水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《修行①》第二十二回

2009年08月31日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第二十二回
 だが、何故か先程までとは異なり、竹刀の握りには力みがあった。
「竹刀が震えておる。儂(わし)は、おらぬと思おて振るのじゃ…」
 幻妙斎の声は掠(かす)れた小声であったが、皆が寝静まった早暁の今時分は、左馬介の耳に、はっきりと届いて聴き取れた。左馬介は幻妙斎の言葉通り、師の存在を忘れようと両眼を徐(おもむろ)に閉じ、気合い諸共、竹刀を振り翳(かざ)した。竹刀の振りが誘(いざな)う空気の歪みが、微かな音となって響く。既に、「ウムッ!」とかの
吐息が発する音は消えていた。
「そうじゃ…。やれば出来るではないか…」
 幻妙斎が穏やかな表情でそう語ったとき、入口に寝そべる獅子童
子が、唐突に、「ニャ~~!」と立ち上がり、主(あるじ)を呼んだ。
「おう、童子が呼んでおるわ…。もう明けが近いようじゃのう…。左馬介、孰(いず)れまた会い見(まみ)えようぞ。次の機会あらば、一太刀
浴びせてみよ。では、のう…」
 背の声が、スゥ~っと消えた。次の瞬間、左馬介が両眼を開け、後方を振り返ると、師の姿は跡形もなく消え去っていた。左馬介は、ま
たも茫然自失となって、その場へ立ち尽くした。
 束の間の時が流れた。稽古を終えた左馬介は、小屋から洗い場へと回り、濡らした手拭いで身体を拭いた後、小部屋へと戻った。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第二十一回

2009年08月30日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第二十一回
 左馬介は今、その果し合いの太刀筋を竹刀に込めて振っているのである。当然、命が絶えることもある緊迫した素振りであるから、稽古とはいえ、「ムッ!!」とかの吐息混じりに発する気合の微声が、それも時折り漏れる程度であった。
「左馬介~…。腕を上げたな」
 その時、闇の中から声が響いた。正(まさ)しく、その声は幻妙斎であった。左馬介は暫し茫然とした後、辺りを見回した。だが、手職台の灯りが届かない天井は、暗黒の闇が広がるばかりである。その時、ふたた
び、左馬介の背後から小さな声がした。
「どこを見ておる。儂(わし)は、ここじゃ…。そなたの後ろにおるわ…」
 微かな笑い声を含み、幻妙斎は厳かに、そう告げた。左馬介がその声に驚いて思わず振り返ると、あの幻妙斎が、眼前に杖をついて立っているではないか。長く伸ばした白髪と口顎(あご)に蓄えた白鬚(ひげ)は、あの時と同じで少しも変わってはいない。左馬介は纏まらぬままに、何事かを
話そうと焦ったが、どうしても声にはならなかった。
「この前云ったは、遠山(えんざん)の目付であったのう。…如何した?
素振りは、もうせぬのか?」
 そう幻妙斎に云われ、操り人形のように、ふたたび竹刀を振り始める左馬介であった。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第二十回

2009年08月29日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第二十回
 一番鶏の鶏鳴が未だない早暁の七ツ時である。陽射しは冬至に向かい、益々その長さを短くしていた。左馬介は、隠れ稽古を始めた頃から、この時分に起きていた。堂所(食事用大広間)の裏手を抜けると、薪や炭、それに柴を収納する為の小屋がある。その入口の鍵は無く、誰でも入ることが出来た。左馬介は毎朝、誰よりも半時ばかり早く起き、この小屋の中で素振りの稽古をやるのが常となっていた。そして、この朝もその稽古は始められていた。一太刀を振るごとに精魂を込める二百の素振りである。床に置いた手職台の蝋燭の炎が、竹刀の太刀筋受け、微かに揺れた。
 この時、既に幻妙斎は小屋に現れていた。しかし、左馬介は全く気づかない。いや、これが左馬介ではなく道場の誰であったとしても、恐らく幻妙斎が現れたことに気づきはしなかったであろう。それだけ卓越した
幻妙斎の腕が左馬介を囲んで密かに観ていた。
 一振り入魂の稽古を続ける左馬介には、既に掛け声が消え失せていた。掛け声は自らの打突を鼓舞するとともに、相手への威嚇を目的として発せられる場合が多い。入魂された一振りに作為はなく、ただ相手の太刀筋を捌く、という無作為、早い話が虚心坦懐のふるまい…とも呼べるものなのである。故に、「ト※△♭ォォ~~!!」とか、「オ◎♯×ャ~~!!」とかの掛け声は出ない。声が出るとは稽古や試合であり、果し合いでは出ない…とも云えた。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第十九回

2009年08月28日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第十九回
 落ち葉が風に舞い、やがて冬の到来を告げる風花が晴天の空域にチラホラと舞う季節が訪れていた。早や左馬介も、葛西へ来て半年になろうとしている。相も変わらず、師である幻妙斎の姿を見れない左馬介であったが、他の者とて同じなのだから、それはそれで仕方ない…と、諦めも出来た。一方、日々続ける素振り稽古の結果、道場で行われる組稽古の際も、一馬を真似る必要はなくなる迄になっていた。それは、未熟ながらも、自らの太刀筋で相手に打突を加え、そして受けるという稽古が出来るようになったことを意味する。
「師範代、いっこう、先生には会わせて貰えませんが…」
 と、或るとき左馬介は、他意はなかったが蟹谷に訊ねた。
「分かっておるわ…。もう半年だったのう、そなたも。しかし、この俺すら月に一度、それもお会い出来るかどうか、といった塩梅なのだ。そのうち、機会あらば伝えはしよう。但し、会える会えぬは先生次第
だぞ。そのことは含み置くように…」
「はい! 分かっております。よしなに…」
 左馬介は蟹谷の顔を見て、軽く頭(こうべ)を下げた。どうもお互いで慰め合っている感が否めない。神出鬼没の幻妙斎と確実に、いつ、何で出会う? などという話は、全くもって無益なのである。だが、その出会えなかった左馬介にも、不意に出会いの機会が訪れた。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第十八回

2009年08月27日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第十八回
 こう遠回しに訊かれては、流石に伊織も遠回しにせよ答えねばならない。即ち、その返答を導き出せただけ、心理的にも稽古の成果は確実にあった、と云えた。実のところ、伊織が外出しようと、しまいと、左馬介には、どうだってよかった。左馬介を押しのけるようにして伊織が一馬の部屋から去った後、左馬介も自分の部屋へ戻ろうとした。
「あっ! 左馬介さん。この前の筆ですが、使い勝手はどうですか?」
「えっ? いや、まだ使ってませんから…」
 背中から声が飛び、一瞬、左馬介は驚かされたが、慌てず振り向くと、一馬にそう返した。この冷静さも備わったもので、以前にはなか
った。
「そうでしたか…」
 それ以上は訊かれなかったから、「それでは…」と軽く会釈をして、左馬介は一馬と別れた。仲のよい二人でも、こうした日もあった。隠れて稽古を積むようになってからは、話題のない日はこうして直ぐ別れることも屡々(しばしば)だった。しかしそれは、違和感を感じない程度だったから、一馬もそうは不審に思わなかったし、当の本人の左馬介も、そうは意識をしていなかった。剣の冴えとは、こうして培(つちか)われるものであることを左馬介が知るのは、ずっと先のことである。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第十七回

2009年08月26日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第十七回
  一馬の小部屋の襖は開け放たれたままだったから、否応(いやおう)なしに二人の話す姿は見える。
「なんだ、神代さんでしたか」
 左馬介は立ち止まり、ちらりと部屋内を窺ってそう云った。
「ははは…、『なんだ』は、ないだろう、左馬介。俺じゃ悪かったか?」
 伊織は左馬介へ柔かな視線を投げ、皮肉を云った。左馬介にとって、伊織は一馬に次いで懇意にさせて貰っている関係である。第一、左馬介が入門した初日、案内役であれこれと世話になった経緯(いきさつ)があった。門弟中で随一ということもあるが、左馬介にとって、何故か印象深い男であった。それは兎も角として、左馬介は届の紙を手に持
つ伊織を見て、
「どこぞへ、お出かけですか?」
 と、軽く訊ねていた。
「ああ…、急の野暮用でな」
 左馬介の日々の隠れ稽古が、成果としてこうした場にも顕著に現れた。以前ならば、恐らく一馬のように、『で、用向きとは?』とかの直撃する問いを投げ掛けたに違いなかった。が、今は、『どこぞへ…』と、搦(から)め手からの問い掛けなのである。咄嗟(とっさ)に、何の意識もなく出た言葉ではあったが、一瞬に言葉を選んでいたのである。


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夏の怪奇小説特集 第五話 スバラシイ(2)

2009年08月25日 00時00分00秒 | #小説

      夏の怪奇小説特集       水本爽涼

    第五話 スバラシイ(2)         

   話を元に戻しましょう。
 目覚めた私は、大きな背伸びをして両腕を上げ、欠伸をひとつ、うちました。そして、呟くように、「ああ、つまらん…」と漏らしたのです。
 今思うと、この時が異変の始まりでした。云った瞬間、課内全員の視線が私に集中し、しかもそれは睨むような殺気がありました。そして一同は声を揃えて、
「つまらん?」と、私の顔を窺(うかが)ったのです。
 私は過ちを犯したような申し訳ない気持になり、思わず、「ス、スバラシイ!」とドギマギ吐いたのでした。そうしますと、全員が納得したようにニッコリして、ふたたび声を揃え、「スバラシイ!」と唱和しながら笑顔で私のデスクへ集まってきたのです。
 今までは課員達から疎(うと)んじられていた私でしたが、何だか急に人気者になったようで、悪い気分はしませんでした。
 それからの私は、ピンチに陥るごとに、「スバラシイ!」と連発して、それまで乗り切れなかった数々の苦境を脱していったのです。そして、いつのまにか課員達の人気者になり、課長のポストを与えられ、そればかりかリストラ対象者からも除外されました。更に、いいことは続き、本社へ呼び戻され総務部長に抜擢されたのです。トントン拍子に運がよくなった訳でして、ついには取締役に、そして社長にまで昇りつめたのでした。
 それから20年が経過し、私も白髪が混ざる好々爺(こうこうや)になっておりました。
 しかし、よいことは続かないものです。社長席の椅子で油断していたからでしょうか。つい、うっかり、「つまらん」と口に発してしまったのです。社長室の中は私一人ですから、まあ、大丈夫だろう…と、口を噤んだのですが、聞こえていない筈が、どういう訳か社員全員に聞こえたようで、その瞬間から内線ホーンの呼び出し音が続き、ついには私がいる社長室へ社員たちが殺到したのです。そして、「つまらん?」と、怒りの表情で異口同音に訊ねるのです。私は気が遠くなっていきました。
 ウトウトと微睡(まどろ)んだようでした。
 気づくと、なんと私は、20年前の未だリストラで飛ばされていない浜松の出張所におり、社員ではなくメンテナンスの清掃員として、休憩室に存在していたのでした。
 服装といえば、社長の姿とは比べるべくもない惨めな清掃員の姿でした。そして、老いを感じさせる皺だらけの手に一本のモップを持ち、椅子に佇んでいたのです。
 私は、愕然としてしまいました…。全てが夢だったのでしょうか? 未だに私には分かりません。

                                                     第五話 了


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夏の怪奇小説特集 第五話 スバラシイ(1)

2009年08月24日 00時00分00秒 | #小説

      夏の怪奇小説特集       水本爽涼

    第五話 スバラシイ(1)         

  朝早く、会社へ出勤すると、開口一番、部長から呼び出されました。そして、「君ねぇ、来年からさ、浜松の出張所の方へ行って貰おうと思ってんだが…」と、言い渡されました。
「浜松? …」と、一瞬、私の脳裏は真っ白になりました。
 実を云いますと、私の会社というのは、東京に本社を持つ大手企業系列の関連子会社なのですが、最近は企業競合の荒波に押され、事あるごとに業績改善、業績改善と社内で叫ばれている時期でもありました。
 私は企画部総務課の課長代理でして、と云いましても課員数が十数人なのですが、代わり映えしない日々を、鳴かず飛ばず勤めておりました。
 そう、今振り返れば、そうした日々は感動がないと云いますか何と申しますか、胸に突き上げるような喜びがない、いわば、働き甲斐のある職場ではなかったのです。そして、世渡りが下手、また運もなかった…いえ、実力がなかった所為(せい)もあったのでしょう。十数年の間に、出世していく同僚社員を仰ぎながら、本社からリストラでこの子会社へ派遣されたという粗忽者なのです。
 その無感動の一場面をお見せしましょう。
 お茶を淹れて盆の上へ置き、それぞれのデスクにはこんでいる女事務員の姿が見えます。彼女の姿は、机上の書類に目を離し、顔を上へ向けた刹那、私の視線に飛び込んだのです。
 
机に湯呑みを置きながら、なにやら話しているのが小さく聞こえてきます。
「ホントはねぇ、お茶汲み、なんかしなくってもいいんだけどさぁ…、なんか習慣になっちゃってるのよねぇ」
 話し相手の男性社員は、たしか同期入社組だったと思うのですが、笑って頷(うなず)いています。
 私はというと、机上の書類に目を通していたとはいえ、実は眠気でウトウトしていたのが事実でして、事務員の話す姿が見えたのは、まどろみから目覚めた、すぐ後だったのです。
 結局のところ、私の会社での立場といいますのは、その程度のものでして、大した役職を与えられている訳でもなく、課長代理という名ばかりの肩書きを与えられ、かといって、疎んじられているというのでもないのですが、昼行灯の渾名(あだな)をつけられておる、
いてもいなくても影響力のない存在でした。
                                                          


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夏の怪奇小説特集 第四話 ゴミ人間(3)

2009年08月23日 00時00分00秒 | #小説

      夏の怪奇小説特集       水本爽涼

    第四話 ゴミ人間(3)         

  ウィスキーをストレートのオンザロックで飲み、ベッドへ横たわる。緊張感からか眠気が訪れない。そこで、ステレオのジャズを聴いて気を紛らわせる。そして漸(ようや)く深い眠りへと吸い込まれていった。
 
気づくと、音楽を耳に感じた。だが、昨夜のそれではない。しかも、自動車のエンジン音すらする。そして、妙にざわついた動きを感じる。
 危機一髪であった。奏でられていた音楽は、パッカー車のカーラジオの音だった。
 車から降りてきた二人の清掃員が、私のいる近くのゴミ袋を車中へ放り込んでいる。私は必死で袋を突き破り、脱出した。
 急に袋から現れた人間に、二人は一時、唖然としたが、ホームレスとでも思ったのだろう。
「なにやってんだ! こんな所で。…危ねぇじゃねえか!」と、私を一喝した。
「すいません…」と、縺(もつ)れた足で足早にその場を抜け、走り去る。そして、一目散にひた走った。
『何故、自分だけが…』という想いが、脳裏を駆け巡っていた。
 家へ着くと、なんと! …家がない。私の家がないのだ。そこは巨大なゴミ捨て場と化している。そして、そこには巨大な立て札が…。
━次は貴方を捨てますよ。ゴミを馬鹿にしてはいけません。━ …と。
                                                     第四話 了


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夏の怪奇小説特集 第四話 ゴミ人間(2)

2009年08月22日 00時00分00秒 | #小説

      夏の怪奇小説特集       水本爽涼

    第四話 ゴミ人間(2)         

 その日は別に変わったこともなく、いつものように会社へ出勤した。
  ただひとつ驚いたのは、例のゴミ置き場の前を通りかかったとき、私が入っていた黒のゴミ袋は綺麗に整っており、しかも破れた痕跡が全く残っていなかったということである。私が踠(もが)いて破り、そこから出たのだから、当然、辺りはゴミが散乱している筈なのだが…。
 会社へ着き、デスクで考えると、そのゴミ置き場の辺りで思い当たることといえば、煙草の吸殻を投げ捨てたことぐらいであった。
『そんなことはある訳がない…』と思い、夢を見たんだ…と、自分に言い聞かせた。それでも、裸足で家へ帰ったという記憶は残っていた。
 その後、数日が経過していったが、これといった異変はふたたび起こらなかった。
 次にその妙な出来事が起こったのは、私が意図的に吸殻を投げ捨てたことに起因する。勿論これは、その後、異変が起こらなかったから、敢えて思い当たる行為をしてみた迄なのだが、その愚行の背景には、私自身がこの出来事を真実とは捉えていなかったという節もある。そして、その日も就寝する迄は何事も起こらなかった。いや、だった筈である。                                                         
 次の朝、目覚めると、やはり例のゴミ置き場に私はいた。
 時間は? というと、前回の時間よりも遅く、六時半近くであ
った。そして前回とは違い、人の気配も少し、し始めていた。状況は前回の経験則で理解されているから、避難しようと素早くその場を離れ、今度は小走りでその場を離れた。
 家へ戻ると、妻が起きたようだった。キッチンで物音がしていたからだが、気づかれぬよう、泥棒足で二階へ上がった。そしてその日も、その後は何事もなく過ぎていった。
 二度あることは三度ある、とはよく云うが、私は半分、依怙地になっていたのだろう。元来の負けず嫌いの性格が、ふたたび私を挑戦させるかのように、その異変に立ち向かわせた。
 次の日の朝、私は通勤途上の例のゴミ置き場で立ち止まり、意識的に煙草を投げ捨て、しかも靴で踏みつける仕草で火を消した。
 その日の夜は起こるであろう異変に備え、パジャマに着替えず床に着くことにした。
                                                          続


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