですね。^^[水本]


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[42]

2012年10月24日 00時00分01秒 | #小説

  突 破[ブレーク・スルー]
   (第四十二回)

 事実、昌は外観的にも快方に向かっていた。
「一寸(ちょっと)、体が軽く動くようになった気がする。それに、このところ、食欲が出てきてねぇ…」
「そうかい? それは、よかった。何か食べたいものがあったら買ってきてやる」
「それじゃ、散らし寿司を頼むかねぇ。あっ、今じゃなくていいよ、この次で…」
「ああ、いいとも! すぐ買ってきてやる」
 圭介の声も知らず知らず快活になっている。内心は当然のことながら喜色ばんでいる。勿論、他にも理由はあった。珠江との婚約が二日前に調った・・・ということである。気分は厳冬期からうららかな陽春期へと変化している。ただ、姉の智代の小言がまた復活したのには辟易(へきえき)としている圭介であった。
「準備は進んでる?」と聞かれ、思わず、「何が?」と応じたのが、いけなかった。
「決まってるじゃない、結婚式のことよ」
「姉さん、僕ももう子供じゃねえんだから…」
 と、圭介は少し噛みながら云い返した。
「そうお? なら、いいんだけど…」
 二人は歩きながら、院内の売店へ向かっていた。通路を右折左折していると、「あらっ、こんなところに蜘蛛がいるわ。嫌ぁねぇ…」と、智代が立ち止まった。圭介が釣られて見ると、一匹の蜘蛛がふらふらと床を這っていた。智代はその蜘蛛をハイヒールで踏んづけようとした。
「駄目だ! 姉さん、待てっ!!」


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[41]

2012年10月23日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第四十一回)

「但し、これだけは云っておくけどね。効果は確実にあるだろうが、有効性は30%から100%と異なる。完治するかは責任がもてないよ」
「勿論ですとも…」と、語尾が言葉にならないほど有り難い圭介である。このとき彼は、見えざる救いの手があることを知ったのである。

 蔦教授の助力は、O大の藤木教授にも及び、国に新たに認可されたそのテクノライシンのアンプルも届けられることとなった。
 再入院から四週目、HFF
20及びテクノライシン、両アンプルの筋注により、癌細胞は確実に自滅(アポトーシス)を繰り返していた。両剤によるウイルス療法は、関東医科大学付属病院でも注目に値する療法として、昌に限らず、他の患者にも用いられることになるのだが、それは先の話である。この時点では、まだ市販はされてはいなかった。
 一ヵ月後、三島が圭介をカンファレンス室に、ふたたび呼んだ。
「転移性のものですし、私どもも、八、九割方…いや、完璧に駄目なんじゃないかと正直なところ思っておりました。しかし、現在の所見では、確実に病巣は縮小しております。既に四分の一の大きさまで後退しており、残余部分もこの状態で推移しますと時間の問題です。土肥さんが蔦教授を知っておられたという幸運もあるのでしょうが、これは、親を想うあなたの心が起こした奇跡と云うしかありません。私どもの病院では、今まで、この種の完治の症例がなかったのも事実でして、私もいい勉強をさせて貰ったと思っております。しかし、まだ油断は禁物ですが…」
 すらすらと朗読文を読むような流暢(りゅうちょう)さで三島が告げる。


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