水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

生活短編集 55 新発明

2014年09月30日 00時00分00秒 | #小説

 苦節20年、早丸はついに新発明を成し遂げた。ある物質の合成により人類の究極の課題、放射性元素が発する放射能を消すことに成功したのだった。
「や、やった…。やったぞ!!」
 ガイガー・カウンターの針の振れが0になった瞬間、早丸は研究室を走り回っていた。
 半年後、論文を完成させた早丸は、公式の記者会見に臨んでいた。その中には、早丸の研究を今まで小馬鹿にしてきた雑誌記者の村木もいた。
「いや、あの節(せつ)は、どうも。私も半信半疑でしたので、失礼なことを申しました…」
 早丸は村木のことを、まったく覚えていなかった。
「はあ? そうでしたか…。全然、気にしてませんから」
 口ではそう言った早丸だったが、実のところ、その男が何を言ったのか、いや、それ以上に、その男が何者なのか・・も思い出せなかった。
「発明した私が申すのも変なのですが、誰か、この物質の名前をつけていただけませんかね。この場をお借りし、公募いたします」
 記者団から一斉に笑声とざわめきが起こった。唐突な早丸の提案にMCのアナウンサーは少し慌(あわ)てたが、すぐ落ち着きを取り戻して仕切った。
「その話は、のちほどさせていただきます。他にご質問は?」
「今世紀最大と言っていい、こんな大発明は、間違いなくノーベル賞だと思いますが、いかがでしょうか?」
「… それは皆さんが判断されることです。私は研究が成果をみたことが、なによりも嬉(うれ)しい。ただ、それだけです」
 一年後、早丸はノーベル賞を受賞していた。だが、その一年後、早丸は新しい研究を余儀なくされた。発明した放射能を除去する物質[ガイノー]が新たな公害を発生することが判明したのである。
「はやまりました…」
 早丸は記者会見で陳謝し、直立して記者団に頭を下げた。
「そうだと思ったんだ…」
 最前列に座った記者の村木が愚痴るように呟(つぶや)いた。
「あんたには言われたくない…」
 早丸は、頭を下げたまま珍しく呟いて反論した。

                                完


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生活短編集 54 集団的自衛権

2014年09月29日 00時00分00秒 | #小説

 川戸は、なにげなくテレビのリモコンを押した。アナウンサーが集団的自衛権について冷静に語っていた。同じテーブルの横には解説者らしき男が座っていて、アナウンサーの問いかけに熱く語っていた。川戸は、ああ…今日もやってるな、ぐらいに思いながら、美味(うま)そうに出汁(だし)に浸(つ)けた蕎麦(そば)を啜(すす)った。川戸の今日は、午前中、裏山伝いにある畑の野菜の収穫だった。最近は、猪(いのしし)とかが山から下りてきて、作物を荒らすことが多くなっていた。当然、川戸もその対策としてネットを被(かぶ)せたり、周囲に柵(さく)を張り巡らしたり、その他にもいろいろとやってみたのだが、一向にその効果は現れなかった。敵もなかなか強(したた)かで、あの手この手を駆使して進入したのである。そういや、隣の畑の駒石も、昨日、そのことで愚痴っていたのである。川戸と駒石は家も近かったから、ここはひとつ集団的自衛権だな…と、画面のニュースを見ながら川戸は漠然(ばくぜん)と思った。だが、案外早く、その事態は現実に巡ってきた。
 三日ばかり経(た)った朝のことである。駒石が慌(あわ)てて玄関へ踊り込んできた。
「川戸さん! 偉(えら)いことですぞっ! 私の畑もだが、あんたの畑も、かなり荒らされとります!」
「いよいよ、集団的自衛権ですなっ!」
「はぁ?」
「ははは…いや、なに。電流を流す対応策です。少し要(い)りますが、費用とかは折半ということで、どうです?」
「ああ! そういうことですか。この前、言っておられたやつですな。しかし、常時、流すとなれば、費用対効果が…」
「ああ、それもありますな。ともかく、しばらくは集団的自衛権ということで、交互に夜は見回りましょう」
 川戸は最近、覚えた集団的自衛権という文言(もんごん)を多用した。
「? …はあ」
「それにはまず、安全保障法制整備に関する協議をする必要がありますな」
「そんな大げさな…」
「いえいえ、こういうことは、いろいろな場合を想定して、協議しておく必要があります。なにせ、集団的自衛権ですからな」
「はあ…。そういうものでしょうか?」
「ええ、そういうものです。場合によって想定せねばいけません」
 川戸は言い切った。
「はあ…」
 駒石は川戸に圧倒され頷(うなず)いた。その後、始まった二人の協議は一時間に及んだ。
「まあ、この15事例でよしとしましょうか。それじゃ今夜は私、あしたは駒石さんの見回りということで…」
「分かりました、では…」
 駒石は静かに川戸に背を向け玄関を出ようとした。
「集団的自衛権で!」
 川戸は後ろ姿の駒石に念を押した。駒石はギクッ! とした。
「はっ? …はい!」
 駒石は川戸に天然さを少し感じながら表戸を閉めた。

                                    完


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生活短編集 53 慌[あわ]ただしい

2014年09月28日 00時00分00秒 | #小説

 営業一課の邦山は会社のエントランスを慌(あわ)ただしく歩いていた。ジィ~~っと座り続ける彼の姿を、今まで誰も見たことがなかった。
「おいっ! 慌ただしいのが戻(もど)ってきたぞっ!」
 エントランスを対向してすれ違った課員が携帯を手にし、急いで同僚へ電話した。
「分かった! 緊急警報、発令!!」
 課内の課員が携帯に出た。課内に一瞬、緊張が走った。邦山が戻れば、課内をバタバタと動き回るのが目に見えている。営業一課の連中は、一斉(いっせい)に顔をデスクへ向け、視線を書類やパソコンのモニター画面へと向けた。邦山に関(かか)われば、それだけ邦山が課内に留(とど)まる時間が長引く。長引けば、邦山のことだからバタバタと用もないのに、あちこちをウロウロと動かれる・・などと心配する破目になる。そうなれば、小忙(こぜわ)しいから仕事に集中出来ない、という寸法だ。だいいち、狭(せま)い課内を歩き回るものだから、埃(ほこり)っぽくていけない。課内の連中は、誰もがそう思っていた。
 そして今日も、その邦山が外回りから戻ってきたのである。彼の姿を課内で気づいた第一発見者は誰彼なく、『緊急警報、発令!!』と皆に伝える申し合わせが出来ていた。それを知らないのは、邦山、ただ一人だった。戻って来た邦山は、自席のデスクへ座らず、課内をまず、ひと回りし始めた。丁度そのとき、課長の堀田と課長代理の瀬崎が話をしていた。二人は当然、邦山が目に入った。
「課長、どうします?」
「どうしますって、どうにもならんだろう、君…」
「彼は一日中、出歩いていてくれてる方が…。出社と退社のときだけ姿見せてくれりゃ、それで十分です。それとなく課長から、言って下さいよ」
「だな…。その方が邦山君にも好都合だろう」
「ええ、そうですとも…。それに、こちらも助かります」
 瀬崎は課内を歩き回る邦山を目で追いながら言った。
「おい! 邦山君!」
 さすがに邦山も堀田の話を聞くときだけは動かない。その現象は課員もよく知っていた。緊張していた全員が緩(ゆる)んでダレた。邦山は課長席までスタスタと歩き、停止した。誰とはなく、フゥ~っと安堵(あんど)の吐息が漏れた。
「邦山君、君には悪いんだが、こちらから電話で指示するからさ。直接、契約先へ出勤して退社時以外は外を回ってくれ。昼食と休憩は適当に取ってくれりゃいい。伝票は会社回しでいいからさ」
 堀田は腫(は)れものに触(ふ)れるかのように優(やさ)しく言った。
「それがいいよ、邦山君…」
 瀬崎は堀田に追随した。
「はい、分かりましたっ!」
 邦山は一も二もなく同意した。
「それじゃ、出てきます」
「おっ? ああ…」
 あっけない邦山の返事に、二人は唖然(あぜん)として邦山を見た。邦山は満面の笑みで課を出ていった。自(みずか)らの動きを制御できないから、邦山としても好都合だったのだ。
 次の日から営業一課の慌ただしさが消えた。課内はお通夜となり、ただ一人、外回りの邦山だけが慌ただしく華やいで動き回っていた。

                                   完


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生活短編集 52 虫歯哀歌

2014年09月27日 00時00分00秒 | #小説

 やっと歯医者から解放された喜びで小学校三年の和弘はウキウキしていた。というのも、この夏のスケジュールは自分なりに考えて、ビッシリ詰まっていたからだ。それらのスケジュールを熟(こな)すには、一日の余裕もなかった。そんなことで、和弘はウキウキと家へ帰宅した。
「ただいま!」
「あら? 早かったわね…。もう、いいの?」
 ママの亜耶が怪訝(けげん)な面持(おもも)ちで訊(たず)ねた。
「終わり終わり! もう、完全に終わり!」
「完全に?」
「そう、完全に。もう一生、行くことはないんだから!」
 和弘は自信ありげに強く言った。この時点で和弘は鼻歌混じりで階段を昇り、自室の勉強部屋へと急いだ。気分は快適で、その心理で出る鼻歌といえば好きなサルフィというグループが唄う流行歌である。悲しい演歌などでは決してなかった。まあ、演歌は祖父母や父が聞いている程度で、和弘に縁(えん)はなく、好みでもなかったのだが…。
 和弘は北叟笑(ほくそえ)みながら、夏休みの絵日記を開いた。なんといっても夏休みはまだ優に3分の2以上は残っているのだから、笑みも漏れる訳だ。
 ━ きょうは、さいごのはいしゃさんへいった。もう、こなくていいよ! と、せんせいにいわれた。かんぜんにおわった。うれしかった ━
 書き終わった和弘は急に治(なお)った歯を見たくなった。和弘は柱に掛(か)かった鏡の前で口を大きく開いて歯を見た。確かに治療されて治っていた。和弘はホッとした気分で口を閉じた。こうして、事は終わったかに見えた。
 二週間が順調に流れ、和弘のスケジュールも、この分でいけばすべて片づく目安がついていた。そうした、ある日の朝である。和弘はいつものように洗面台の前で歯を磨(みが)いていた。口を漱(すす)ぎ終わり、なにげなく口を開いたそのときである。この前、治療を終えた歯の反対側の奥に少し黒くなった部分を見つけた。和弘は何かついてるんだろう…と軽く思い、歯ブラシでその部分を擦(こす)ったが取れなかった。完全な虫歯だった。和弘のテンションは急降下した。
「あら? どうしたの?」
「歯医者さん…」
「完全に終わりじゃなかったの?」
 ママの亜耶は少しニンマリとした顔で言った。
「…」
 和弘は返せなかった。ちょうどそのとき、祖父が流す演歌のカラオケが離れから哀れに聞こえてきた。

                                 完


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生活短編集 51 カメレオン

2014年09月26日 00時00分00秒 | #小説

 湯山はカメレオンのように生きてきた。彼には生まれもってその才に長(た)けていた。まず、自分がその場に存在する気配を消すことが出来た。もちろん、よく見れば湯山の姿は見えるのである。だが、意識してその場を見ないと見過ごしてしまう、いや、湯山にすれば、他人を見過ごさせてしまう能力に長けていたといえる。要は、その場にいる人物以外の景色に溶け込む能力があったのである。辺りに溶け込めるものがなく、これはまずいぞ…と思えたときは、スゥ~~っとその場から去る能力も備わっていた。
「ここが分からんなぁ。湯山君!」
 開枝専務が書類から顔を上げ、専務室を見回した。そのとき、湯山の姿はすでに専務室にはなかった。
「あれっ? 今、横にいたんですがねぇ? 呼びましょうか?」
「いや、もういいよ。あとで調べとく…」
 あるときなど、こんな出来事があった。湯山は部下の磯崎とともに大物契約の一件で取締役会に呼ばれていた。
「このままでは、この契約は競合相手に取られてしまうぞ! これは湯山課長が指揮していたんだったな」
 取締役が左右にズラリと並ぶ中、中央最前列の鳥串社長が威厳を込めて言った。湯山と磯崎は最後部で社長に対峙(たいじ)して立っていた。
「いや、そうでしたが、今は磯崎にすべてを任せております」
 湯山は小声で呟(つぶや)くように言った。
「なにっ? よく聞こえなかった。もう一度…」
「今は磯崎にすべてを任せております!!」
「ええっ!!?」
 磯崎は不信感を露(あら)わにして横に立つ湯山の顔を見た。湯山は悪びれもせず、平然と立っている。本当は、湯山が指揮していたのだった。
 万事が万事、この調子だったから、湯山はいつの間にか会社でカメレオンと呼ばれるようになっていた。ただ、湯山にも会社へ貢献するメリットはあった。カメレオンと呼ばれるだけに捕食性に長けていたのである。もちろんそれは虫ではなく、新たな事業展開、契約確保への先見性だった。
「いやぁ~~会長、湯山君には参りましたよ。まさか為替レートがこれだけ変わって含み損が見込まれるとは…」
 会長室の応接セットに、先代社長で今は会長の鳥串と息子の鳥串社長が座っている。
「そうらしいな…。大幅に海外輸出を見直したんだったね? どうも彼には先見性があるようだ…」
「肝心なところで消えなきゃ、なおいいんですが…」
 二人は顔を見合わせ、大笑いした。

                                  完


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短編小説集(100) 困った人

2014年09月25日 00時00分00秒 | #小説

 男は悩んでいた。することなすこと、すべてが裏目に出るのだ。
━ 俺なんか、この世に無用なんじゃないか。だったら、いっそう、ここから飛び降りて死んでしまおう… ━
 男がそう考えたことは幾度もあった。そして今日も、この小高い山の絶壁へ来ていた。
 夕方、男は病室に寝ていた。
「また、あなたですかっ! これで、何度目でしたかねっ!!」
 医者が病室へ慌(あわ)ただしく入ってきて、不機嫌な顔で言った。
「… さあ…」
 医者は、なにやら綴(と)じられたファイルを開け、確認するように回数を数えた。
「…31! …32! …33度目です!」
「ああ、そんなになりますか…」
 男は感慨深そうに、しみじみと言った。
「ほんとに、困った人だ! 私も医者ですから、治療はしますよっ! そりゃ、しますよっ! だけど、また来る人は、さすがに嫌だ! いや、そういう意味じゃなくて…。なんて言うのか…」
「患者は診(み)るが、わざと来る人は嫌だと?」
「そう、それっ!! あんたが言ってどうするんです、困った人だ」
「私は、わざとじゃないんです。死ねないんですよ、先生」
「そりゃ、無理でしょうよ、あの場所なら…。落ちても、下にクッションがありますから。まあ、軽い打撲か掠(かす)り傷」
「そうなんですか?」
「私に訊(き)いてどうするんです! 困った人だ。分かるでしょうが、あなたにも…」
 医者はいつものことなのか、掠り傷の男の腕を粗末に手指で確認した。
「私、忙(いそが)しいんでねっ! それじゃ! あとはいつものように…。困った人だ!」
「どうも…」
 男にとっては、医者に会えることが唯一(ゆいいつ)、希望が叶(かな)う瞬間だった。
 医者は、ついてきた若い女看護師に無言で指示した。そして、男の腕を離すとUターンして部屋のドアを開けた。医者は内心で、ちっとも困っていなかった。この男がちょうどストレスを晴らすいい材料になっていたのだった。
「困った人だっ!!」
 医者はドアを閉じると、少し大きめの声で言い放った。

                              THE END

 


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短編小説集(99) 訴訟[そしょう]

2014年09月24日 00時00分00秒 | #小説

 炭川は、いよいよ今年もその季節か…と思っていた。手間はかかるが、植木消毒の頃合いとなったのだ。だが、昨年の冬の蓑虫(みのむし)取りも気が進まなかった炭川である。当然、植木の消毒も気が乗らなかった。というのも、ある意味で虫の生活妨害なのだ。
 植木側の民事告訴により裁判で争われるようになったこの問題は、被告、原告双方の当事者を一堂に会し、華々しい論戦を展開していた。炭川は裁判長席に裁判長として座り、被告、原告双方の言い分を冷(さ)めた目耳で見聞きしていた。
「裁判長! 我々にとっては死活問題なのであります。他人の生活を脅(おびや)かす権利は誰にもない! そもそも、害虫などと呼ばれること自体、我々としては心外なのであります! 終わります」
 虫の代表が、かくかくしかじか…と、さも我々が正しいのだと言わんばかりの声高(こわだか)で論じ、席に腰を下ろした。
「原告!」
「散々、我々の茎や葉を食い散らかして、なにを言わっしゃる! 害虫以外のなにものでもないではありませんか!!」
「裁判長! ただ今の発言は、我々を冒涜(ぼうとく)しております。名誉棄損(めいよきそん)のなにものでもない! 取り消しを求めます!」
「静粛(せいしゅく)に願います!」
 炭川は左右の裁判官と小声で相談した。
「原告側は感情的にならないように…」
「失礼しました。害虫、益虫の判断は人間が生活上、判断するものですから、棚上げいたします。しかし、我々が被害を被(こうむ)っておるのは、厳然(げんぜん)とした事実なのであります」
 裁判は被告、原告側の交互の口頭弁論により進行していった。そのとき、炭川はクラクラッとし、意識が遠退(とおの)いた。そして、いつの間にか、法廷の場面が変わっていた。
「そうだ! 人間が一番、悪いんだ! 人間には生れた仔馬は可愛いとか言って、その馬肉を食うことを何とも思わない野蛮さがある!」
 原告席の虫の代表が叫び、裁判長席の炭川を見た。
「それは言える! 森林を伐採(ばっさい)してゴミ捨て場にし、それをなんとも思わん!」
 被告席の植木側の代表も叫んで、枝を揺らした。 
「人間に判決を下す資格はないっ!」
「そうだそうだ!!」 「今すぐ、裁判長席を下りろっ!!」
「静粛に!! 静粛に!!」
 炭川は立ち上がり叫んでいた。だが、騒然とした法廷内は、いっこう収まる気配がなかった。駄目だっ…と炭川が思いながら腰を下ろそうとしたとき、裁判長席の椅子は消えていた。炭川は奈落の底へ落ちるような気分で意識がふたたび遠退いた。
 気づくと、炭川は野原の真ん中で眠っていた。額(ひたい)の先に虻(あぶ)が止まっていた。
『フフッ!』
 炭川は笑い声を感じた。虻は炭川を刺しもせず、どこかへ飛んでいった。人間は思いあがっている…と、炭川は思った。

                                THE END


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短編小説集(98) 拘[こだわ]り

2014年09月23日 00時00分00秒 | #小説

 深夜、魚釣がテレビを点(つ)けると、討論会のような民放番組が流れていた。著名な芸能人関係のタレント番組か…と思いきや、政治家の有名どころも出演しているではないか。他番組が低俗に思えた訳ではなかったが、これは久々に面白そうだ…と魚釣は不謹慎にも思い、そのまま観ることにした。テーマは、他国の批判を浴びている某宗教施設への参拝問題だった。合祀(ごうし)とかの難解な言葉が飛び出し、やっとその意味が分かったところでCMとなった。A級とかB級とか…俺は今、リバウンド級で体重を減らそうとしてんだっ!と、魚釣は餌(えさ)をとられた釣り人のように訳の分からないところで怒りながら観続けた。じぃ~~っと内容を聞いていると、どうも拘(こだわ)った発想が、出演者の第一感にあるようだった。左と右だな…と失礼にも思えた。魚釣は『宗教って怖くない?』と、画面へ問いかけてみた。イスラムの方々には申し訳ないが、神が人を殺していいと言う訳がない! イエスの教えではないが、右の頬(ほお)をぶたれたら、ドラマ的に倍返しは現実的なんだろうが、ぶたれないようにすゃいいだろ? と…。人類よ、拘っちゃいかん! これが魚釣の冷(さ)めた結論だった。どうも温暖化しているのは地球環境だけじゃなさそうだ…と思えたのだ。確実に人間も感情的に温暖化していると…。拘りを捨てれば人類はすべてから救われるように思えた。それは、宗教であり、思想であり、民族感であり、言語であり、経済体制であり、国という単位であり…である訳だと。そのとき、魚釣の頭に、ふとメロディが浮かんだ。
 ♪ そのうち なんとか なるだぁろぉぉう~~~ ♪
 今ではもう、知る人も減ってしまった無責任な歌だった。

                                THE END


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短編小説集(97) 移住

2014年09月22日 00時00分00秒 | #小説

 西暦2140年、人工重力装置の開発に成功した人類は、新(あら)たな星への移住を実行しようとしていた。人類が100年以上も他の星への移住計画を断念せざるを得なかったのには一つの大きな問題があった。その問題とは、無重力空間に長期滞在することにより、人間に生じる生理的問題であった。地球上において1Gの重力の下(もと)で進化をし続け、そして今日もその地上で生存している人類が、無重力下で長期間、生存するには、やはり無理があったのである。その事実が判明したのは、宇宙の無重力環境に20年滞在した宇宙飛行士が地上へ降り立ったときだった。その男は0→1Gの急激な重力変化に即応できず、降り立った現地でショック死した。この事故は世界を震撼(しんかん)させた。よく考えれば、小説やドラマ、映画が描くSF世界では、宇宙船内を、さも当たり前のように歩く人間の姿が映し出されていた。それが、宇宙での現実は、人を含む物質が空間を浮き、漂(ただよ)ったのである。
「まずは、生命の安全確保であります!」
 移住計画の断念は、米議会で演説された歴史に残る演説に尽きた。
「私達は決して宇宙への移住を諦(あきら)めた訳ではありません!」
 演説は続いた。人々はその演説が終わったとき、初めて自分達の考えの甘さに気づいた。気が遠くなるような年月を経て、ようやく人類が地上で最も生存しやすい身体へ順応、進化してきた事実を甘く考え過ぎたのである。加速度的な科学進歩が人間を傲慢(ごうまん)にしたともいえた。
 そして2140年、人類はふたたびその異星への移住という科学を進めようとしていた。果たして人類に未来はあるのか? それは、人類の誰もが知らない。

                                THE END


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短編小説集(96) 失敗

2014年09月21日 00時00分00秒 | #小説

 しまった! と民夫は思った。今朝は久しぶりに…と意気込んで料理を作り始めた、まではよかった。が、冷蔵庫から出した卵をつい、うっかり落として割ってしまったのだ。[不幸中の幸(さいわ)い]というやつで、手にした1個だけで済んだから助かった。パックごとなら目も開けられん! …と、あとから思えた。落ちた卵は当然、割れていた。さて、あとの処理である。瞬間に民夫の手は動いていた。汚(きたな)いも綺麗(きれい)も、そんな悠長(ゆうちょう)な余裕はない。床にベチャ~~と広がった卵を、そのまま放ってはおけない訳だ。フロアを拭(ふ)きとらねば…という発想だけではなく、もったいない・・という、さもしい発想も湧(わ)いた。俺は貧乏性だな…と民夫は思った。
 上手い具合にフライパンは適度に熱くなっていた。民夫はフライパンをフロアへ近づけ、咄嗟(とっさ)にコテで拡散した卵汁を掬(すく)って入れていた。殻は幾らか細かくなっている部分もあったが、ほぼ割れた状態で繋(つな)がっていたから破片は、ほんの少しだった。熱が加わっているフライパンの卵は、すぐ固まりかけた。こりゃ、スクランブルだな…と早回しに掻き混ぜ、適当に味付けして一品は完成した。味は等閑(なおざり)味だと思え、余り期待はできなかったが、それでも食べものを無駄にはしなかったのだから…と心の安らぎ感はあった。失敗だったが、食べものの有難みを知る上では、民夫にある種のプラスを与える朝の出来事となった。
  これで、普通なら話は、めでたし、めでたし…で終わるのだが、民夫の場合は、まだ話の続きがあった。洗いものをして食器類を片づけていると、コテが笑った。
『アンタは、よく使ってくれるけど、相変わらず失敗が多いな! 慎重に慎重に!』
「はい。…はあ?」
 民夫はキッチンを見回したが、誰もいない。それは当然で、他には誰もいないのだ。だから、必然的に声がするはずがない訳である。それが、民夫の耳にははっきりと聞こえたのだ。民夫は鈍(にぶ)い遅れでゾォ~~っとした。

                             THE END


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