水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《教示③》第十四回

2010年04月30日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第十四
 左馬介は、鴨下や長谷川が試した時の映像の記憶を呼び起こし、その図を懐紙へと書き留めた。更には、綿密に詰めて、寸分の誤りも起こらないように動作を細分化する。そして、それを何度も脳裡に想い描いて頭へと叩き込む。身体で覚える実践が不可能な以上、ここは頭に覚えさせるしかないのだ。
 何やかやと失敗のない動きを頭に描いて書き記(し)しているうちに、陽は疾うに傾いて暮れようとしていた。未だ僅かに明るさが残る空を見遣り、まあ、やるだけはやったか…と、左馬介は思った。
「左馬介さん、夕餉の準備が整いました。あっ! それとも、風呂へ先に入られますか? もう沸いてますから…」
 鴨下は一人で賄いをするようになってからというもの、すっかり賄い番が板についてきた。
「どうも…。少し疲れましたので、風呂を先に…」
 そうとだけ、左馬介は軽く返した。頷くと、鴨下は直ぐ背を向けて、去ろうとした。その後ろ姿に、
「あのう…」
 とだけ左馬介は短く声を掛けていた。自分でも何故、掛けたのかは分からず、無意識がそうさせたのだった。鴨下は直ぐ振り返り、「何でしょう?」と、立ち止まった。左馬介は次の言葉に窮した。


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第十三回

2010年04月29日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第十三
 ここ迄きて、今さら…の気持なのだろう。長谷川は幾らか語気を荒げた。鴨下も怪訝な面持ちで左馬介を見る。
「やはり、これは私の修行だからです。そうです! 私の修行なのです。それ以外の何ものでもありません」
 そう云われれば、長谷川としても返すに返せない。この話は元々、左馬介が鴨下に斬り出した話へ長谷川が乗った迄なのだ。当の本人の左馬介がもういいと云えば、それ以上、する必要はないのだし、また、することは出来ない話であった。
「分かった、もう何も云わん。まあ、やるだけ、やってみろ。成功を祈っておるぞ!」
 云い終えると、長谷川は早足でその場を去った。残った鴨下は、木箱の中の燈明皿を燭台へと戻し、片付けにかかっている。
「修行なんですから、失敗がどうのこうのという問題じゃないのかも知れません。失敗を積んで成功に至る道を探すのも修行です」
 鴨下に小声でそうはっきり云われると、確かに、そうかも知れん…と、左馬介は思った。左馬介の為に納戸から出してきた頃合いの燭台を持って鴨下が下がると、左馬介は一人、思案を始めた。それを忘れぬうちに懐紙へ記(しる)す。矢立ては絶えず携帯しているから、書くものには事欠かない。


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第十二回

2010年04月28日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第十二
 長谷川は小笑いしながら手を首筋へ宛てて自分を嘲(あざけ)った。三人は、初めからもう一度やり直し、考えを重ねることにした。
 そうこうしているうちに、左馬介は少し神経質になっている自分に気づいた。全ては自分の力で、自分の意志で遣り熟(こな)さねばならぬことではないか…と、思えたのである。こうして自分の修行の手助けで長谷川や鴨下を巻き込んでいる。これでは自らの修行には成り得ぬではないか…と、更に追い撃ちをかける心が騒ぐ。そんな左馬介の心境は全く知らず、長谷川と鴨下は火が灯った燈明皿を木箱へ出し入れしながら、その所作で、どうのこうのと話している。その二人の姿を見ているうちに、少しずつ左馬介の心の中に、やはり一人でやるだけやって、駄目ならば正
直に先生に告げるしかあるまい…という心が擡(もた)げてきた。
「お二方(ふたかた)、もう結構です! 後は、この私、一人で考えてみます。有難うございました」
 知らず知らず、左馬介の口から、そんな言葉が飛び出していた。何も云おうと意気込んで云った左馬介ではない。飽く迄も、感情の昂りが云わせたものだった。しかし、一端、発した言葉は、二本差しの身には重い。
「どうしてだ? 左馬介!」


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第十一回

2010年04月27日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第十一
しかし、いざ実施という前に、左馬介は肝心なことを忘れていることに気づいた。それは、手燭台が直接、木箱へは収納出来ないという基本的なことである。即ち、燈明皿に油を入れ、そこへ燈心が入り、その燈心に火が灯っているところ考えねばならなかったのだ。要は、火が灯された燈明皿を燭台から外して木箱へ入れ、上手く滝壺を抜けられた暁に、ふたたび木箱に入った燈明皿の灯りを手燭台へと戻すということなのだ。この一工程を、ついうっかりと忘れていたことに左馬介は気づかされたのである。左馬介がうっかりしていたぐらいだから当然、鴨下や長谷川はそのことに気づいてはいない。
「一寸(ちょっと)、待って下さい!」
「どうした、左馬介」「何か?」
 と、同時に声を出し、鴨下と長谷川は急に制止した左馬介に驚いた。
「いや…全般的にはいいのですが、少し具合が悪いようです」
「えっ? よく分かりませんが…」
「手燭台は、そのまま木箱の中へは入れられませんよね」
「ん? …それは、そうだな。その細部を詰めておらなんだか。俺も年の所為(せい)か、少し手抜かりが多くなったわ」


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第十回

2010年04月26日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第十回
「燭台は道場にあるぞ。滝の見立ては鴨下に屋根へ登らせ、桶の水を落とさせればよい」
「長谷川さん、それは少し無理なようです」
 と、鴨下が話に割って入った。
「何故だ?」
「だって、滝壺に浸かって歩くという状況を作るのは、ここでは無理
でしょうが…」
「…。そうだな、迂闊(うかつ)だったわい」
「どうです。これから三人で実際に行って試すというのは…」
「しかし鴨下。それは先生にお叱りを頂戴するかも知れんぞ。左馬介、ここでは木箱に燭台を入れて灯芯が消えぬかを確認するぐらいにしろ。後は、お前が失敗覚悟で運を天に任せ、明日に臨むしかな
いだろう…」
「そうですね…」
 鴨下もそれ以上は返さなかった。黙ったまま左馬介も頷いた。
 取りあえず左馬介は、長谷川が云った通り道場にある燭台を木箱へ入れ、灯芯が消えないかどうかを試してみることにした。上手具合に消えないようなら、まず第一段階は乗り越えたことになる。下が頃合いの屋根へと登り、桶の水を上から撒く…という設定そのままやることにした。


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第九回

2010年04月25日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第九回
 長谷川も身を乗り出してきた。
「それから、外の木箱の蓋をした私は、それも紐で結わえて持ち、
ゆるりと滝壷へ入ります」
「だが、そのまま進めば、上から瀑水が激しく降ってくるぞ」
「ええ、ですから迂回をするのです」
「迂回とな?」
「はい。迂回とは、滝壺の淵に沿って外へと出る意です。多少は水飛沫(しぶき)を受けるでしょうが、瀑水を諸に受けることはな
い筈です」
「ほう! さすれば、燭台の火は消えぬか…」
「なるほど…。先生は別に水を浴びる修行を仰せではないので
から、知恵を使っていい訳ですね?」
「まあ、そういうことになりましょうか」
 その言葉に長谷川、鴨下とも得心がいったのか、頷いた。しか
し、得心がいくことと、実際に首尾よくいくかは別問題である。
「よし! その手筈でいくとしてだ。必ずしも、それで上手くいくとは限らんぞ、左馬介。未だ充分に時はある。我々も手伝ってやるか
ら、これから井戸で、やってみろ」
「やってみろ、と云われましても、他に燭台とか、いろいろ入り用ですし…」


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第八回

2010年04月24日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第八回
 一方の長谷川は、腰掛け茶屋“水無月”で、軒に出された縁台に座り、通行人の姿を注視していた。これでは二人が出食わす筈もない。ところが、長谷川はそうは思っていないし、鴨下とて同様であった。それでも、半時ほど後、人はふたたび会うのだから世間はいようで狭い。不思議なことは世にあるものである。
 
それから半時後、兎にも角にも二人は、ばったりと出食わし、細かな経緯(いきさつ)を長谷川が鴨下に語り、二人して骨董屋の蓑屋へ、とって返し、手に木箱を一つずつ持って道場へ急ぐ…という一連の行動を素早く立ち回り、やっとのことで左馬介の部屋へとり着いた。時は既に未の刻を回った頃である。左馬介は二人がにした木箱を見て、首尾よくいったようだ…と、胸を撫で下ろし
た。
「よかった! あったようですね」
「はい! 長谷川さんが上手い具合に…」
 長谷川は持ち上げられるのが苦手とみえ、しきりに恐縮した。
「では早速、この木箱をどのようにされるお積もりか、お訊きしま
す」
 幾らか早口で鴨下は訊ねた。
「中の木箱へ燭台を入れた後、その蓋は少しずつずらせておきま
す。勿論、紐で括りつけて、ですが…」
「ほう! で?」


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第七回

2010年04月23日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第七回
 これが高々、十文か…と、長谷川は悪い気さえした。大きさは大、小と手頃なようである。
「丁度、頃合いのようだ…」
「はい。上手い具合に、所々、虫食い穴がございまして、もう捨
てようか…などと思っておりましたもので…」
 捨てようとは…。主(あるじ)の言葉に長谷川は、また驚かされ
た。
 入手出来たとなれば、鴨下を一刻も早く見つけ出し、その旨を
云わないと鴨下が二度手間となる。
「連れがおるので一度出て、後でまた寄ろうと思うが・・」
 そう云うと、十文だけを先に渡し、長谷川は鴨下を探すために
一端、外へと出た。
 その頃、鴨下は長谷川と同じ物集(もずめ)街道沿いを歩いていた。とはいえ、札の辻を挟んで、長谷川とは真逆の千鳥屋の前である。街道沿いには結構、旅人の往来があり、長谷川は鴨下の姿を見つけるのに窮していた。鴨下は、長谷川が自分を探しているとは知らないし、ましてや、入り用の木箱が長谷川によって既に用立てられたことなど知る由もなかった。この時、鴨下は千鳥屋へ入ろうか、入るまいか…と思案に暮れていた。


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第六回

2010年04月22日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第六回
「なあに、骨董ではないのだ、ご主人。実はの、此処其処に置いてある骨董を入れる木箱を探しておってな」
「木箱? で、ございますか?」
「ああ、そうよ。一尺と尺二寸程の物が入り用なのだ」
「ははは…。そのような物ならば、裏の小屋にあると存じますので幾つか持って参りましょうほどに、暫くお待ちになって下さいまし」
 そう云うと、店の主(あるじ)は奥へ引っ込もうとした。長谷川は、その後ろ姿に声を投げた。
「如何ほど包めばよいかのう?」
 主は、ビクッ! として、ふり返った。
「金子(きんす)でございますか? そのようなものはお気遣いなく」
「そうもいくまいて」
「では、十文ほども貰っておきましょうか」
「左様な安値でいいのかな?」
「ははは…。取り敢えず、物を先に持って参りますので、お待ちを」
 そう笑って云うと、主は奥へと急いで消えた。
 ほんの僅かな時が流れ、ふたたび主は顔を出した。両手には幾つかの木箱を抱え、それらを畳上へゆったりと置く。どの箱も程々に古びた味わいのある木箱で、埃(ほこり)まみれだったが、値打ちものの壺などが入っていた風にも長谷川には見えた。


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残月剣 -秘抄- 《教示③》第五回

2010年04月21日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《教示③》第五回
 長谷川は、そう云って笑った。鴨下と左馬介も後に続いて笑った。静寂が漂っていた堂所に笑顔が響いて谺した。左馬介は何故か上手くいきそうな気がしていた。というのは、自信によるものというのではない。何となく、そういう気がしたという妙な感覚なのであった。
 半日が過ぎ、葛西の物集(もずめ)街道沿いの街並みを長谷川と鴨下は各々、奔走していた。たかが、一尺と尺二寸程度の木箱だが、いざ探すとなると、手頃な箱はなかなか見つからない。別れて探しているから、長谷川と鴨下は共に行動はしていない。
「頼もう!」
 長谷川が暖簾を上げ、家へとやや力んだ声を掛ける。
「はい! いらっしゃいまし…」
 間髪置かず、初老を思わせる店の主(あるじ)と思しき男が奥の間より応対に現れた。長谷川が入ったのは、うらぶれた骨董屋“蓑屋”である。葛西で最も賑わいのある札の辻の近くに在り、鰻屋“鰻政”は一軒飛んだ隣りである。対面の腰掛け茶屋“水無月”は、蓑屋から見れば右斜め向うにあった。
「ちと、所望する物が出来た故、立ち寄った」
「…はあ。手前どもの店はお見かけ通りの骨董を商ってございますが、如何ようなものをお求めで?」


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