水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《入門》第九回

2009年03月31日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第九回

 ふたたび、大声がした。
「どこを見ておる! ここじゃ、ここじゃ。…上を見てみい!」
 左馬介がふたたび辺りを見回し、そして屋敷に連なる土塀の一角に視線を向けると、驚くべきことに、一人の老人が土塀瓦の上で一振りの杖を突いて立っているではないか。その白い鬚(あごひげ)の老人こそが、この道場の主、堀川幻妙斎であることを、この時の左馬介は知る由もなかった。漸く二人の目線が合うと、その老人は柔和な笑みを浮かべ、
「やっと気づきおったか…。もう、そろそろ現れる頃だと思おてな、待っておったぞ」
 と、云うが早いか、二度、宙返りをうって地上へと舞い降りた。それだけでも左馬介にとっては驚くべきことであったが、更に驚くべきことには、その老人の吐息は全く乱れることなく、地上へと音もなく立ったという事実であった。茫然とその姿を見続ける左馬介に、
「如何した? これくらいのことで驚くこともなかろう」
 と、小笑いして、老人は厳かに云った。風に靡(なび)いて、白い鬚が微かに揺れた。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第八回

2009年03月30日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第八回

 堀川道場は、葛西で知らぬ者がないほど、地の者達に知れ渡っていた。誰彼となしに場所を訊ねると、一も二もなく道案内をしてくれた。それで左馬介は、迷うこともなく門前に立つことが出来た。
「頼もう!!」
 久々に左馬介は大音声を張り上げていた。しかし、門前は静まり返って、人の気配などは微塵もない。左右から中央に堅く閉ざされた表大門の前に佇み、暫し時が流れた。その間も、微風に乗って運ばれる門弟達の稽古の掛け声が、時折り、左馬介の耳へと届く。それでも、門を出入りする気配は未だなかった。左馬介も流石に道中の疲れからか、脚に気だるさを覚え、思わず門の石畳へと腰を下ろした。
 その時である。
「ははは…、小僧!! やってきおったな!」
 笑い声と響く声が混ざり、左馬介の頭上へ降り注いだ。左馬介は驚いて立ち上がり、辺りを右に左に見回すが、人の姿はどこにもなかった。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第七回

2009年03月29日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第七回

 暫し立ち止まり、その自然が織り成す筆致を茫然と眺める左馬介である。
「おっと!! ごめんよっ!」
 その時である。前方から矢のような影が流れ、過ぎ去った。声がしたとき、左馬介は、その声に背を向けた格好だったから、正確に表現すれば、その者と擦れ違ったことになる。それまで山麓に向けていた目線を落として振り返ると、その声の主は、既に十間(じゅっけん)ばかり遠ざかっていた。見るからに飛脚屋そのものの風体の男であった。掏(す)りでは無くてよかった…と安堵して我に帰ると、左馬介は身を転じ、ふたたび葛西への道を歩み始めた。道中、半ばで松林の林道を抜け、葛西へは、左馬介の予想通り未(ひつじ)の下刻には到着することが出来た。その途中、左馬介は美坂(みさか)川に架かる小諸(こもろ)橋の橋脚の下で握り飯を頬張り、大よそ半時、腰を下ろして寛(くつろ)いだ。その昼近くは、梅雨入り前の蒸し返るような暑気が左馬介を襲っていた。朝、出立した頃は何とも爽快な天候で気分が良かったのだが、やはり、そう上手くはいかぬ…と、少年っぽく左馬介は自嘲した。水の流れが、萎みがちな心を癒したし、何よりも、足の早くなった握り飯に臭いがなかったことに、ひとまず安心した左馬介であった。 


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残月剣 -秘抄- 《入門》第六回

2009年03月28日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第六回

 腹が空いていた所為(せい)か、その日の夕餉は、質素な料理膳にもかかわらず、左馬介には美味に感じられた。里芋の煮付け、小鮎の飴炊き、味噌の汁椀、そして香の物で、麦半分の白飯である。気楽に楽しむといった旅ではないのだから、左馬介に不平などあろう筈がなかった。それに空腹だったことが幸いしたのか、妙に箸が進んだ。気づけば、飯櫃(めしびつ)から軽く三、四杯は片付けてしまっていて、中はもう空だった。
 その夜はぐっすり眠れて、翌朝は早く宿を立った。昨夜来、降り続けた雨は上がっていたので助かった。左馬介の思惑では、昼八ツ時には遅くとも葛西へ到着する手筈であった。生憎、宿を立つ前、番頭に訊かなかったのが悔やまれたが、昼に食す積もりの握り飯は忘れず
に作って貰ったから、まあそれでよし…と、左馬介は道を急いだ。
 葛西の地に至る残りの道中は、田畑伝いに続くなだらかな道で、昨日の山道の険しさが嘘のようであった。左馬介は急ぐでもなく、その平坦な道を、気分よく長閑(のどか)に歩いていた。
 雲の切れ間より覗いた蒼空からは、陽光が光線状に漏れ、射している。ふと振り返れば、昨日越えた山麓にかかる七色の虹が、なんとも絶妙の景観を描いていた。


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春の風景 (第五話) あやふや

2009年03月27日 00時00分00秒 | #小説

        春の風景       水本爽涼

    (第五話) あやふや        

 最近、ツチガエルのオタマジャクシがスイレン鉢で元気な姿を見せ始めた。去年の秋からご無沙汰しているので知らぬ態で挨拶だけしておいた。ただ、寒の戻りがあるかも知れないから、今一、あやふやな泳ぎ方をしていて覇気もなく、あまり動かないかないばかりか時折り姿を消して、あやふやだ。
 どこの家でもそうだと
思うが、あやふやな言葉でその場を取り繕う、ということはあると思う。“あやふや”は、“曖昧(あいまい)”とも云われるが、諸外国に比べると僕達の日本は随分、表現法が緻密で豊かなことに驚かされる。
 先だっても、じいちゃんに詰問された父さんが、上手く逃げを打って、あやふやに暈した。
「お前な、休みぐらい家のことをな…」
「えっ? 何です。家がどうかしました? お父さん」
「そうじゃない! お前は直ぐそうやって話の腰を折る! 逃げるなっ!」
 将棋の駒を持つじいちゃんの手が少し震えて、怒りを露(あらわ)にしている。
「未知子さんがな、そう云っとったんだ。未知子さん、腰痛(こしいた)だそうじゃないか」
「ええ…、まあ、そのようです」
「そのようです、だと?! そ、そんなあやふやなことで夫婦がどうする!!」
 久々に、じいちゃんの眩い稲妻がピカピカッと光り、父さんを直撃した。父さんは逃げ損ねた自分に気づいたのか、思わず顔を背(そむ)けて顰(しか)め、舌を出した。
「まあ、大事ない、ということだから…いいがな。家のことを少しは手伝ってやれ」
「…はい」
 父さんは観念したのか、今度はあやふやに暈さず、殊勝な返事で白旗を上げた。しかし次の瞬間、不埒(ふらち)にも、「大したこと、なさそうですしね…」と斬り返そうとした。じいちゃんは、また顔を茹で蛸にして、対面している父さんの顔を睨みつけた。ただ、激昂し過ぎた為か、声が上擦って出ず、ウゥ…ウウウ…とか云って、後は黙り込んでしまった。高血圧で薬を飲んでいるじいちゃんは、自らの体調の危険を感じたからに違いない。そこへ、風呂から上がった母さんが顔を出した。
「マッサージに行ってから、すっかり楽になりました。御心配をおかけして…」
「ほう…それはよかった、未知子さん」
「うん、よかったな…」
 父さんも、じいちゃんに追随した。
「お前の云い方はな、心が籠っとらん!!」
 母さんを見て微笑み、父さんを見ては茹で蛸にならねばならないじいちゃんは、実に忙しい。でも、それを見事に演じきるのだから、じいちゃんは名優であろう。
 風呂番は僕から母さんへ回った月なので、僕は既に風呂から上がっていて、ジュースで寛(くつろ)いでいた。
「風呂用洗剤Yは、よく落ちるわねえ、あなた」
「だろ? また買っとく…」
「某メーカーの奴だな。…お前も、もっと光れ、光れ」
 じいちゃんの嫌味が炸裂し、父さんは木端微塵になった。
                                                 第五話 了
                            
                                                     


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春の風景 (第四話) 催花雨

2009年03月26日 00時00分00秒 | #小説
        春の風景       水本爽涼


    (第四話) 催花雨        

 小学生の僕が話すような低次元の内容ではないから話を端折(はしょ)りたいのだが、読者の皆様にサービスするという観点もあり、一応はお話しすることにしたい。
 つい最近、某局のテレビニュースが、いつもの天気予報を流した。その中で、予報官が、「催花雨(さいかう)」という文言(もんごん)について説明した。何でも、花の開花を促す雨だそうで、なんだか日本情緒がヒタヒタと感じられる最高の言葉のように思えた。最高雨(サイコウウ)と僕には聞こえたこともある。
「今年は、もう桜が咲き始めたようですよ」
「…だなあ。次の雨で上手くいくと咲くか」
 テレビを観終わった父さんが台所から居間へやって来て、大一番を指し始めてじいちゃんと話している。最近、二人の将棋は急に駒を並べることで始まり、無言で駒を仕舞い始めて終わることが多い。今夜もその類(たぐ)いで、どうも二人には暗黙の了解とかいう意思の疎通が出来ているようなのである。
「正也! 早く入ってしまいなさい!」
 二度目の催促だから、母さんの声はやや大きさを増した。『催花雨じゃなく、催促湯だな…』と不満に思いつつも僕は風呂場へと向かった。父さんとじいちゃんの横を通り過ぎると、既に大一番は佳境に入ろうとしていて、二人は盤面に釘づけであった。じいちゃんの顔などは、風呂上がりということもあるが、恰(あたか)もすっかり茹(ゆだ)った蛸のように真っ赤で美味そうだった。父さんは? と見ると、いつもの白い顔
が逆に青みを帯びていて、両者の顔は奇妙なコントラストを醸(かも)し出していた。通り過ぎた折りだけの観察だから、その後の二人の様子については分からない。
 風呂番は僕の月だった。去年と変わった点は、母さんも風呂番に加入したことである。そして、最後の者が風呂掃除をする仕組みだ。この議案は僕が提案し、採決の結果、全員一致の承認を得た案件だから、今月の僕は終い湯の後、掃除という労働に汗しているが、某メーカーの風呂用洗剤Yは随分と効果があり優れものなので、この場を借りて付記しておきたい。
 さて、掃除を終えて風呂場を出ると、唯一の楽しみのジュースが僕を待っている。特にこれから暑さが増すと、その味覚は絶妙となる。大人が実に美味いと云うビールを、いつか少し舐めたことがあるが、苦かったので直ぐに口を漱(すす)いだ。どうしてあんなものを大人は飲みたいのか…が、今の僕にとっての大疑問の一つとなっている。
 それはさて置き、居間へジュースを飲みながら戻ると、二人は未だ盤面に釘づけだった。なんでも、一勝一敗となり、これが三番目だと云う。馬鹿馬鹿しい勝負には付き合ってられない…と思え、僕はそのまま自分の部屋へ向かおうとした。その時、背後から、
「おい正也、ビールのツマミを冷蔵庫から…」
 と、父さんの声がし、次に相手を変えると、
「ちょっと、これ…待って下さい」と、じいちゃんに頼み込んだ。
「いや、待てん! 武士なら切腹ものだっ!」
 じいちゃんも、かなり依怙地になっていて、一歩も譲らない。僕はその隙に忍び足で居間を退去した。
                                                 第四話 了
                                      


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春の風景 (第三話) 探しもの

2009年03月25日 00時00分00秒 | #小説

        春の風景       水本爽涼

    (第三話) 探しもの        

「違う違う! 絶対にここへ置いたんだ。それは百パーセント自信がある!」
 朝から父さんの大声が玄関でしている。母さんと二人で何やら探している様子だが、それが何なのか僕には分からない。歯を磨いている途中だったから、僕はまた洗面所へ戻った。
「未知子さん、飯にして下さらんか…」
 今度は台所のテーブルで食事を待つじいちゃんの掠れた声がした。たぶん、腹が空いていて、痺れをきらしたのだろう。
「すみません…。すぐ食事にしますから…」
 続いて玄関からバタバタ…っと小走りする音がして、母さんがそう云ったのが聞こえた。そしてまた、母さんはバタバタ…っと小走りして玄関へ戻ったようだ。飽く迄も、こうした状況推測は、洗面所にいる僕の想像の範疇(はんちゅう)でしかない。でも、朝から小運動会をしている賑やかな家庭であることは疑う余地がないだろう。
 その後、暫くして父さんと母さんは、すっかり諦めた様子で力なく台所へ入ってきた。この時の僕は歯を磨き終え、既にテーブルに着いてじいちゃんと食事を待っていた。
「怪(おか)しい…実に怪しい。確かに昨日、帰って置いたんだ!」
「いいえ、そんなもの、戸締まりした時はありませんでした!」
 ふたたび、賑やかな声の火花が散って、
「未知子さん、飯を!」
 と、じいちゃんも声を幾らか大きくしてその勢いに加勢し、家の台所はパン食い競争の様相を呈してきた。僕は黙ってその様子を、さも第三者にでもなったつもりで眺め、『春から運動会やってりゃ、ざまねえや…』と少し悪ぶって思っていた。そうこうして暫くすると、話はいつしか途切れ、殺風景な食事風景が展開するようになった。だが、話を忘れてしまったのかというと、その実、そうではなくて、三人三様、いや、僕を入れれば四人四様に、あれやこれやと想いを巡らせているようであった。でも結局、その日の朝は、父さんが何を探していたのかは分からずじまいだった。
 それが何なのかが判明したのは夕方になってからである。
「おい恭一、庭先にこれが落ちてたぞ…」
「えっ? そうでしたか、庭に…。ははは…。見つからない筈だ。どうも、すみません」
 じいちゃんが父さんに手渡したもの、それはループ・タイだった。聞くところによると、昨夜、歓送迎会があり、夕方、常用のネクタイをループ・タイに変えて会に臨んだ父さんは、宴会部長として余興をした。その後、すっかり酔ってしまったようで、帰宅直後、玄関へ倒れこんで寝てしまい、母さんに運ばれたのだ。とんだ醜態を晒(さら)した訳だが、酔いに紛れて玄関先の庭でループ・タイを外して落としたのを忘れ、それを玄関へ置いたと思い込んだ節(ふし)がある。しかし、そのループ・タイが何故、朝に小運動会をせねばならないほどの重要物だったのかが、今もって分からない。携帯とか財布、定期の類(たぐ)いなら、僕にも分かるのだが…。要は、全くもって笑止千万で馬鹿な父親だということであろうか。じいちゃんが云った、『某メーカーの洗剤Xのように、お前もピカッ! と光.る存在になれ』という言葉は、残念ながら彼には絵空事に思える。だから、そんな父さんを父親に持つ僕自身も、大して
期待出来ない代物(しろもの)のようだ…。                                                                      
                                                 第三話 了


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春の風景 (第二話) 春の葱

2009年03月24日 00時00分00秒 | #小説

        春の風景       水本爽涼

    (第二話) 春の葱        

 今日から春休みに入ったので、僕としては非常に喜ばしい。だから、有意義に楽しませて戴こうと思っている。よ~く考えれば、学年末だということで、夏や冬季の課題とかも少なく、短いけれど、のんびり出来る最高の休みなのかも知れない。
「正也はいいなあ…。ああ、父さんもゆったり休みたいよ。じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい! ^0^ 」
 家計に生活費を運び入れる唯一の貴重な存在だから、必要上、そう云って愛想をふり撒く。この時、僕は家に昔からある湧き水の洗い場にいた。その前を父さんは通り過ぎた訳だが、洗い場で僕が何をしていたかというと(知りたくない方もおられると思うが、ご容赦のほどを御願いする)、じいちゃんから母さんに手渡された野菜、正確には葱なのだが、それを洗っていたのだ。僕は誠に感心で親孝行な息子なのである(と、云うほどの者でもない)。
「おう、やっとるな。葱は身体にいい。味噌汁によし、葱味噌もよし、ヌタにも合う。それに、焼き飯やラーメン、うどんには欠かせんしなあ…」
 じいちゃんは悦に入って解説を続ける。
「だが、惜しいことに、葱坊主が出来る時期になったから、種を取る分だけ残して全部、スッパリ切ってきた」
 そう云って、賑やかにハハハ…と笑った。じいちゃんは剣道の猛者(もさ)だから、たぶん、切るのではなく、スッパリと斬ってきたのだろう。恰(あたか)も居合いで物を斬るかのように、楽しみながら斬ってきた…とも思えた。これは飽く迄も僕の想像である。
 汗をタオルで拭くじいちゃんの禿頭(はげあたま)が、朝陽を浴びて某メーカーの風呂用洗剤Yで磨いたようにビカッと輝いた。そこへ戸を開けて母さんが出てきた。
「食べきれない分は、刻んで乾燥葱にします。…だと、日持ちしますから」
「そうですね、未知子さん。食べ物を粗末にすりゃ、罰(ばち)が当たります」
「ええ、そうですわ」
 二人は軽く笑った。両者は相性がいいので、僕は大層、助かっている。嫁と舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)の諍(いさか)いごとは世間によくあるから、非常にラッキーと云う他はない。
 陽気も麗らかだし、父さんは異動もなくこの不況下でも安定したヒラだし、じいちゃんの葱坊主の頭もよく光ってるし、母さんの機嫌もよさそうだし、僕は春休みだし、みんなほぼ健康だし…まあ、小さいながらも幸せな家庭だから、有難いと感謝しよう。
                                                 第二話 了
                             


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春の風景 (第一話) 異動

2009年03月23日 00時00分00秒 | #小説
        春の風景       水本爽涼


    (第一話) 異動        

 辺りに長閑(のどか)な陽の光が射して、いよいよ厳しかった冬の寒さから僕達を解き放つ春の鼓動が聞こえ始めた。今日も今日とて、僕は小学校へ一生懸命、通っている。父さんも一生懸命? いや、これに関しては僕の方が長けているとは思うのだが、兎も角、会社へ日々、通っている。 春休みが近づいた昨日辺りから、俄かに僕の周りではソワソワする輩(やから)が増えだした。この場合の輩は、誠に口幅ったいのだが、父さんを含む。生物、特に渡り鳥などは季節が変わると住処(すみか)を移動するのだが、人の場合は同じ移動でも異動となる。無論、これはサラリーマン以外の人々が対象外であることは云う迄もない。或る種、学年が変わるのだから、僕達も異動する…と、云えるのかも知れない。
「あなた、どうなの?」
「どうなのって?」
「異動よ、異動。決まってるでしょ」
「なに云ってる。全然、決まってない」
 朝から夫婦間の雲行きが誠に宜しくなく、じいちゃんも黙々と食べているだけで、ひと言も話そうとはしない。じいちゃんの場合は、黙々にモグモグを含んでいる。
 学校を終えて家へ帰ると、珍しくじいちゃんが玄関へ現れて、僕を招き猫のように手招きした。なに? という思いで、怪訝にじいちゃんの後ろを付いて行くと、じいちゃんが、
「正也、恭一には暫(しばら)くつまらん話はするな。奴は浮き足だっている…」
 と云う。僕は何のことだか分からず、適当に相槌を打っておいた。後になって分かったのだが、どうも会社の人事異動で父さんが心、ここにあらず…の状態だから、つまらない心配ごとは話すんじゃない、と云いたかったようだ。しかし、そんな心配は例年のように全く徒労に帰し、何事も無かったように父さんは麗らかな春の陽気の中を元気に通勤している。これも、穿(うが)った見方をすれば、やはり駄目だったか…ということになる。万年ヒラでも元気でいてくれる方が僕はいいと思うのだが、本人は、どうなのだろうか?
「いや、参った。お前、腕を上げたな」
「ははは…、まぐれですよ」
 たぶん、じいちゃんは将棋を態(わざ)と負けたに違いないのだが、父さんは仏頂面(づら)を崩して素直に喜んでいる。じいちゃんも、いいところがあるなあ…と、僕は二人の様子を覗き見ながら、ふと、そう思った。
「某メーカーの洗剤Xのように、お前もピカッ! と光る存在になれ」
 じいちゃんの物言いは、いつも、ひと言が多い。
                                                 第一話 了
                                                    


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☆お知らせ☆

2009年03月22日 00時00分00秒 | #小説

 明日より、春の風景(短編小説・前編:全五話)を連載致します。お楽しみに!
 『村雨丸・残月剣 -秘抄-《入門》第六回』は3/28に掲載致します。
 
                                      水本 爽涼


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