水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

よくある・ユーモア短編集-8- 頑(かたく)なに…

2016年09月30日 00時00分00秒 | #小説

 池登(いけのぼり)は、世を斜(はす)に捉(とら)えて生きる男である。これを、ある種の達観とか悟りの境地と呼ぶ人もいるが、池登の生きざまは、また少し違った。彼はまったく他の所作を意に介さないのである。こういう男は芸能人向きなのだが、池登の場合は別にそういった目立った存在になりたい…と思うことなく、ある役所で日長(ひなが)、こつこつと同じ繰り返しの生活を送っていた。
「課長、もう時間ですよ…」
 夕刻の退庁時間が疾(と)うに過ぎていた。最後まで残っていたのは二人で、そのうちの一人、課長補佐の滝壺(たきつぼ)が席を立ち、帰り仕度(じたく)をしながら池登に声をかけた。
「えっ? …ああ、もうこんな時間か。君、先に帰っていいよ。私は、これをやっつけてから帰る」
「やはり、やっつけますか…。そいじゃ、僕はこれで」
「あっ! ごくろうさん」
 仕事の切りがつかなければ、普通の場合、明日にするか…となり、すでに心は帰宅したり、一杯飲んでいたりするが、池登の場合は違った。池登は滝壺が言ったとおり、仕事を頑(かたく)なにやっつけてから帰る男だったのである。
 あるとき、急ぎの仕事がなかなかやっつけられず、池登は孤軍奮闘、悪戦苦闘していた。よく考えれば、部下にやらせて決裁印を押せばいいだけのことなのだが、彼はそうすることを忌(い)み嫌(きら)った。というより、自分でやり、納得した書類でなければ池登の性分に合わなかったのである。だから池登は頑なに仕事を自分でやり熟(こな)し、納得した上で帰宅した。こういう話はあまり世間によくある話ではない。そんな池登だったが、彼も人の子、無理が祟(たた)ってついに体調を崩し、ダウン寸前になった。
「ははは…過労です。かなりご無理なさったんでしょうな。一週間ほどゆっくり休まれ、安静にしておられれば、すぐ元気になられます。暖かくして、栄養あるものを…。10日分の薬を出しておきます…」
「どうも…」
 医者に一礼すると、池登は医院を後(あと)にした。過労か…過労はよくある話だな…と、池登はトボトボ歩きながら思った。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-7- +α(プラスアルファ)

2016年09月29日 00時00分00秒 | #小説

 よく晴れた朝のことである。川品(かわしな)は所用を思い出し、店に電話した。
『ああ! これからですか? すみません。今日は日曜なんで、店、閉じてるんです』
「そうでしたか…。仕方ありません。では明日にでも…」
『すみませんね。明日の9時以降なら開けてますので…』
「じゃあ、そうさせてもらいます…」
 出鼻(でばな)を挫(くじ)かれた川品は、テンションを下げて電話を切った。まあ、こういうことはよくあることだ、と川品は気を取り直した。さて、何をしようか…とこれからの算段(さんだん)を始めたが、考えていなかった予定がすぐ立つものではない。まあ、いいか…と、お茶を淹(い)れて啜(すす)っていると、上手(うま)くしたもので植木の水やりをしていなかったことを川品は思い出した。そうそう! うっかりしていたぞ…と立ち上がり、水やりをしに川品は庭へ出た。水やりは数分で済んでしまった。ふと見ると植木鉢の棚が痛んでいるのに気づいた。+α(プラスアルファ)である。川品は道具のいくつかを道具箱から出し、日曜大工を始めた。今日は日曜だから、これが本当の日曜大工か…などと浮かんだつまらないジョークに小笑いして棚を修理していると、いつの間にか昼前になった。修理を終わる頃になると、下がっていた朝のテンションは回復していた。+αもいいものだ…と思いながら、川品は昼食を済ませようとキッチンの冷蔵庫を開けた。すると、今朝、収穫したダイコンの葉が目についた。このままでは萎(しお)れるぞ…と思った川品は、軽い昼食を済ませたあと、オヒタシにでもしよう…と熱湯で湯がき始めた。しばらく湯がいたあと、ダイコン葉を絞(しぼ)り、適当な大きさに切ったあと、だし汁て味つけし、小鉢に盛り付けてカツオ節を軽くふりかけた。昼食+αで、一品の完成である。冷蔵庫に入れ、これで夕飯は茶碗蒸しとコレと鰤(ぶり)刺しで整ったな…と思っていると、川品は急に眠気に襲われた。いつの間にか川品は深い眠りに沈んでいた。目覚めると夕方近くになっていた。川品はすっかり朝の所用を忘れていた。昼寝+αだった。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-6- 会食データ

2016年09月28日 00時00分00秒 | #小説

 ここは超一流の高級料理店である。一同が会し、トップ経営者達によるフルコースの会食が始まろうとしていた。経営者達が招かれた名目は懇話会への出席だったが、それは飽(あ)くまでも表向きで、実態は高級料理を味わう会・・とでも言える会食だった。
 優雅な語り口調で、隣の席に座る経営者と横目で会話をするのは、今を時めく花形企業のトップ経営者、須磨帆(すまほ)である。
「ほう…さよですか。私のとこなど高々、連結で今年も20兆ちょっとですよ」
 自慢するでもなく須磨帆はごく自然に話した。
「ええ…そらそうでしょう。いやいや、うちなど、おたくなんかとは、ひと桁(けた)違います。フォッフォッフォッ…」
 しまった! 自慢させたか…と内心で臍(ほぞ)を咬(か)んだのは、それを隣(とな)りで聞かされた経営者の柄毛(がらけ)だった。柄毛は仕方なく、下手(したて)に出て、須磨帆へ返した。
 座る二人の会話をそれとなく真ん中に立って聞いていたのは、ウエイターの羅院(らいん)である。羅院は、『好きに言ってりゃいいさっ!』と、不貞腐(ふてくさ)れ気味(ぎみ)に思いながら、ゆっくりとメインディッシュの肉料理を笑顔で二人の前へ置いた。
「…」「…」
 二人は話すのを止(や)め、正面を向いて動かなくなり、固まった。羅院は内心で『話し続けりゃいいのに…』と内心でまた思った。そういや、誰もがテープルへ置くときには畏(かしこ)まったように固まるな…と羅院は思った。席を遠ざかると、氷が解けたようにまた動きだすのだ。このトップ経営者達も同じなんだ…と、羅院はまた思った。これは面白い現象だ。この所作がすべての客でも同じなら、人間の本能的に定まった一つの動作と考えることができる。羅院は統計データをとってみよう…と決意した。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-5- ああ…お金がない

2016年09月27日 00時00分00秒 | #小説

 谷底(たにそこ)は今朝も愚痴(ぐち)っていた。
「ああ…お金がない、今朝もない…」
 ないのは当然で、昨日(きのう)から・・いや、よく考えれば何年も前から谷底には収入らしき金の巡りがなかったのである。まあ、谷底に限らず、多くの誰もが一度は口にしないまでも思う、よくある感情ではある。ただ、谷底の場合はその思いが病的で尋常(じんじょう)ではなかった。田舎で暮らす祖父から送ってもらった一万円札で買い物をしたときでも、店頭(てんとう)で「ああ…お金がない! と呟(つぶや)いたことがあった。
「ええっ? ? …手に握ってらっしゃるじゃないですか」
「ああ! そうでした。…でも私、お金がないんです」
「ははは…そら、あなたに限らず、皆さん、ない方もお有りと思いますよ」
 店の主(あるじ)は一笑(いっしょう)に付した。それはそうだな…と、そのときは谷底にも思えたから、頷(うなず)いて金を支払い、おつりと品物を手に帰宅した。その後、数日は、崩(くず)した一万円札のおつりがあったから、谷底にとっては至福のときで、資産家にでもなった気分で暮らせたのである。
「やあ! こんにちは!」
 そんな谷底が散歩で道を歩いていると、偶然、小犬を連れて対向から歩いてくる斜め向かいの豪邸に住む上山に出会った。谷底の顔に自然と笑みが零(こぼ)れ、快活な挨拶が口に出ていた。
「ああ、どうも…」
 上山も快活に挨拶され悪い気はしなかったから、笑顔で返した。二人は擦(す)れ違い、少しずつ二人の距離は離れていった。そのとき、上山はふと、立ち止まり、振り返って谷底を見た。
「谷底さん、何かいいことでもあったのか? いいねぇ…。私なんか、明日(あしたまでに、1,600万めどがつかないと不渡り出しちまうんだが…。1,500万は回収できたが、あと100万がな…」
 谷底は数千円のおつりが懐(ふところ)にあるから、ニコニコと裕福ないい気分で歩く。上山は、まだ100万の用立てが残るから、陰鬱(いんうつ)な重苦しい気分で歩く。よくあるお金に対する思いの差だ。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-4- それはない、それはない…

2016年09月26日 00時00分00秒 | #小説

 そろそろ歳末に入ろうかというある日、川久保は買い物に出ようと車を走らせた。いつもなら行きつけの店は決めていたが、天気がよかったこともあり、少し足を延ばそうか…と、この日にかぎってやや遠出をした。 少し離れた町にある商店街は多くの人でごった返していた。まあ、いいか…と川久保は適当な駐車場へ車を止めようとした。
「あっ! お客さん、すみませんねぇ~。うちはお得意さんだけなんですよ」
 駐車スペースへ車を止め、車から降りた途端、一人のガードマンらしき服装の男が小走りに近づいてきて、川久保にそう言った。
「お得意さんだけ? …どういうこと?」
 意味不明で分からず、川久保は訊(き)き返した。
「会員制なんですよ、この駐車場」
 ああ、そういうことなんだ…とは思った川久保だったが、いや待てよ? と反発して思った。
「何も書いてないじゃないの! そうならそうと、書いときなさいよっ!」
 それまで腹が立っていなかった川久保だったが、急に怒れてきた。
「書いてますよ、そこに」
 ガードマン風の男は斜め前方を小声で指さした。川久保はその指の先を見た。すると、小さな張り紙の表示板が申し訳なさそうに小さくフェンスに取りつけられていた。ただ、その大きさは見逃しそうな小ぶりなもので、誰もが気づかないような大きさだった。だが、書かれていることに変わりなかったから、仕方なく川久保は別の場所へ止めようと思った。普通の場合、店には客用の駐車スペースがある・・としたものだから、妙な店だなあ…と川久保は首を傾(かし)げながら別の店を探すことにした。
 その後、違う店の駐車スペースへ車を止め、川久保はホッとした気分で店へ入った。
「いらっしゃいませ! 何をお探しでしょうか?」
 入口には制服の案内嬢が立っていて、川久保に訊(たず)ねてきた。
「いや、別にコレというものは…」
 買うものを決めていなかった川久保はそう返すしかなかった。
「誠に恐れ入ります。当店ではお客さまのお決めになられた品物しか買えないシステムになっております。どうぞ、お引き取りくださいませ」
 川久保は、ええ~~っ!! と思った。今まで入口で指定したものしか買えない店などなかったからだ。それよりも、そんな変な店が現代にある訳がないのである。
「あのね。おかしいんじゃないの、あんた? そんな店、どこにもないよっ!」
 川久保は我を失い、完全に怒っていた。
「いえ、それはお客さまの記憶違いかと存じます。つい数日前から、そういう法律が施行されまして、どのお店でもそうなりました…」
 そうなったと開き直られては川久保としてはどうしようもなく、引き下がるしかなかった。
「ああ、そうなの? いや、どうも…」
 川久保の買う気力は完全に失せていた。喫茶店にでも寄って帰ろう…と意を決し、川久保は、店を出ると近くにあった喫茶店へと入った。入口には制服姿の店員が当然のように立っていた。腹立たしい川久保は店員が訊ねる前に機先を制し常連客のような顔でオーダーした。
「ブルマンね」
「ブルーマウンテンでございますね? お持ち帰りでございましょうか?」
「はあっ?! ここで飲むんだよ、ここでっ!」
 カップに淹(い)れられたコーヒーを持ち帰る馬鹿がどこにいるっ! と、川久保は怒れた。
「かしこまりました。では、どうぞ…」
 店員が通路を開け、川久保はようやく席へ座ることができた。これでいいんだよ、これで! と内心ではまだ怒れていた川久保だったが、そこはグッと我慢した。
 それからしばらく待ったが、いっこう店員がコーヒーを運んでくる気配がない。それどころか、水コップさえ来なかった。業(ごう)を煮(に)やした川久保は、ついに立ち上がり、店の入口まで戻(もど)った。
「あんたねっ1 私のブルマン、どうなってるの?」
「ああ、アレですか。アレは1時間待ちです。どうも…」
「もう、いい!!」
 そう吐き捨てると、川久保は家へ戻るべく喫茶店を出た。車へと戻り、エンジンをかけようとしたとき、川久保は急に眠気(ねむけ)に誘われた。
 目覚めた川久保は家にいた。買い物に出ようとして、ついそのまま眠ってしまったのだ。夢か…と川久保は思った。世の中、よくあることは確かにあるが、それはない、それはない…と川久保には思えた。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-3- 立った角(かど)が丸まる

2016年09月25日 00時00分00秒 | #小説

 朝から 街の一角の細いT字路で見も知らない同士が揉(も)めに揉めていた。ことの発端(ほったん)は、どちらが悪いとも言えぬ双方のうっかりした道路横断にあった。ちょうどその場の近くを巡回していたのが巡査の番頭(ばんず)だった。
「どうされました?」
 番頭は口論している手代(てしろ)と丁稚(でち)の二人を窺(うかが)った。
「あっ! ええところに来てくれはったわ。ちょっと聞いとくんなはれ~」
 コテコテの関西弁で丁稚が番頭に訴(うった)えた。
「それは、わての台詞(せりふ)やっ!」
 手代は興奮気味に言い返した。
「まあまあ、お二人とも落ちついて…」
 番頭は二人からコトの次第を聞いた。
「なるほど…。法律的にはオタクが悪いですが、街のルールで考えますとアナタが悪くなる。…まあ、ここは商店が並ぶアーケード街ですからなぁ」
 二人の申し分には、双方とも一理(いちり)あった。番頭は困ってしまいワンワンと犬のおまわりさんのように吠(ほ)える訳にもいかず、首筋をボリボリと片手で掻(か)いた。
「わては、ええんですけどね。この人が、とやこう言(ゆ)うもんやさかい…」
「それは、こっちでっしゃろがっ! おまわりさん、わてのほうこそ、ええんですわ。この人が偉そうに言うさかい、つい…」
「まあまあ、お二人とも…。要するにお二人とも、ええ訳ですわな。ほな、それでよろしいですがな?」
「それは、そうですけどな。一応、この街のルールでっさかい」
「誰のもんでもない公道は公道でっしゃろがっ!」
「まあまあ、お二人とも…。私の顔に免じて、なかったことにしてもらえませんかね。もうじき本署へ帰れそうなんでね。荒げとうないんですわ、ぶっちゃけたとこ…」
 巡査の番頭は帽子を脱いで二人に一礼した。
「そないな訳でしたら…なぁ~」
 手代は丁稚の顔を見ながら同意を求めた。
「はあ、そうですわなあ…」
「お二人とも、有難うございます。ぅぅぅ…」
 番頭は泣き出した。
「まあまあ、おまわりさん…」
 どちらからともなく手代と丁稚は番頭を慰(なぐさ)め、立った角(かど)が丸まった。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-2- お天気変化 

2016年09月24日 00時00分00秒 | #小説

 今朝は、よく晴れたな…と、パジャマ姿の芋皮(いもかわ)は、焼きあがった焼き芋のような美味(うま)そうな顔で空を見上げ、欠伸(あくび)をした。こんな天気がいい日に家の中で燻(くすぶ)っているというのも、いかがなものか…と、芋皮は政治家の答弁のように偉そうに思った。そのときである。急にドカァ~ン! ズシィ~ン! と家の外から響くような騒音がした。ご近所迷惑もいいものだっ! と芋皮は怒れてきた。すると、妙なことに今まで晴れていた空に雲が広がり始め、瞬(またた)く間に全天を覆(おお)ったのである。嘘(うそ)だろ? と芋皮は焼けた芋が冷えた、余り美味そうでない顔つきで思った。しばらくの間、その音は続き、芋皮は、ついに頭にきた。いったいなにごとだっ!? とばかりに、芋皮は窓から家の外下を垣間(かいま)見た。すると、どうも工事のようで、業者が地面を掘り返しているではないか。芋皮はついに頭にきた。すると、それに合わせたかのように雨が降り出し、やがてそれは豪雨となった。すると、雨でその日の工事が中止となったのか、音は間もなくすると止まった。
「それでいいんだよ、それでっ!」
 なにがそれでいいのか? 芋皮自身にも分からなかったが、ともかく芋皮は得心した。すると、雨がまた了解したかのように小降りとなり、やがて止(や)んだ。芋皮は、すっかり腹が空(す)いている自分に、ふと気づいた。おそらくは偶然に過ぎない自然現象に、芋皮はこういうお天気変化って、よくあるよな? と、自分を無理に得心させながら、冷えた芋を電子レンジでチン! したような火照(ほて)り顔で思った。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-1- その場しのぎ 

2016年09月23日 00時00分00秒 | #小説

 こうしよう! と思って出かけたものが、そうならなくなることは、確かによくある。
 今日の舟川の場合がそうだった。終ったときはすでに黄昏(たそがれ)る頃で、しかも何をやっていたのか、皆目(かいもく)分からないような無意味な一日となっていた。舟川は、ほうほうの態(てい)で家に帰り着いた。就寝前、舟川は風呂を浴び、ふと考えた。俺の何が、いけなったのかと…。
 朝の10時過ぎ、舟川は地下鉄に揺られ、傘を買おうと、とある店へ向かっていた。定休日は分かっていて
、時間的に店が開いていることは、ほぼ確信できたから、それほど小難しい買い物とも思えなかった。ところが、である。頭で描いた想定は、ものの見事に崩(くず)れ去ったのである。
 舟川は店の前にやってきて、まず最初に、ガツ~ン! と一発、打ちのめされた。店前には臨時休業の張り紙がしてあり、シャッターは閉ざされていた。まあ、仕方ないか…と舟川は、その場しのぎで次の店を考えた。
 次の店が開いているかも分からないまま、舟川は別のとある店へと行き着いた。幸いにも店は開いていた。舟川は、これでOKだ! と思った。だが、世間はそう甘くはなかった。その店は会員制のご用達で、一元客は入れない高級傘専門店だったのである。舟川は、ぅぅぅ…と普通人である己(おの)が身を呪(のろ)った。だが、仕方がない。目的は果たさねばならない。そのときふと、小腹が空(す)いていることに気づいた舟川は腕を見た。すでに昼どきになっていた。まあ、いいか、腹を満たせてから…と舟川は適当な店に入ることにした。だが、ふたたびところが、である。これ! という食べられそうな店がない。舟川は歩きに歩いた。ようやくそれらしき店が遠くに見えたとき、それまで順調に歩けていた右靴の革底に舟川は違和感を覚えた。見ると、靴底の革がめくれていた。これでは、傘屋に寄ったり、食事をしている場合ではない。舟川は急遽(きゅうきょ)、靴屋を探し始めた。だが、あまり来る機会が少ない方面だったから、さっぱり当てがなかった。歩きづらい靴のまま、その場しのぎで引き摺(ず)る ように歩いていると、神の助けか、前方に交番が現れた。舟川は縋(すが)る思いで、その交番へ入った。
「あの…つかぬことをお訊(き)きしますが、この辺(あた)りに靴屋さんはありませんか?」
「靴屋ですか? …ああ! あのビルの地下二階がショップ・モールになってましてね。そこにあったはずです」
「どうも…」
 舟川が交番を出ていったあと、巡査は付近の地図帳を開き始めた。
「確か…あったよな。ほら、あった! 最近は、よく店が変わるからなぁ~。…あっ、しまった! 今日は閉店だ…」
 呟(つぶや)いたあと、巡査は慌(あわ)てて飛び出したが、時すでに遅し。舟川の姿は交番の前から消えていた。
 結局、舟川は傘を買うという当初の目的を果たすことなく、何をやっていたのか、皆目(かいもく)分からない無意味な一日を過ごし、ほうほうの態(てい)で家に帰り着いたのだった。その場しのぎは、そう甘くないのである。

                    完


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サスペンス・ユーモア短編集-100- サイバーマン

2016年09月22日 00時00分00秒 | #小説

 世の中にはサクッ! と軽く、サクッ! とノルマ分の捜査を熟(こな)し、定時には消えていなくなる・・そういう割りきったサラリ-マン捜査を心がける刑事もいる。捜査第二課の軽井がそうだった。軽井は今の時代、注目度が非常に高い知能犯捜査の係に配属されていた。いわゆるサイバー犯罪対策班の一員としてである。軽井は緻密(ちみつ)な頭脳に恵まれ、電子機器関係は学生当時から得意としていたから、その腕を買われた・・ということである。
「それじゃ、私はこれで…」
 同僚(どうりょう)の刑事は、なんだ、もう帰るのか…といった呆(あき)れ顔で席を立つ軽井を見た。軽井が課を出て去ると、課内は少し雑然とした。全員、疲れが溜まっているようで、首を回す者、肩を片手で叩(たた)く者といった按配(あんばい)で、俄(にわ)かにダムから放水されて流れ落ちる水に似ていなくもなかった。
 さて、軽井はその後、どこへ消えたのか・・読者の方々も、その辺(あた)りを注目されておられると思うので、はっきり言わせていただくが、軽井は極秘基地にしているアパートの一室へと消えたのである。そこには、なんと驚くなかれ、まだこの世には存在しない秘密電子機器の幾台かが置かれていた。この装置を使えば捜査第二課など真っ青の犯人潜伏場所が、ただちに発見できたのである。軽井はその場を匿名(とくめい)で二課の同僚へ通報し、逮捕させた。彼こそが表面ではサラリーマン捜査をやりながら、その実態は、犯人のアジトを探る正義の味方、スーパーマンならぬサイバ-マンだったのである。軽井は一時間後、今度は捜査員の軽井として課へ電話した。
「ハハハ、ハハハハハ…」
 犯人逮捕に今宵(こよい)も軽井の勝利の雄叫(おたけ)びが、アパートの一室に谺(こだま)した。

               完


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サスペンス・ユーモア短編集-99- カラスの足は黒くない

2016年09月21日 00時00分00秒 | #小説

 ここ尾亀(おかめ)署が建つ一角はカラスの大繁殖で至る所が糞(ふん)だらけになっていた。駐車場は申すに及ばず、ベランダ、最上部の屋上・・と、悪臭が漂い、捜査会議などが開ける状態ではなかった。会議に臨む刑事課の全員が背広姿にマスクでは、なんとも様(さま)にならない。そんなことで、でもないが、署内に換気装置が新たに設置されフル稼動する事態に立ち至っていた。
「おい、室畑(むろはた)! 今日はお前の番だったなっ。よろしく頼むぜぇ~~」
 ニタリと笑い、同僚(どうりょう)の麦川(むぎかわ)が室畑の肩をポン! と一つ叩(たた)き、課を出ていった。というのは、学校のようにカラスの糞掃除が当番制になっていて、各課が二(ふた)月づつ回り持ちで掃除をする決まりになっていた。そしてまた、その二月の約60日を各係の四係が15日づつ割り持っていた。さらにまた、その15日を各係員が分担する・・という日々の繰り返しだった。むろん、掃除担当の清掃業者は合い見積[アイミツ]を取る形で随意契約を結んでいたが、カラスの糞掃除は、さすがに契約に盛り込まれていなかった。当然、今日の掃除当番の室畑は捜査を離れることができたから、考えようによれば、まあある意味で骨休みにもなった。
 室畑はバケツの水をコンクリート地面に撒(ま)きながら、ゴシゴシ! と、柄の付いた束子(たわし)ブラシでカラスの糞を洗い流していた。
 ひと息入れ、動作を止めた室畑は、ふと、署の屋上に止まる一羽のカラスを見上げた。カラスは束子ブラシを持つ室畑の方を向き、カァカァ~と美声で挨拶した。
『いやぁ~旦那(だんな)、ご苦労さんです。いつも、ご迷惑をおかけし、すみませんねぇ~』
 カラスがそう鳴いているように、室畑には聞こえた。
「そういや、カラスの足は黒くねえな…。ヤツはシロかも知れん…」
 室畑は初めて気づいたように独(ひと)りごちた。

               完

  ※ カラスの足は黒くないのですが、外に吊るしたお正月用の神仏膳の干し柿は食べられますから注意しましょう! ^^


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