水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

サスペンス・ユーモア短編集-17- 狒狒山(ひひやま)牧場転倒事件

2016年07月01日 00時00分00秒 | #小説

 狒狒山(ひひやま)牧場で従業員の一人、河馬口(かばぐち)が馬糞(ばふん)で滑(すべ)り、転(ころ)んで死んだ? 近くの警察、牛淵(うしぶち)署の署員は、ただちに現場に急行し、他殺、事故死の両面で捜査に入った。
「揚(あげ)さん、馬糞で滑るもんなんでしょうか?」
 刑事の鹿尾(しかお)は、警部の揚羽(あげは)に小声で訊(たず)ねた。
「さあ…俺に訊(き)かれてもな。検死の先生、遅いな。えっ! 事故で今日は無理って? 困ったもんだ。ともかく…現にこうして仏さんは死んだんだっ…だろう?」
「はあ。まあ、そうでしょうね…」
 二人は馬糞の臭気(しゅうき)に顔を歪(ゆが)めながら沈黙して横たわる河馬口を見つめ、訝(いぶか)しそうに首を捻(ひね)った。
 そこへ現れたのは別の刑事、猪野窪(いのくぼ)である。
「揚さん、どうも害者(がいしゃ)は急いでたようです。煮物の鍋の火を点(つ)けたままにして、慌(あわ)てて消しに走ったようです」
「そうか…そんな証言が取れたか。まあ、あとは鑑識(かんしき)待ちだな。我々はそろそろ、引き揚(あ)げるとするか…」
 残された物証は、河馬口が滑ったとき馬糞の中へ落としたと思われるキーホルダー一ヶだけだった。鑑識の係員は嫌な顔でそれを袋に入れ、持ち帰った。その後、現状に横たわる河馬口の移動が許可され、捜査員達は引き揚げた。その直後だった。死んだはずの河馬口が寝かされた布団で息を吹き返した。河馬口は頭を強く打ち、一時は死んだ。それは確かだった。だが、彼は生き返ったのである。有り得ない奇跡が起きていた。牛淵署へその知らせが飛び込んだのは、夕方だった。
「なんだ、人騒がせなっ!」
 知らせを聞いた鑑識の係員は、怒りの余り、物証をゴミ箱へポイ捨てた。
「あっ! 君々。それは本人へ返さないといかんぞ!」
「はい…」
 係員は上司に怒られ、嫌々、馬糞の付いたキーホルダーを拾い上げた。その頃、揚羽、鹿尾、猪野窪の三人の刑事は、腹立たしそうに屋台で自棄酒(やけざけ)を飲んでいた。狒狒山牧場の事件は単なる一件として酒で忘れ去られた。

                   完


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