ぅぅぅ…と、関係ない人がもらい泣きで流す涙がある。他人から見れば、全(まった)く縁(えん)も所縁(ゆかり)もない人が突然、泣き出すものだから要領を得ず、取り乱してしまうことになる。^^
とある葬儀の会葬場面である。棺(ひつぎ)が近親者や身寄りの人々によって霊柩車に納められ、今、まさに葬儀場を後(あと)にしようとしている。
『ぅぅぅ…』
縁の深かった人々の小さく嗚咽(おえつ)する声が、時折り聞こえる。周囲を取り囲む一般会葬者達は、そう悲しくもないから、軽く合掌(がっしょう)して見送る程度だ。
「本日はご多忙にもかかわりませず、ご会葬・ご焼香を賜り、誠にありがとうございました。お蔭さまをもちまして、これより出棺の運びとなりました。生前中はひとかたならぬご厚情、ご厚誼(こうぎ)にあずかり、故人もさぞ、皆様に感謝していることと存じます…」
葬儀社が流すBGMとアナウンスが哀れを増幅させる。と、そのときである。
「ぅぅぅっ…!! ワァ~!!!」
遠く離れた会葬者の中から、突然、静寂を破り、ボロボロと涙を流して泣き出した人がいる。もらい泣きである。会葬者の視線は一斉にその声の方向へと向けられた。
鼻水をハンカチでかみ、涙を拭(ふ)くものだから、傍目(はため)から見れば実に汚(きたな)い。^^ かといって、泣くなっ! とも言えず、周囲の会葬者は次第に迷惑顔になる。霊柩車の死んだ人の霊は、なにごと!? とばかりに、大声でもらい泣きした人を眺(なが)める。^^
「ぅぅぅ… どうも…」
もらい泣きした人は、ようやく冷静さを取り戻す。しかし、霊柩車はとき遅く、すでに出棺していた。会葬者達は慌(あわ)てて、去っていく霊柩車の方向へと向きを変え、ふたたび合掌する。
どうも、もらい泣きする涙は混乱を招くようです。^^
完
花粉症は鼻水や涙目などの症状をもたらす季節性の病気らしい。アレルゲンという原因物質による目鼻の炎症だという。
いつやらも、とある短編集に登場した二人の老人が、公園のベンチで話をしている。
「近くのコンビニが消えましたな…」
「ですな…。しかし、そんな目を赤くして涙を流されることでも…」
「ああ、私、花粉症で、今の時期はダメなんですわ」
「そういうことですか。花粉症は嫌ですなぁ~。私も鼻を責められております、ははは…」
そう言った老人も鼻水を啜(すす)りながら手弁当で持参したお茶を飲み干した。
「鼻ですか。ははは…私は目です。コレが欠かせません」
片方の老人はポケットからハンカチを取り出すと涙を拭(ぬぐ)った。
「私もです。お互い、賑(にぎ)やかな話ですなぁ~」
もう片方の老人もポケットからハンカチを取り出し、鼻水を拭った。
「それにしても、コンビニ弁当が食べられなくなったのは、お互い堪(こた)えますな」
「さようで…」
花粉症の涙は目と鼻を泣かせるのである。コンビニ弁当が食べられなくなったからではありません。^^
完
応援して、その甲斐なく相手の選手やチームが敗れたときに出る涙がある。当の本人には関係ないのに流れる涙、これはもう訳が分からない。^^ 感情の昂(たかぶ)りの仕業(しわざ)としか思えない涙なのである。
とある競技場である。二人の観戦者が席に座り、放心したように項垂(うなだ)れながら話し合っている。
「静山選手、負けましたね、ぅぅぅ…」
「ぅぅぅ…勝てると思ってましたが…」
「ですよね、ぅぅぅ…」
二人ともタオルがすでに涙でビショビショに濡れ、それを絞って鼻水をまた泣いている。競技場を出ようと席を立った後ろの観戦者が声をかけた。
「もう、終わったんですから…。また次があるじゃありませんかっ! 今日のところは、彼は負けてやったんだ…と思って! 私がラーメンをご馳走しますから。ねっ!」
「はいっ!」「はいっ!」
涙でビショビショの二人は打って変わって笑顔になり、サッ!と席を立った。
応援の涙は、ラーメンで止まるのです。^^
完
予想外の好結果が得られたり、悪い結果を知らされたとき、意外な涙が急に出て、戸惑ってしまうことがある。人は感情に脆(もろ)い動物・・という証(あかし)だが、私なんかも、時折り起こる現象だから厄介(やっかい)に思える。^^
とある片田舎の映画館である。この映画館は今風の入れ替えシステムではなく、入れ替え無しのうらぶれた古い映画館だ。館長の窪川(くぼかわ)はこの映画館のオーナーで管理人を兼ねている。映写技師の波山(なみやま)も開館当初からの従業員として年恰好は窪川とそうは変わらなく、五十年来の幼馴染だ。
窪川「波山さん、そろそろいつものお茶タイムにしませんかっ!?」
映写室で機械の点検をしていた波山に窪川がドアを開けて、ひと声かけた。
波山「ああ、いいですなっ! おや、もうこんな時間か…」
波山は腕に目を落とし、呟(つぶや)くように言った。二人の間には暗黙の了解が成立していて、ほぼ十時にお茶タイムで休憩することになっていた。
十分後、淹(い)れられたブルーマウンテンの香りがする休憩室の応接椅子に二人は座っていた。クッキーを摘(つま)み、コーヒーカップ片手に、二人の話は弾(はず)む。
窪川「そうそう! いつも前方の二列目に座るお客でしょ?」
波山「そんなとこで泣くんかいっ! と思いながら画面を眺(なが)めとるんですがね…」
窪川「いや、私も涙脆い方なんですがな。あの場面は予想外で、ははは…流石(さすが)に泣けません」
波山「それもすごい泣き方なんでね。上から見とりますと、他の客が難儀してるようで…」
「出て下れ! とも言えませんからな…。分かりました。入場されたとき、私からそれとなく言っておきましょう…」
「お願いします。泣かれるのなら、最後列の座席でヤンワリと…」
「ははは…ヤンワリですか。そりゃ、いいっ!」
二人は大声で呵(わら)い合った。
予想外の涙は、目立たずヤンワリ出した方が迷惑にならないようです。^^
完
涙なくしては語れない物語がある。その物語自体が悲しくて、涙なくしては語れないとはいえ、朗読する人物によっては大きな差異が生じる。要は、語り手の手腕の違い、分かりやすく言えば演技力の優劣・・によって引き起こされる聞き手の感じ方の違いだ。
語り手が悲恋物語を朗読する小劇場である。そろそろ開演が近づてきている。隣り合った席の二人の来場者が小声で話をしている。
「今日の語り手は女優の甘口辛美(あまぐちからみ)さんらしいよ…」
「そうなの?」
「ああ、彼女の語り口調は三本の指に入るくらい凄(すご)いからねぇ~」
「ただでさえ悲しい話だから、彼女じゃダダ泣きだっ!」
「いつも観客の嗚咽(おえつ)で喧(やかま)しくなるらしい」
「じゃあ、今日もそうなる可能性が?」
「ああ、あるあるっ! 僕はそう思って、いつも耳栓(みみせん)を持ってきてるんだ」
「耳栓してりゃ、話が聴けないんじゃ?」
「ははは…耳栓するのは、よほど五月蠅(うるさ)い場合だけさっ!」
「なるほど…」
そうこうするうちに、開演のベルが鳴り、甘口辛美が登壇した。そしてスポットライトが照らす椅子に静かに座った。
やがて、館内は嗚咽の渦が始まった。耳栓の客も嗚咽している。
物語は演技力で涙を誘います。^^
完
涙が涙を呼ぶ・・という涙の連鎖(れんさ)がある。
とある小学校のPTA会場である。ダレたような長い討議が終わり、ようやく出席したPTA役員達は解放されようとしていた。その中の隣り合わせた椅子に座る二人の奥様の会話である。
「まあ、そうなんですのっ!? 石綿様の旦那様が…」
「ええ、お可哀そうにお亡くなりに…」
「ええ、それも前途を苦にしての自殺らしいですの、ぅぅぅ…」
「いい旦那様でしたのにね、ぅぅぅ…」
涙が飛び火し、涙の連鎖が始まろうとしていた。そこへ、二人のすぐ後ろに座る別の奥様が話に乗ってきた。
「まあ、石綿様の旦那様がっ! ぅぅぅ…」
その声に、二人は涙しながら思わず後ろを振り返った。
「そ、そうなんですのよ奥様、ぅぅぅ…」
「ぅぅぅ…まだ、お若いのに」
「リストラが原因だったそうですわ、ぅぅぅ…」
「まあっ! 石綿様の旦那様がっ! ぅぅぅ…」
その隣に座るまた別の奥様が、すぐ後ろに座る別の奥様に驚きながら訊(たず)ねた。
「ぅぅぅ…そうらしいですわ」
その連鎖は次第に広がり、会場を埋め尽くしていった。やがて会場は涙の連鎖で涙だらけになった。登壇して話をするPTA会長は、自分の話が涙するような内容ではないから、どうも合点がいかず、困惑して話を中断した。
涙の連鎖は、ややもすると会合を中断させるウイルスのような目に見えない力を秘めているから怖(こわ)いのです。^^
完
悲しくもないのにその場を誤魔化すために流す演技的な涙がある。要は演技的な涙である。芸能界の方なんかがそうだが、涙を流すためには相当、キャスティングされた役柄になりきる必要があるに違いない。それが出来れば、涙は目薬をささなくても流せるということになる。ということは、流せない方々は、失礼な話だが、まだまだ…ということになる。^^
とある撮影所である。
「君ねぇ~! 目薬ささないで出来ないのっ!?」
「すみません…。この本、ちっとも悲しくないので…。むしろ、笑えるんです」
女優は素直に監督へ謝った。
「笑える? …そういや、少しプロットがベタで滑稽(こっけい)過ぎるな。よしっ! このシーンは思い切ってカットしようっ!」
「そんなことしていいんですか? 監督!」
「ああ、撮ってる私が悲しくないんだから、君が涙を流せんのは当然だ。脚本家には書き直してもらうように言っとくよ、ということで、今日はこれまでっ!!」
監督の一括する大声が響き、その日の撮影は中止になった。
次の日、監督は脚本家にプロットの一考を頼み込んだ。
「ぅぅぅ…そこをなんとかこのままでっ!」
脚本家は精一杯の演技力で訴えた。悲しくもないのに涙を流すその演技力はなかなかのもので、監督は、そのまま引き下がった。実は、脚本家には次の映画の台本の締め切りが迫っていたのである。要するに書き直す時間がなかっ訳である。
事情が差し迫ると、涙は演技力以上に流れるようです。^^
完
酒の飲み癖(ぐせ)に泣き上戸(じょうご)という癖(くせ)がある。飲んでいるうちにそれ程(ほど)でもないのに突然、涙を出して泣き出すという癖である。相手がいる場合、相手はいい迷惑で、慰(なぐさ)め役に回され、奉仕する羽目となる。^^
とある飲み屋である。
「ああ、それはそうだね…」
そんなことで…とは思うが、そうとも言えず、相手は相槌(あいづち)を打たされることになる。
「ぅぅぅ…だろっ! 分かってくれるのは君だけだっ! ぅぅぅ…」
何を分かれ! というのか? と耳を欹(そばだ)ててみると、支払った金の釣りが50円少なかったのだと言う。さらに詳しく聞いていると、見栄があるから言い出せなかったのだと言う。それが悔(くや)しいそうだ。涙でボロボロになった顔で泣く上戸だから遠目で見れば涙を誘うが、隣の席に座る私は訳が聞こえるから馬鹿馬鹿しくなった。聞いてられねぇ~やっ! と思えた私は席を立ち、勘定を済ませると店を出た。
まあ、泣き上戸の涙は遠目で見た方がいいみたいです。^^
完
涙を流すことによって主張するという、そんな場合の涙もある。一番分かりよいのは、赤ん坊がオギャ~オギャ~! と泣く場合だが、この場合はただ泣くだけで、涙を出して泣いておられるのか? は、疑問である。^^
とある地方で選挙戦が行われている。駅前で選挙カーの上に陣取り、街頭演説をしている立候補者がいる。
「ぅぅぅ…私にはもうあなた方の一票に頼(たよ)るしかありませんっ! 涙、涙のお願いでありますっ! どうか来(きた)る明日の投票日には、この鴨田葱男に、なにとぞ清きご一票を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。カモタでございますっ! カモタネギオ、カモネギでございますっ!」
鴨田候補はハンカチを片手に必死の涙演説をぶち上げていた。
『涙の鴨田さんか…。いつも対立候補にカモにされ、落ちておられるからなぁ…』
駅を往来する聴衆は遠目で、今回もダメだろう…と鴨田候補を哀れっぽく眺(なが)めながら行き過ぎていった。
涙を流しながら主張したからといって、必ず当選できるほど世間は甘くないのです。^^
完
計画的に出す涙もある。
とある豪邸の寝室である。巨万の富を築いた老人がベッドに病床に臥せ、眠っている。傍(かたわ)らには老人お抱えの医師が椅子に座りながら脈をとっている。ベッドを取り巻いているのは、子供達とその家族である。恰(あたか)も、寝室は大相撲の満員御礼の状況を呈している。老人の子供達は男女数人で、全(すべ)てが老人の財産を虎視眈々(こしたんたん)と狙(ねら)っている。誰もが老人の財産を有利に相続したいのである。
「ぅぅぅ…お父様っ!?」
その顔で泣くなっ! と思えるブス顔の長女がベッドによよと泣き崩れ、計画的な涙を流す。顔を拭(ぬぐ)うハンカチには来る途中に車中で仕込んだ玉葱のスライスが忍ばせてある。だから、涙は当然、計画的に出る仕組みなのである。^^
「父さんっ!」
長女の後に続き、長男が、計画的なやや大きめの声で詰め寄る。
「お静かに…。今、小康を得てお眠りになられたところですから…」
お抱えの医師が長男を窘(たしな)め、そのあと、泣き崩れた長女をジロッ! と一瞥(いちべつ)する。
「すみません…」
小声で長男が謝(あやま)る。長女も罰悪い素振りでベッドから離れる。そのとき、寝室のドアが静かに開き、老人お抱えの弁護士が入室する。老人は子供達の間で遺産相続が縺(もつ)れるのを恐れ、事前にとある人物を法定代理人に立てて遺言証書を計画的に作成していたのである。知っているのは、老人と入室したお抱えの弁護士以外は誰一人として知らなかった。
計画的に涙を流したとしても上には上がいて、効果が得られるかどうかは不確かだという一例でした。^^
完