水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第七回

2009年05月31日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第七回

 その一部始終を、場内の片隅に座る左馬介だけが見続けていた。
「どうも、五郎蔵の奴、近々、動くようですよ…」
「そうか…。で、山上一人で、一家もろとも始末できそうか?」
「それなんですがね。山上さん、最近は酒浸(びた)りで、とぐろを巻いてるようなんです。腕は確かなんですが、ムササビも必死ですから」
「五郎蔵が、のさばりゃ、堀川の者達ゃ何してんだと世間が騒ぐだろうしな…。放っておいても、おかなくとも…」
「孰(いず)れにせよ、騒ぎになりますか?」
「ああ…。それに、放ってもおけんだろうぜ。無論、先生の胸三寸だが…」
 蟹谷と長谷川の話は廊下越しに続いた。
「このことは、他の者には伏せておくのだ。当たり障りなきよう申せばよい」
「はい」
 道場を出た後の話は、当然、左馬介が知る由もない。
 物集(もずめ)街道沿いの旅籠、千鳥屋から二町も離れていない所に三洲屋があった。五郎蔵一家の息がかかっている旅籠だけあって、大層な羽振りのよさである。


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第六回

2009年05月30日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第六回

「そうよ…。少しは分かるとみえる。姿を心で捉えよ」
 そういうことか…と、左馬介は思った。樋口の諌言(かんげん)以降、一馬は構え直すと微動だにしない。
「どうだ? 儂(わし)の姿が見えてきたか?」
 樋口の語り口調は、背後から声を掛けた幻妙斎と、どこか似通ったところがあると左馬介は感じた。それにつけ、皆が山上のことを余り話題にしなくなったのは何故なのか…。実のところ、左馬介の胸中は、稽古よりも、そちらの一件が気掛かりなのである。今し方も、井上と神代が話していたのも長谷川がいないという好都合な口実があったからだが、食事やそれ以外の場合でも、ほとんど話題を耳にすることはなくなっていた。自分が知らされていないだけで、皆には蟹谷が山上のことは口するな…と、釘を刺したのではあるまいか。左馬介は、少なからず疑心暗鬼に陥っていた。
 長谷川は午前の稽古があと暫くで終ろうとする頃に戻ってきた。長谷川が蟹谷へ目線を送り、合図めいた首を縦に振る仕草をする。蟹谷も、その投げられた視線に気づいて、
「よ~し、これ迄! 皆、やめ~い!」
 と云い捨てると、長谷川が立つ道場入口へと歩き去った。そうして、長谷川に何やら語り掛けながら消えた。


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第五回

2009年05月29日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第五回

「蟹谷がいる日は左馬介にお呼びがない。結局、打ち込み稽古の出来る日は、井上が代理で立った日のみであったが、幻妙斎の声を想い出し、苛(いら)だつ心を静める左馬介であった。
 汗を拭き終え、井上と神代がふたたび防具を被り、掛り稽古を始めた。凄まじい掛け声が道場に谺(こだま)する。場内は蟹谷が神棚前に厳(いかめ)しい形相で立ち、その前で井上と神代、塚田と長沼、樋口と一馬が組稽古で組み合っている。奇妙なのは、いつも朝餉の時分に現れる変わり者の樋口静山が、どういう訳か既にいて、一馬に稽古をつけていることだった。左馬介には、その訳が分からない。
「そのような打ち込みでは、身体に掠(かす)りすらせぬぞ。どこに目を付けておる!」
 いつもは無愛想な樋口の口が珍しく動いて、一馬に声が放たれる。一馬は樋口の言葉に幾らか上気し、遮二無二、樋口へと打ち掛かる。左馬介は二人の様を凝視する。樋口が円弧を描いて撥ね上げた一馬の竹刀が宙を舞い、床板めがけて激しく落下した。床板を叩きつける竹刀の音が衝撃的に響いた。
「観見(かんけん)の目付が出来ておらぬ…」
 左馬介には樋口が口にした内容が解せない。竹刀を拾って立った一馬が両眼を閉じ、ふたたび中段に構えた。


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第四回

2009年05月28日 00時00分00秒 | #小説

    残月剣 -秘抄-   水本爽涼

      
《騒ぎ》第四回

「先生にも呆れたもんだ。まだ、お飲みになる積もりかねえ。…とんだ呑み助を雇っちまったよ。堀川のお方だというんで、つい信じちまったのが、いけなかったのかねぇ…」
「腕前の方はどうなんです? 旦那様」
「だからさあ、今云ったように、信じたから雇ったんだよ。腕前なんざ知る訳がないだろ」
「店の者が皆、云ってますよ。あんなので大丈夫なのかって…」
 二人は思わず天井を眺めた。
 堀川道場では、今日も早朝から激しい猛稽古が始まっていた。
「おい、長谷川の姿が見えないようだが…」
「蟹谷さんの命で、千鳥屋へ探りに行ったそうだ…。一馬がそう云っていたぞ」
「山上の奴をか? …あ奴はもう、堀川とは縁切れの者だが…。いったい何の為だ?」
「そんなことを俺が知るか…」
 正座の姿勢で両眼を閉ざし、ひたすら無となると、研ぎ澄まされたかのように遠くで汗を拭いながら語る井上と神代の小声が聞こえてくる。左馬介は、こうし続けていることも闊達(かったつ)さを養う稽古なのだ…と、思うようになっていた。だから、腹は立たないし、冷静に辺りの気配を感じ取れる。


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第三回

2009年05月27日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第三回

「やかましいわっ! 黙って持ってくれば…」
 呂律(ろれつ)も回らぬ言葉尻が途切れ、山上は瞼を一、二度、開け閉めした後、上半身をグラつかせると畳上へ崩れ落ち、そのまま大鼾(いびき)を掻き始めた。仲居の女は、そんな山上の一挙手一投足を見て、
「旦那も、こんなのでいいのかねえ…余り腕が立つようにも見えないが。五郎蔵一家は名うてのワルだよ…」
 と、独り言を吐いて、階下へと足早に消えた。
 階下では千鳥屋の主人、喜平が慌しく逗留客を捌(さば)いていた。葛西宿の物集(もずめ)街道沿いの旅籠は、この千鳥屋と、もう一軒、五郎蔵一家の息が掛かった三洲(さんしゅう)屋があるだけで、他には、これといった旅籠がなかった。
「旦那様! 入口で、また客を取られました…」
 番頭の佐助が、口惜しそうに不平を云う。
「そうかい。ここん所(とこ)、毎日だねぇ。…どうせ、五郎蔵とこの若い者(もん)の仕業だろう。ここを賭場にしようって魂胆だ。私の目ん玉の黒いうちは、指一本触れさせやしない。そのうち、先生に片をつけて貰うから、放っておきなさい」
「左様で御座居ますか? …」
 渋々、佐助は溜飲を下げた。


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第二回

2009年05月26日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第二回

「いいえ…。私は、ふと、そう思っただけですから」
 左馬介は謙遜して、片手首を扇のように激しく振って否定した。
「いいや、それは一馬が申すとおりだ。一本取ったな、秋月」
 小笑いして一馬に同調したのは、師範代の、そのまた代理を仰せ付かって喜んだ井上である。左馬介は、つまらぬことを口にした…と、後悔した。だが、この左馬介の何げない一言がその後の堀川道場に波風を引き起こす大きな要因となっていくのである。
 その後、十日ばかり過ぎていったが、山上は遂に道場へは戻らなかった。 ━━ 来るは拒まず。また、去るもよし ━━ この幻妙斎の口癖のように、山上与右衛門が破門になることはなかったが、道場の定まった決めにより、道場に掛けられた門弟の表札は知らぬ間に外され、門弟籍もいつしか消されたのである。山上も、そうなるであろう…とは、知っての上であった。堀川道場から物集(
もずめ)街道沿いに十町ばかり離れた千鳥屋の木賃部屋で、安い銚子酒を呷(あお)る山上の日々が続いていた。
「もう二本ほど持って来い!」
「先生。そんなに飲んじゃ、毒ですよぉ」
 三十を疾うに過ぎたと思える仲居の女が、親切心で止めだてをする。それがまた、山上の心を逆撫でした。


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第一回

2009年05月25日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第一回

 門弟達は、全てが次男坊以下の無駄飯食らいと呼ばれる連中であった。長兄が家禄を継ぎ、いつの日か家を出なければならない身の上だが、彼等は自ら家を去り、この葛西にある堀川道場へ入ったのだった。無論、幻妙斎の意に適(かな)わず、左馬介の父の清志郎がそうしたように、足繁く通って入門を請い、漸く許しを得た者も一人、二人はいたが、大方は容易(たやす)く入門を許された。ただ一人、葛西者の樋口静山だけは、皆から“偏屈者”と、陰で揶揄(やゆ)される通い者だったから、左馬介には、この男だけが、そうした勝手気儘(きまま)が許されている背景に何かある筈だ…と、思えていた。
「樋口さんは地の人ですし、通っておいでなのですから、私共よりは経緯(いきさつ)はよくお知りなんじゃないでしょうか」
 十五才の若造が…とは、誰も云わなかった。夕餉の飯を装う左馬介に、皆の視線が釘付けになった。
「秋月! その通りだ。その手があったか…。よく云ってくれたな。おい! 迂闊(うかつ)だったぞ、皆」
 一同から褒めの溜息が漏れた。直接、口にして褒めた蟹谷でさえ、気づかなかった考えだった。左馬介と同じように中央に座って切り盛りする一馬が、汁を装いながら、
「そうでしたねえ…。何故、気づかなかったのでしょう…。流石ですね、左馬介さん」
 と、声を掛けた。


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第二十八回

2009年05月24日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《師の影》第二十八回

 確かに、師とは語らいの機会が数度あった。だがそれは、一方的なものであり、左馬介が言葉を受け、言葉で返したという性質のものではなかった。要は、単に聴いていた…、というだけの語らいなのである。
「千鳥屋のこと、先生は既に知っておられた。ははは…、儂(わし)もそろそろ、この道場に暇(いとま)を乞う時節が到来したが、まさか、この時に及んで、与右衛門の奴が出奔し、千鳥屋の用心棒になろうとは思おてもおらなんだぞ。…まあ、腕はここの門弟だったのだから、程々には遣(つか)えるのだが…。問題は、相手がムササビの五郎蔵一家だからなあ…」
 朝餉の席で、皆を前に話した後、蟹谷は箸を口へ運びながら隣席の井上に、そう話した。その声が左馬介の耳にも小さく届いて、聞こえた。
「旅籠の千鳥屋と云やあ、葛西じゃ随一ですが、何故、五郎蔵一家が嫌がらせをしてんでしょうねえ?」
 井上は食べ終え、白湯(さゆ)を飲みながら訊ねた。
「それなんだがな。どうも、賭場にしようって魂胆らしい…」
「葛西は、この堀川道場が売りものですし、賭場で有名になりゃあ、私らの沽券(こけん)に関わりますよ」
「そういうことだ。山上のことは扠置いても、堀川道場としても看過する訳にも、いくまいて…」
「先生は、如何様(いかよう)に仰せで?」
「いや、訊いてはおらんから分からぬが、もう既に、そのことで動いておいでの御様子じゃ」
「先生は神出鬼没ですからなあ。ははは…」
 二人が笑い合っている。左馬介の両耳にも、その声は届いていた。

                                  (師の影) 完


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歌のご案内

2009年05月23日 00時00分00秒 | #小説


 ヶ岬   
              (クリックしてお聴き下さい)  水本爽涼 作詞
 
                              麻生  新  作編曲
              
   旅に出た 今の私に  
  
何があると 云うのでしょうか
    
全てが消えた 儚さを 
  忘れるために ただそれだけよ
   風が騒ぐ 波が叫ぶ 
  遅れて雪が 頬を撫でる
 
カモメが迷う 飛沫(しぶき)が撥ねる
   経ヶ岬に立ち尽くす

  寂しさも 何故か消えたわ

   遠い昔 懐かしいんです
   逝った貴方の 残り香を 
  見つけるために ただ来ただけよ
    風が怒る 波が喚く 
   遅れて雪が 頬を撫でる
  カモメが嘆く 飛沫(しぶき)が凍る
   経ヶ岬に立ち尽くす

   死ぬなよと 云った言葉が

    耳の奥で 消えないのです
     私一人が 遺されて 
   何を頼りに 生きるのでしょう
      風が叱る 波が弾く 
     遅れて雪が 頬を撫でる
   カモメが落ちる 飛沫(しぶき)が誘う
   経ヶ岬に立ち尽くす


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第二十七回

2009年05月22日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《師の影》第二十七回

 静寂の中に、左馬介が一人いた。
「早く行かぬと、昼の握り飯がなくなるぞ」
 その時、どこからともなく響く幻妙斎の声がした。辺りを見回すが、言葉の後は笑い声が聞こえるだけで、師の姿は左馬介には見えない。
「心で見よ。さすれば、自ずと我が姿は見えようぞ…」
 只者ではないことは左馬介にも分かっていた。しかもそれは、入門した日から肌で感じている。しかし、こうして何度も現実離れした夢のような幻に遇(あ)うと、やはり幻妙斎の神懸り的な異様さを左馬介は信じざるを得なくなっていた。そしてまた今日も、その想いが益々、強まっていた。左馬介は、聞こえた師の声に従って、静かに両眼を閉じた。だが、今の左馬介には、何も見えては来なかった。それどころか、師範代の蟹谷が井上に任せて幻妙斎の所へ山上の一件を報告に行った筈だ…と、妙な雑念が湧く。更には、そうであるなら、幻妙斎が果て山上の出奔を知っているのか…が、気になる。左馬介に声を響かせた幻妙斎には、少しの動揺も感じられなかった。やはり、このお方は超人なのだ…と、左馬介には思えた。
 山上が葛西の千鳥屋に頼まれ、やくざ相手の用心棒になっているという風の噂が道場に齎(もたら)されたのは、出奔の数日後であった。
「先生は、『去りたき者は去ればよい…』と、云われたぞ」
 と、次の日の朝餉の席で、皆を前にして蟹谷が話した様子から推し量れば、幻妙斎は鷹揚な人柄であるように左馬介には思えた。


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