水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

よくある・ユーモア短編集-100- 始まりと終わり

2016年12月31日 00時00分00秒 | #小説

 始発の電車があれば終電車があるように、始まりがあれば終わりがある。始まったまま放置されると、その物事は終わらず続くから、どんどん溜(た)まることになる。それはまるで、川が堰(せ)き止められ、溜まった水でダムになるようなものだ。国の累積債務だけは、減らして終わらせて欲しいものだ。債務の水嵩(みずかさ)は今も増え続けているというのだから、困ったものである。
「あなたっ! 湯舟、大丈夫っ!」
「あっ、しまった! 出しっぱなしだっ!!」
 妻の久恵に訊(き)かれ、片岸は、ハッ! と、湯を出していたことを思い出し、浴室へ、ひた走った。急ぎの用をやっていたから、軽はずみ感覚で浴室の湯を蛇口から出し始めたのだ。ただ、出したまではよかったが、この行動はまだ、始まってはいなかった。というのも、片岸は浴槽(よくそう)の栓(せん)で蓋(ふた)をするのを忘れていたのだ。これでは、蛇口から勢いよく湯が流れ込んでも、下からダダ漏れて抜けるだけなのである。いっこうに湯は浴槽に溜まらず、激しく出ているだけ・・という構図になる。しかし、片岸の頭では湯舟の湯は溢れそうになっていたから終わっていない・・構図だったのである。現実は始っておらず、片岸や久恵の思いは終わらず、の相違を生じていた。
 半時間後、始まっている中東紛争やテロ、無益な殺戮(さつりく)は終わって欲しいものだ…と、偉そうに考えながら、片岸は自分の失敗を棚に上げ、湯舟にドップリと浸(つ)かっていた。
 始まりは終わりがないと、世の中が乱れることは、確かによくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-99- 本音(ほんね)

2016年12月30日 00時00分00秒 | #小説

 人は知らず知らずのうちに自分を飾る。いや、自分は飾ってないぞっ! と言われるお方も、どこかで自分をよく見せよう…と着飾っておられるのだ。それは目に見える外観、見えない心理面の両面を含めてである。
「ははは…何をおっしゃる。たかだか、2億程度の儲(もう)けですよ。大した額じゃない」
 顔で笑いながら、その実、ホールディングス会長の平岡は、どうだっ! 大したものだろう…と内心で自慢していた。この自慢する内心が平岡の本音(ほんね)である。聞いているのは、これも平岡と肩を並べるほどの大物で、AT財閥の総帥、編竹(あみたけ)だった。
「いやいやいやいや…ひと言(こと)で2億を稼(かせ)げるお人は、そうざらには、おられませんよ」
 にこやかな顔で返した編竹だったが、その実、私だってその程度はすぐに動かせますよっ! …と内心で見栄を張っていた。この見栄を張る内心が編竹の本音である。双方、外見も超一流ブランドの特注品の背広で着飾っていた。これは目に見え、どうだ! いい服だろう! とばかりに双方が主張する本音だ。
「どうです? 今夜あたり、一献、傾けるというのは…」
「ほう! いいですなっ! 料亭、鰻政ですか…。あそこは300年の老舗で、天然ものですからな」
「そうそう! 秘書に手配させておきます。今宵(こよい)、六時あたりで、いかがですかな?」
「はあ、それで…」
 この飲み食い話に関しては双方とも本音で、強(あなが)ち人は飲み食いの話となると、本音で語ることが、よくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-98- 適度

2016年12月29日 00時00分00秒 | #小説

 慌(あわ)てれば、ろくなことがない・・と、よく言われる。そうかといって、落ちついていればいいのか? と考えると、そうでもない。要は、適度・・ということに他ならない。このファジーな感覚は人それぞれで異なるが、達人ともなると、この適度な感覚が絶妙で、寸分の狂いも生じない。この感覚を得る方法だが、こうすればよい・・という定まった答えはない。鉄板焼ソバの独特の香ばしい風味とか鰻(うなぎ)の蒲焼(かばや)きの絶妙タレ味などがそれだ。あの風味やタレ味は、幾度も幾度も積み重ねられ、初めてあの適度な味となる訳で、短期間で賞味できる味ではない。適度な行動感覚が恰(あたか)もその絶妙味や風味の感覚に似通っている。
 日曜の朝、新発売される玩具(おもちゃ)屋の店頭である。早朝の4時だというのに、すでに数人が並ぶ列ができていた。検察事務官の岡田は、その列の先頭で寝袋(シュラフ)に包(くる)まれ、身体を半折り状態にして地面に座っていた。そこへバタバタ…と小走りでやってきたのは、検事の霜川である。
「岡田君、よく来れたね? 私なんか、土曜の夜からホテルに泊まりこみだよ」
「長年、集めてるマニアですからね。列ができる時間とか込み具合は、おおよそ頭に入ってるんですよ」
「ほう! 大したもんじゃないかっ! 私も長年のマニアだが、来年は退官だからな。もう君のような元気はないよ」
「ははは…ご冗談をっ!」
 霜川と岡田はタッグを組んでいて、検察庁内ではフィギュアコンビと呼ばれ名を馳(は)せる、マニアックな変人だった。
「いつも君は先頭だが、何かコツがあるのかい?」
「ははは…そんなもんありませんよ。今朝の場合、発売が過去シリーズのビンテージの復刻版ですから、そう大した人込みは…と見込んで、適度な時間に家を出ただけのことです」
「それで先頭か…。私なんか、安全策を取った挙句が、このざまだ」
「ただ、2時に家を出ただけなんですけどねぇ~。新シリーズのレアものなら、帰らず外食して直行です」
「普通のフィギュアは?」
「ははは…モノによりますよ。適度に…」
「適度か。適度ねえ…」
 多くても少なくても・・大きくても小さくても・・太すぎても細すぎても…適度を失すれば、物ごとがダメになることは、確かに、よくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-97- 価値

2016年12月28日 00時00分00秒 | #小説

 価値が決められる評価の基準は曖昧(あいまい)なものである。苦労して手に入れたガラス製の一個の色づきビー玉は、一人の子供にとってはダイヤモンドより価値があるものかも知れない。
「石崎君、君すまんが来週の土、日さ、月、火に変えてもらえんか」
「ええ~っ! 来週の日曜ですか…?」
 課長の岩辺にそう言われ、課長補佐の石崎は一瞬、躊躇(ちゅうちょ)して怯(ひる)んだ。次の日曜は石崎にとっては大事な日で、婚約した女性の家を訪問するという大事な予定があったのである。会社の方針で、去年から課長補佐以上の管理職は月に一度の土、日出勤が義務づけられていて、今月の番は岩辺だったのである。
「ああ、ちょいと野暮用ができてね。いやなに…どうしても! とは云わんが。出来れば! の話だ。…なんなら、水曜も休んでもらってもかまわん。月、火、水と三日も休めりゃ御(おん)の字じゃないか」
 上目線の陽気な笑い声で言う岩辺だが、内心では、どうしても次の土、日は休みたかったのだ。岩辺の用向きとは、妻にはゴルフで・・と誤魔化し、その実、絆(ほだ)されて出来た女性との一泊旅行を目論(もくろ)んでいたのである。石崎にとっての土、日の価値と岩辺の土、日の価値は、双方とも同等に思えた。ところが世の中は上手(うま)くしたものか悪くしたものかは分からないが、^^ 岩辺の相手と石崎の婚約者は同じ店で働く店員同士で、岩辺の目論見は二人の語らいにより呆気(あっけ)なく表沙汰になってしまったのである。
「あらっ! そうなのっ!! …そりゃ、あなたの方が大事だわよ。私もね、離婚しない人、待ってたって仕方ないから、そろそろ他を探そうかな・・って、思ってたとこだったから…」
 二人の間で価値は決定的に格差を見せた。
 二日後の会社である。
「あっ! 石崎君、アレね。アレ、もういいわ…」
「課長、少し元気がありませんね。どうかされましたか?」
「いや、まあ…」
 岩辺は別れ話を持ちかけられた・・とも言えず、口籠(くちごも)って暈(ぼか)した。
 世の中ではやはり、真の価値が価値と評価されることが、よくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-96- 拘(こだわ)れば肩こり

2016年12月27日 00時00分00秒 | #小説

 立て板に水・・とはよく言うが、物事をスンナリと受け流せば肩がこらなくて済む。それを、ああやこうや・・ああたらこうたら・・どうのこうの・・どうたらこうたら・・と拘(こだわ)れば、肩こりの原因ともなる。
 医学界の変人と言われ、肩こり総合研究所を立ち上げた灯台付属病院の手羽先(てばさき)教授は、その因果関係を解明しようと日夜、室内に籠(こも)り、研究に没頭していた。
「白滝(しらたき)君、どうだった? こったかね?」
「いや先生、それがつい病(や)みつきになりまして、ゲームに没頭してしまいますと、思ったほど測定の数値は上がらず、それほど肩もこりませんでした…」
「そうか…楽しみと拘りは、また別だというデータかな、ははは…。脳細胞は、やはり楽しめば乳酸を発生させないことになる…」
「そのことは、先生が発表された論文でも結論は出ているかと…」
 今年、助手から講師に昇格した白滝は、語るのも恐れ多い・・といった言いようで、呟(つぶや)くように小さく言った。白滝にとって、先生あっての私…とでもいった言いようである。
「うむ…。まあ、地道に進めるとしよう!」
「はい!」
 少し前、白滝はライバルの筑寝(つくね)と講師のポストを争い、勝利したのだった。講師選考に落ちた筑寝は、先輩の開業医の下で働くことにして付属病院から去ったのである。その軋轢(あつれき)の拘りで、実のところ、白滝はかなり肩がこっていた。同じように、手羽先も愛(まな)弟子を退職させた失念の拘りから、かなり肩がこっていた。
 拘れば肩こりになることは、確かによくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-95- 雑念

2016年12月26日 00時00分00秒 | #小説

 人は右、車は左・・これは当然、日本では守らねばならないルールである。入歯(いれば)はそんな雑念を浮かべながら、その日もギコギコと自転車を漕(こ)いでいた。すると、正面から二人の学生服を着た若者が迫ってくるではないか。一人は早足で歩き、もう一人は自転車をゆっくりと漕いで話しながら入歯に迫ってきた。入歯は一瞬、? と躊躇(ためら)った。というのも、冷静に考えれば一人は○で、もう一人は●なのだ。○は早足で歩いてくる学生で、●は自転車を漕いで迫る若者なのは歴然としていた。が、しかし、である。この場合、ルールを守っているような守っていないような半端な状態なのだ。入歯は脇へ逸(そ)れ、自転車を停車させた。本人達も恐らく、悪気(わるぎ)はないように思われ、そのまま通り過ぎていった。ただ、こういう場合でも、短気な人なら怒鳴(どな)り、トラブルとなる危険性がある。そのトラブルが傷害事件・・いや、殺人事件にエスカレートすることも、なくはない…と入歯は雑念を膨(ふく)らませたが、まあ、そんなことはないか…と思い直し、ははは…と笑い捨てた。そしてまた自転車を漕ぎ始めると、今度は年老いたお婆さんが乳母車(うばぐるま)を押しながら正面から迫(せま)ってきた。動きは緩慢(かんまん)だが、中央を歩く堂々の進み方で、わが王道を行く! 感がしなくもない。入歯はまたまた雑念を浮かべ、躊躇った。乳母車も一応、車なのだから左通行をしなければならない・・と考えれば●となる。だが、お婆さんは右側を歩いている訳だから、○なのである。入歯が、さて、どうしたものか…と思う間もなく、お婆さんはニコニコした笑顔で目の前まで来た。入歯はまた自転車を停車させ、道を譲(ゆず)った。お婆さんは、悪びれた様子もなく通り過ぎていった。入歯はまた漕ぎながら雑念を浮かべた。そうか! お婆さんは乳母車に乗っている訳ではないのだから、いいんだ! と。乳母車の中は買い物袋が入っていたことを入歯は思い出した。しばらく漕いでいると、入歯は、また? と雑念を浮かべた。あの乳母車に赤ん坊が乗っていれば、どうなるんだ…と。赤ん坊は車に乗っているのだから●か? いやいやいや…そんなことはない。赤ん坊は乳母車を運転している訳ではない…。そんな雑念を浮かべている間に、入歯は自分がどこへ向かっていたのかを忘れてしまっていた。
 雑念が行動を鈍(にぶ)らせることは、よくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-94- なるほど…

2016年12月25日 00時00分00秒 | #小説

 戦国時代のドラマを観ながら、古鳥(ふるとり)は煎餅(せんべい)を齧(かじ)り、なるほど…と思った。というのも、今の時代の国際情勢に少し似通った点がある…と思えたからだ。中央アジアの宗教対立に伴う戦闘が石山本願寺の戦いと…と古鳥は思った。時代は違えど、宗教は怖(こわ)い…と思えたのだ。そのとき、ふと古鳥に雑念が浮かんだ。
『昨日(きのう)、弟に煎餅を半分、先に食われてしまったのは武将としてあるまじき失態だっ! あいつは、侮(あなど)れないっ!』
 先を越されて食われた、つまらない煎餅袋の雑念だった。古鳥は、そのとき、なるほど…と閃(ひらめ)いた。
『金庫に入れて鍵をかけておけば、ヤツは食うことができない…』
 敵国の侵略を食い止めるには、その策しかないように思えた。そしてまたそのとき、いかんいかん! 俺は何を考えているんだっ! と、古鳥は初めに考えていた想念に戻(もど)ろうとした。そのとき、離れから現れた今年、85になった父がリモコンを押し、チャンネルを変えた。江戸半ばのドラマだった。格好いい侍が悪人の侍や強欲商人達をバッタバッタと斬り倒していった。それを観ながら、古鳥はまた、なるほど…と思った。よいことをするか、なにもしなければ、最低限、斬られることはない…と思えたのだ。
 世の中には、単純に考えれば、なるほど…と納得できることが、よくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-93- 分かりよい

2016年12月24日 00時00分00秒 | #小説

 遠い親戚になる家を探して、蒲焼(かばやき)は知らない町をウロウロとさ迷っていた。探し始めて小一時間、深い迷路に入り込んだようで、益々、捜索は困難を極めた。しかも、人家や人通りはほとんどなく、日も傾き始め、蒲焼は次第に焦(あせ)ってきた。
「すみません…。つかぬことをお訊(き)きしますが、串打(くしうち)さんというお家(うち)は、この辺(あた)りにございませんか?」
 蒲焼は、やっと通りかかった老人に、縋(すが)りつくように訊(たず)ねた。
「… 串打さんですか? それなら、そこの通りを真っすぐ行ったところにある十字路を右に曲がり、しばらく行ったところにある歩道橋を渡ります」
「はあ…ありがとうございました」
「いえ、その歩道橋を下りると今度は左に折れ、細い十字路を三つ渡った所の右側の角の家です」
「はあ…どうも」
「お気をつけて…」
 老人は、そう言うと、蒲焼から遠ざかって行った。蒲焼は言われた道を辿(たど)って歩き始めた。
『え~と…十字路だろ。ああ! アレか…』
 前方に言われた十字路が見えてきた。蒲焼はその十字路へ早足で近づいて行った。ところが、である。そこで蒲焼は、はて? と停止した。右に曲がるのか、左に曲がるのか…を忘れてしまったのである。蒲焼は、しばらく立ち止まっていたが、意を決して左に曲がって歩き始めた。聞いた道は右折だったが、信号は行けども行けども現れなかった。蒲焼は、かなり焦っていた。すでに辺りは漆黒の闇が近づき、街灯さえ灯(とも)り始めた。そのとき、救いのように灯る一軒の人家があった。蒲焼は、躊躇(ためら)うことなく、その家のチャイムを押していた。
「あの…すみません」
『はい…どなたです?』
 訝(いぶか)しげな老女の声がした。
「この辺りにお住みの串打さんを探している者ですが?」
『串打さんですか…』
 しばらくして、玄関戸がガラガラ…と開き、老女が姿を現した。蒲焼は老女に一礼した。
「串打さんはね…、この道を右に折れてしばらく行ったところにある歩道橋を…」
 老女がそこまで言ったときである。
「あの…すみません。この紙に書いて下さい!」
 蒲焼は持っていたティッシュを一枚出すと、手帳の鉛筆を取り出した。
 道を探しているとき、言ってもらうより書いてもらった方が分かりよいことは、よくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-92- とにかく!

2016年12月23日 00時00分00秒 | #小説

 鏡台(きょうだい)病院のカンファレンス室である。
「恐らく、無理でしょう…」
 外科医の紅口(べにくち)は、対峙(たいじ)して座る櫛川(くしかわ)に女っぽいオネエのような口調で説明した。その説明を聞く患者の夫、櫛川は、この先生、大丈夫かい? …と不安そうな顔で紅口の顔を窺(うかが)った。
「恐らく・・ということは、妻が助かる可能性もあると?」
「ええ、まあ…。ないこともなくはない、といった程で。ほほほ…」
 なにが、ほほほ…だっ! と櫛川は切れそうになったが、そこはグッ! と我慢して、思うに留(とど)めた。しかも、ないこともなくはない・・とは、随分と回り諄(くど)い言い方である。ないこと→ない→ないのならあるんじゃないかっ! そこは、助かる可能性もあります! だろ!? と、また櫛川は怒れたが、やはりグッ! と我慢して、思うに留めた。
「このままですと、いずれにしてもダメです。やりましょう、とにかく!」
 当たり前のことを紅口に理路整然(りろせいぜん)と言われ、またまた櫛川は怒れたが、少し怒り疲れたのか、そう腹も立たなくなっていた。
「とにかく! よろしくお願いいたします…」
「分かりましたっ! じゃあ、あとから同意書にねっ!」
 紅口は色目を使って櫛川を見た。俺は、その気(け)はないぞっ! と櫛川はゾクッ! とした。
 手術は、とにかく! 行われた。そして、何がどう間違ったのか、スンナリと成功したのである。
 物事はダメ元で、とにかく! やればOKになる・・ということは、よくある。

                            完


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よくある・ユーモア短編集-91- 流行(はや)り言葉

2016年12月22日 00時00分00秒 | #小説

 とある会場では賑(にぎ)やかな[今年の流行語大賞]が発表されていた。杉枝はその中継をテレビで観ながら、もう今年も終わりだな…と、欠伸(あくび)をしながら短い一年を思った。リモコンを押し、チャンネルを変えると、国会の委員会中継が、これも賑やかな響きで中継されていた。
『御(おん)党は…』
 んっ? 本当は? 本当も何もあるかっ! 本当に決まってるだろうが…と、耳にした瞬間、杉枝は思った。議員が御党と発言したことが分かったのは中継が終わってからだった。新聞の記事に委員会の質問と答弁の重要部分が抜粋(ばっすい)で掲載されていた。御党か…これも流行(はや)り言葉だな…と、杉枝はつまらなく思った。杉枝は居間を立つと盆栽に水を…と、庭へ出た。買物帰りの妻の梢(こずえ)が、連れ立って戻(もど)った近所の松林とペチャクチャと、雀のように賑やかに話し合っていた。賑やかだな…と、杉枝はその闊達(かったつ)さに舌を巻いた。盆栽に水をやっていると、「そうそう、アレねぇ~」と声がきた。そして梢が、「アレしかないわよ、絶対にアレ!」と返した。杉枝は流行り言葉のような[アレ]が何なのか気になりだした。とはいえ、「アレってなんですか?」と、二人の会話に割り込むのも気が引ける。まあ、あとからでもいいか…と、消えない好奇心をグッ! と抑(おさ)え、杉枝は家へ入った。幸い、家の中まで二人の話し声は聞こえなかった。杉枝は、ホッ! とした。ただ、好奇心は益々、募(つの)り、梢が早く家へ入らないか…と、心だけが焦(あせ)った。
「おいっ! アレってなんなんだっ!」
 梢が家の玄関へ入るや、杉枝は叫ぶように言った。
「アレ? ああ、アレ。アレはアレよ」
 梢は自分の頭の髪の毛を指さした。杉枝は意味が分からず、キョトンとした。
「どういうことだっ?!」
「馬鹿な人ねぇ。そんなムキになることないじゃない。スーパーの並木さんよっ!」
「スーパーの並木さんが、どうしたっ!」
「だからっ! スーパーの並木さんのコレよっ」
 梢はまた頭の髪の毛を指さした。
「コレ?」
「まだ分からない? 禿(は)げ隠(かく)しの鬘(かつら)じゃないかって話よ」
「… 鬘か? 並木さん」
「どうもね…。前のめりに身体がなったとき、頭が動いたから。おとなりの樫岡さんの奥さんも見てたんだから…」
 杉枝は、この町の流行り言葉は[アレ]だな…と漠然(ばくぜん)と思った。
 流行り言葉が特定の範囲内で流通しているということは、よくある。

                            完


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