水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《師の影》第十回

2009年04月30日 00時00分00秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第十回

 すると、二日を要して、謎は解けた。蟹谷は堂所(どうしょ)へ現れると、席に着く前に片隅に置かれた幻妙斎の膳を持ち、一端、堂所を出たのである。そして、僅かな間に堂所へと戻り、席へ着いた。この素早さでは、昨夜、気づかぬのも道理だと左馬介には思えた。問題は、観ていないその後の膳の行方であった。そしてまた次の日の夕餉、今度は堂所の中央ではなく入口で全員が現れるのを左馬介は待つことにした。案の定、蟹谷は昨夜のように膳を持ち、一端、堂所を出た。直ちに左馬介はその跡を追った。すると、廊下を挟んだ別間の襖を開けた蟹谷が、膳を中へ置くと襖を閉め、また堂所へと戻って行く姿が観えるではないか。どうも幻妙斎は、その別間にいるか、或いは膳を取りに、その別間へ現れるかの孰(いず)れかに思えるのである。左馬介も、それ以上は賄い番の関係で深く知る暇はない。
「どうです? 分かったでしょう」
 午前の部の稽古が終り、汗を拭いながら一馬が左馬介へ声を掛けた。
「先生は門弟を避けておいでなのですか?」
 沸々と滾(たぎ)った疑問を、ここぞ、とばかりに、左馬介は一馬へぶつけた。


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第九回

2009年04月29日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

           《師の影》第九回

「では、…戴くとするか」
 師範代の蟹谷が、誰に云うでもなく、のっそりと云った。その言葉を皮切りに、バタバタと身動きをしながら、一馬と左馬介は分担して汁と飯を装う。葛西の樋口と、道場主の幻妙斎を除く七名分である。装い終わると、門弟達は各自、合掌して食べ始めた。その後、自分達の分も装い、食べ始める一馬と左馬介である。
「先程、途切れた話の続きなのですが…、そこへ置いた膳は…」
 一馬が指さす片隅の膳は、既に消え失せていた。合点がいかないことに、見回しても、自分以外の八名の者は座って席に着き、食べているのだ。と、なれば、いったい誰が膳を運んだというのか? 幻妙斎が持ち去った、と考える以外にはない左馬介であった。
「先生の指図で、今は蟹谷さんが世話方で…」
「すると、膳の運びも…」
「そうですよ…」
 食べながら、至極当然のように語る一馬である。左馬介の両眼には、座して飯を食らう蟹谷の姿が映るのだ。いつ、運んだのか? 左馬介には、この謎を、すぐ解けそうになかった。
 次の日の夕餉、左馬介は昨夜の謎を見定めようと、堂所(どうしょ)の片隅に置いた幻妙斎の膳から片時も眼を離さなかった。 

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残月剣 -秘抄- 《師の影》第八回

2009年04月28日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第八回

 夕餉となり、一同が、ざわつきながら昨夜のように堂所(どうしょ)へと集まりだした。膳も並べ終え、もう一馬や左馬介がやることといえば、各自の椀や茶碗を装う程度のことだ。堂所を囲むように置かれた膳と中央に置かれた飯鍋と汁鍋。そして、二つの鍋の横へと座り、全員が席に着くのを待つ一馬と左馬介。待つ間、これからの日々、こうした日常が繰り返されるのか…と、左馬介は詰まらない雑念を巡らせていた。
 幻妙斎の膳は、片隅に離して一膳、準備してある。奇妙なことに、昨夜の膳も、左馬介が眼を離した一瞬の隙に消えていた。誰が運んだのかは定かではない。一馬に訊くと、
「先生は別に住まいなされておられます。それが、妙と云えば妙なのですが、夕餉は当道場でお食べになるのです」
 と訊いてもいないことを先に云う。一馬も幻妙斎の生活の様を知らないのか…とも思え、自分が分からぬのも道理だと思えた。
 いつもは湯漬けにして掻き込むのだが、今夜は汁が付いているからか、皆、冷や飯を食らい、魚を毟(むし)って汁を飲むといった塩梅(あんばい)になる筈である。
「今日は、どなたがお世話を?」
 と、左馬介が訊ねたとき、全員が揃った。


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歌のご案内

2009年04月27日 00時00分00秒 | #小説

            流れ唄 
                     (クリックしてお聴き下さい)    水本爽涼 作詞
                                    
           麻生新   作編曲        


                  
なんにも知らない 初(うぶ)な星・・・
                健気に生きてる 幼(おさな)星・・・
                 汚れ騙され 死ねずに生きる
                   
悲しい女の 流れ歌


                  酒場で出逢った 恋の星・・・

                 捨てられはぐれて 夜の星・・・
                  いつか倖せ 信じてすがる
                   寂しい女の 流れ歌


                 あしたは晴れるか 夢の星・・・

                それとも しょぼ降る なみだ星・・・
               辛い宿命(さだめ)を嘆いて越える
                    儚い女の 流れ唄


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第七回

2009年04月26日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第七回

 少し苛(いら)つく左馬介に、
「秋月さん。少し焚き付けを入れ過ぎです」
 と、火吹き竹を赤ら顔で吹く左馬介に横から一馬が忠言した。昨日とは逆に、一馬は動かず傍らから左馬介の所作を観ているのだ。左馬介は詰め過ぎた焚き付けを幾らか出した。すると、それまでは嫌がって白煙を吐いていた竈(かまど)口から勢いよく、ボッ! っと、橙色の炎が吹き出た。思わず、左馬介は顔を引いた。火吹き竹などは、いらぬ燃えようである。ほんの些細な違いで、こうなるのだ…と、左馬介は思った。剣の捌きにも通じるものがある気がした。
 見ると、一馬は、もう傍らにはいなかった。少し離れた所に置いてある七輪で魚を焼いている。ごく稀には一品つくという堀川道場の馳走の日であった。鯖の切り身からは、勢いよく脂の泡沫が吹き出て、赤く熾った炭火の中へ、ポタッ、ポタリ…と、落ちていく。その度に、ジュッ! …という濁った音と、やや蒼味を帯びた薄煙、それに焼き魚特有の芳しい匂いを辺りに放つ。それを手際よく裏返して、焼ければ、これも慣れた手つきで小皿へと箸で添えていく一馬である。見蕩れている訳にもいかないから、左馬介も少し湯気が立ち昇り始めた鍋に削り鰹を入れる。一端、燃え出した竈は、もう消えることがない。薪は火勢を大そう強めて、赤々と燃え続けていた。
 


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第六回

2009年04月25日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第六回

 正面上座に確かに座っていた筈の幻妙斎の姿は跡形もなく、忽然と消えていた。左馬介は手で両眼を幾度も擦った。門弟達は別に驚くでもなく稽古を続けている。向き合った一組づつが、交互に形を示し合う。それを受ける側の者は、示された形に対して受けの形で返して示す。この所作を静かに続けているだけで、幻妙斎がいつ現れ、またいつ消えたのか…などという些細なことには無頓着なように左馬介には感じられた。激しい打ち込み稽古や掛り稽古とは違う、妙な寂寞(せきばく)感がなくもない。左馬介も道場の稽古は幾度も観たことがあったが、こうした稽古に出くわしたのは初めての経験であった。
 夕餉の準備が始まっていた。一馬に従って、昨日、観ていた賄いの要領を想い出し、理解できているところは率先し、分からぬところは訊ねる左馬介である。一昨日までは新入りだった一馬と二人でやっていた長谷川修理だが、昨日からは抜けている。その長谷川の立場に今日は一馬が入り、左馬介は見習いとして準備をしているのだ。薪を竈(かまど)へ数本、放り込み、焚き付け用の杉の枯葉を入れる。火打石を打って種火を付け、中へ入れると白煙が出始める。この所作は、昨日、一馬がやっていたことと同じ仕草なのだが、観ていた時と、する時とでは明らかに要領が違い、一馬のようには上手く出来ない。


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第五回

2009年04月24日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第五回

 蟹谷が辺りに散らばる門弟達に放った。左馬介の稽古模様を周囲から茫然と眺めていた門弟七名は、ザワザワと中央へ躍り出て二人ずつ対峙し、組となった。六名が三組、一人残った者が蟹谷と組んでいる。この一見、何げない組み合わせも、暗黙の内に定まっているかのようである。昼からの稽古は形稽古であるから、打突を相手に加えるものではない。額(ひたい)の汗を拭いながら、左馬介は繰り広げられる形稽古の様を片隅から眺めていた。その時、左馬介の眼に異様な光景が飛び込んできた。いつの間に現れたのか…、幻妙斎が涼しげな眼差(まなざ)しで中央の神棚前に座し、正面に展開する弟子達の木刀による形稽古を見据えて観望しているではないか。このお方は、神か魔物か…。左馬介は、その唐突な去来の不気味さに鳥肌が立った。幻妙斎をふたたび見ると、既に眼差しは閉ざされ、深く瞑想するかのようである。左馬介も真似て、静かに両眼を閉じた。すると、視覚が遮られた為か、余計に聴覚が研ぎ澄まされ、「ウムッ!」とかの門弟達が放つ微細な吐息までもが鮮明に聴こえてくるではないか。左馬介は暫しの間、その状態で音を聴いていた。そして、徐(おもむろ)に両眼を開けた左馬介は、ふたたび衝撃を受けた。


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第四回

2009年04月23日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第四回

「止まれいっ!!」
 叱責するという罵声ではないが、衝撃的な響き声が左馬介の両耳に劈(つんざ)いた。左馬介は、思わずビクリ! と止まり、その場へ佇んだ。
「眼(まなこ)が定まっておらぬのだ!」
「…、如何にせよと?」
 左馬介には、処し方が分からない。
「摺(す)り足での歩み…それはいい。但し、両肩は余り下げ過ぎぬようにな…。それから、今、云った眼の定め方だが、正面やや下方に定めてみよ。では、もう一度、逆方向へ歩みを戻して…」
 そう云われれば、従うのみである。
「そうだ。…そうそう」
 初稽古だというのに、やけに横柄な物言いではないか…と、左馬介は些(いささ)か不満に思いつつも歩を進めた。
「心が乱れておるぞっ!! 無心じゃ!」
 人の心の内までもが見透かせるのか? と、蟹谷の態度が益
々、腹立たしい左馬介である。
「よしっ! 今日は、これ迄」
 これ迄? ただ、堤刀(さげとう)の姿勢から歩んだだけではないか…。左馬介は不本意この上なかった。


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第三回

2009年04月22日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第三回

「まず、手の内じゃ。中段に構えてみよ!」
「はいっ!」
 蟹谷に促されるまま、堤刀(さげとう)の姿勢より、竹刀を中段に構えて押し出す左馬介である。手の内とは、竹刀を操作する掌中の作用で、両手首・両手の指を最も効率よく使う動きである。その一は、柄(つか)を持つ左右の手の持ち様、二として、左右の手の力の入れ様、三には、打突の際の両手の力の緊張とその釣り合いの状態、そして最後に、打突後の力の緩め方で、これを総合して手の内となるのだが、左馬介には、勢いよく応じたものの、蟹谷が云った手の内という言葉の含む真の意味は、未だ分かってはいなかった。
 左馬介の構えを観て、蟹谷が微笑みながら口を徐(おもむろ)に開いた。
「ははは…、少しは遣(つか)えるようだが、我流との誹(そし)りは免れぬのう…」
 小難しい云い回しだが、要は、お前の剣は自己流で、基本を欠いている…と、まあそういう趣旨である。左馬介には深く解せない。
「では、初めの所作に戻り、堤刀(さげとう)の姿勢から前へ歩んでみよ」
 左馬介は、ふたたび促されるままに、摺り足で床を歩み始めた。


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残月剣 -秘抄- 《師の影》第二回

2009年04月21日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第二回

 堀川道場は、堀川一刀流の創始者、堀川幻妙斎の教場である。堀川一刀流は、一刀流の開祖、伊藤一刀斎の奥義に一工夫を加えた異色流派で、此処、葛西以外には全国各地に知られていない地方流派であった。因みに、一刀流は系統的に、一刀斎の弟子である小野忠明(神子上典膳[みこがみ・てんぜん])の小野派一刀流、同じく弟子の伊藤忠也の伊藤派一刀流、同じく弟子の藤田俊直の唯心一刀流が派生した。更に、小野派一刀流の系統から千葉周作が興した北辰一刀流などが、伊藤派一刀流の系統から溝口派一刀流、甲源一刀流などが、唯心一刀流の系統から正木一刀流などの各派が派生している。だが、この堀川一刀流は、一刀流の創始者、伊藤一刀斎の弟子にはならず、伊藤道場へ通い稽古の後に山へ籠った若き頃の堀川妙兼(後の幻妙斎)が精進・潔斎の末に独自に編み出した特異な一刀流の分派であった。
 さて、この堀川一刀流の主(あるじ)である幻妙斎は、いったい何時、道場へ姿を現し、また平静はどうしているのか…。これが左馬介の胸中に大疑問として沸々と滾(たぎ)るのであった。
 そしていよいよ、左馬介の初稽古が、師範代の蟹谷によって始まろうとしていた。


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