水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

怪奇ユーモア百選 55] 揺らめく川

2016年04月30日 00時00分00秒 | #小説

 木葉(こば)は猛暑の夏のある日、川の河原で水に両足首を浸(つ)け安らいでいた。日射(ひざ)しは厳(きび)しかったが、足元は流れるせせらぎが冷(ひ)やしてくれたから、ほぼ満足できた。しばらくすると、日々の疲れがドッと出て、木葉は俄(にわ)かに眠くなった。
 それからどれくらい経(た)ったのかは分からない。木葉は身体(からだ)が前のめりに崩れそうになり、目覚めた。どうも十数分、微睡(まどろ)んだように思えた。そのとき木葉は辺(あた)りの光景に我が目を疑(うたぐ)った。川がまるで生きているかのようにユラユラと揺らめいていた。木葉は目がしらを幾度となく擦(こす)ったが、目に映る光景は変わらず、川はユラユラと波打って揺らめいている。木葉はゾクッ! と寒気(さけむ)を覚えた。それは浸けた足冷えのせいではなく、怖(おそ)ろしさによるものだった。木葉は腰を上げて立つと、岸辺までゴツゴツした石の上を走っていた。岸辺を上がりサンダルを履(は)き、木葉はもう一度川を見た。だが川はやはり揺らめいていた。これはもう尋常ではないぞ! と木葉は思った。地震の前兆か、はたまた天変地異か? 科学の常識として木葉に浮かぶのはその程度だった。そのとき、木葉は意識が遠退(とおの)くのを感じた。
 気づけば、木葉は病室のベッドに寝ていた。
「意識が戻られましたね、もう大丈夫ですよ。熱中症です…」
 美人看護師がニッコリと微笑(ほほえ)んで枕元に立っていた。木葉の心は美人看護師にユラユラと波打って揺らめいた。

                 完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 54] わっさわっさ

2016年04月29日 00時00分00秒 | #小説

 世の中には不思議なこともあるものだ。夏の終わりが近づいたことを告げる夕立ちが幾度となく降り続くようになったある日曜の朝、尾山は玄関で靴を磨(みが)いていた。明日の勤めに備えてだが、最近磨いてなかったことを、ふと起きがけに思い出したのだ。思ったことはすぐにやらないと気が済まない性分(しょうぶん)の尾山だったから、磨き出した・・という訳だ。
「あら? 早いわね…何してるの?」
 妻の智香(ちか)が台所から現れ、訊(たず)ねた。
「見てのとおりさ」
「ふ~ん…」
 素(そ)っ気(け)なく智香は台所へUターンした。十年も経(た)てばこんなものか…と、尾山は新婚時代の蜜月を思い出し、ふ~う…と深い溜息(ためいき)を一つ吐(は)いた。そのときである。尾山は持った片方の靴が幾らか重くなったように感じた。おやっ? と思った尾山はブラシを置くと、片手を靴の中へ入れてみた。すると、何か手ごたえがある。尾山はその手ごたえを指で掴(つか)むと出してみた。見るとピカピカと黄金(こがね)色に輝くズッシリと重い小さな金塊(きんかい)だった。んっな馬鹿な! と尾山はジィ~っとその金塊を見続けた。やはり、金塊のようだった。手にした靴は、まだ重い。尾山は金塊を上がり框(かまち)へ置くと、また手を靴の中へ入れた。そして出すとまた金塊が現れた。そしてまた…。このくり返しが続き、わっさわっさと金塊が湯水のごとく現れたのである。尾山は夢だ! と思え、怖(こわ)くなった。
「お~~い! 智香!」
 尾山は大声を出していた。
「なに?!」
 怒り口調で智香がまた現れた。
「これ…」
「えっ? 靴がどうかしたの?」
 わっさわっさと湧(わ)いた金塊は消え、靴は軽くなっていた。
「いや、なんでもない…」
 旋毛(つむじ)を曲げ、智香はふたたび台所へUターンした。
「ははは…そんな馬鹿なことはないよな!」
 靴箱へ磨き道具と靴を入れ、尾山は框を上がり台所へ入った。台所ではわっさわっさと五人の子供が賑(にぎ)やかに朝食を食べていた。尾山はこれでいい…と思った。

                 完

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 53] 傘化(かさば)け

2016年04月28日 00時00分00秒 | #小説

 昔々(むかしむかし)、あるところに傘化(かさば)けという不思議な妖怪がいたそうじゃ。その妖怪は奇妙なことに来る日も来る日も、山裾(やますそ)の登山口で傘をさして立っておったという。それがなぜなのかは誰も分からんかった。というのも、立っておるだけで別に悪さをする風でもなかったからじゃ。ただ、通りかかった者に化け、しばらく山道をあとからついて突然、消える・・という風変わりな妖怪じゃった。
 ある日のこと、権助(ごんすけ)という村の百姓が山へ入ろうと通りかかった。その日も、さも当然のように傘化けは権助の姿で傘をさして立っておった。それがどういう訳か、権助には心なしか寂しそうに見えたという。おう立っておるのう…と、権助は遠目に見て思いながら、気づかぬ態(てい)で登り始めた。すると、権助に化けた傘化けは後ろをついてきたそうな。
「どうかしたのけ?」
 思わず権助は訊(たず)ねてしもうた。その途端、声に驚いた権助に化けた傘化けは姿を消した。なんだ人騒がせな…と権助は思いながら山道へ入ろうとした。すると、どこからともなく子供の声がした。権助は耳を澄ました。
『新しい傘をくれぇ~新しい傘をくれぇ~』
 権助にはそう聞こえたそうじゃ。何のことか初めは分からんかった権助じゃったが、ふと見ると広げられた破れた番傘が近くに見えてのう、訳が分かったんじゃそうな。権助は次の日の朝、新しい番傘を持って山裾まで行き、置いて帰った。その日以降、権助によいことづくめの日々が続いたという。傘のお礼ということなんじゃろう…と、村の衆は話しておった。味をしめようと別の百姓が傘化けに山へ登る訳でもなく近づいた。
『なにか妖怪?』
 傘化けの方がダジャレで先に訊ねたそうな。そうは問屋が卸(おろ)さぬ・・ということかのう。

                 完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 52] 太る足

2016年04月27日 00時00分00秒 | #小説

 那美は高校1年生である。今年の夏もようやく終盤へさしかかろうとしていたある日、部活を終えて帰宅した那美はどういう訳か落ち込んでいた。
「どうした? 那美」
 父親の森崎が、ふと居間に現れ、テンションが下がった那美に声をかけた。
「この足、見てよ」
 見るからに美味(うま)そうな大根足が2本、よく育っていた。
「その足がどうかしたか?」
 那美の言いたいことは大よそ分かってはいたが、あえて森崎は分からぬ態(てい)で返した。
「…見りゃ、分かるでしょ!」
 那美は旋毛(つむじ)を曲げ、怒り口調で自室へと去った。
「ああ、女はよく分からん。怖(こわ)い怖い…」
 森崎は小声で独(ひと)りごちた。
 夏休み前まではスンナリ細めだった那美の足がスクスクと育ち始めたのは、あることを境(さかい)にしてだった。そのことは、那美も分かってたし、森崎も当然、知っていた。ただ、そのことと足が太くなったという関連が、どうしても分からなかった。そのこととは流し素麺(そうめん)である。那美がその日の前日、無性に素麺が食べたくなったと言うので、それじゃ明日(あした)、流し素麺をしようじゃないか・・と家族で話が纏(まと)まったのである。
 流し素麺は家族全員で賑(にぎ)やかに終わったが、その次の日から那美の足に異変が起き始めたのである。異変が起きたのは、どういう訳か家族で那美だけだった。流し素麺でそうなった…などと家族の他の者は冗談にも思えなかったから、一度、病院で診(み)てもらうよう那美に促(うなが)した。那美も年頃で気になったのか、病院で診察を受けた。
「べつに悪いところはないですがね…」
 検査結果を見ながら医者が訝(いぶか)しそうに言った。流し素麺で考えられるとすれば、那美が麺つゆに大根おろしを混ぜたくらいなのだ。それ以外にはなにもなかった。
 この謎(なぞ)は、今も解き明かされてはいない。森崎は訳あり大根の祟(たた)りでは? と考えている。

                完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 51] モツ鍋

2016年04月26日 00時00分00秒 | #小説

 へへへ…暑いときゃ、熱いものを食らうにかぎる。それが通(つう)ってもんだ…と、鯔背(いなせ)な浴衣(ゆかた)の袖(そで)をたくし上げ、髭川(ひげかわ)はフゥフゥ~とモツ鍋を突(つつ)いた。十分に煮(に)えたモツは柔らかくなり絶妙の味加減になっている。そこへ冷えた生ビールである。これはもう、堪(こた)えられない至福の安らぎを髭川に与える以外の何物でもなかった。外は太陽が照りつける灼熱地獄の様相を呈(てい)していたが、髭川がリフォームで新たに設けた特別室は快適空間で、むしろ寒いくらいだった。だから、汗などほとんど出なかったのである。曇り除去の処理をした二重構造の大窓からは、茹(う)だる外の様子が手に取るように見えている。それでいて髭川の籠る特別室は快適空間でモツ鍋がグツグツと煮えているといった具合だ。へへへ…暑い夏は、モツ鍋さ、とばかりに髭川はまた、ひと口、モツを口中へ放り込んだ。ほどよく酔いも回り、髭川は眠くなったので火を止め、室内ハンモックに身を沈めた。歯の残滓(ざんし)をシーハーシーハーとやっているうちに意識が薄れ、髭川は夢の人となった。ここまでは、よかった。だが室温設定をうっかり間違え、20℃が2℃になっていたことを髭川は知らない。
 気づけば、髭川は凍(い)てつく冬山にいた。ビバークしているテントの中のようだった。辺(あた)りすべてが白で閉ざされ、外は雪が舞っていた。身体が寒さで悴(かじか)んだ。よく見れば、そんな逼迫(ひっぱく)した状況の中で、モツ鍋がホエーブスの火でグツグツと美味(うま)そうに煮えているではないか。どういう訳か食べよと言わんばかりにコッフェル、スプーン、フォークまであった。ならばと、髭川はフゥフゥ~とモツ鍋を突いた。そのとき雪崩(なだれ)の音がし、髭川は雪に流されていく感覚を覚えた。
 目覚めれば、髭川はハンモックから落ちていた。室温は真冬並の2℃まで下がっている。二重窓の外に舞うはずがない雪が舞っていた。解けるはずがない浴衣の帯が解け、髭川の浴衣はハンモックに引っかかっている。ということは、髭川の状態は…ご想像にお任(まか)せする。

                 完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 50] 蠢(うごめ)く舟

2016年04月25日 00時00分00秒 | #小説

 映画用に製作された、とあるオープン・セットの現場である。スタッフが準備した舟が係留(けいりゅう)されている舟着き場でのシーンが撮(と)られていた。主役の遠藤は好物の豆を頬張(ほおば)りながら、出番を床几(しょうぎ)風の椅子(いす)に腰かけて待っていた。因(ちな)みに、遠藤が食っていた豆は遠藤豆ではない。^^
「先生、もうしばらくお待ち下さい!」
 スタッフの一人が飛び出てきて、平謝(ひらあやま)りに謝った。大物俳優だけに遠藤は賓客(ひんきゃく)扱いされ、特別だった。
「どうしたの? 昼から予定が入っとるらしいんだが…」
 遠藤はマネージャーをチラ見して睨(にら)みながら、スタッフに、すぐ笑顔を向けた。
「はあ、それが、先生が乗られるご予定の舟が、どうも水漏れするようでして…。今、確認をさせております」
「ははは…水漏れは困るな。セリフのいいところで沈まれちゃかなわん」
 声で笑ってはいるが、遠藤の顔は引き攣(つ)っていた。そんなことくらい事前に確認しとけっ! とでも言いたそうな顔つきで、遠藤は口へ豆を放り込んだ。
 その後、急場しのぎの舟修理が終わり、撮影は約半時間後に再開された。遠藤はスタッフに「大丈夫だろうね?!」と諄(くど)く念を押し、舟に乗り込んだ。カチンコが入り、カメラが回り出すと、さすがに大物俳優である。遠藤は撮影前までとは完璧(かんぺき)な別人へと豹変(ひょうへん)し、役の人物に成りきったのだった。
 ところがである。いい絡(から)みもあり、シーンが佳境(かきょう)に入ったそのとき、艫綱(ともづな)が理由なく解(ほど)け、舟が急に動き出したのである。
「カット! カット!!」
 監督が怒って叫んだ。当然、主演の遠藤も怒り心頭に発す・・である。自分の出番は今まで一発OKが業界では暗黙の了解事項だったから、それも頷(うなず)けた。
「あの…先生、今日は帰らせていただくと仰(おお)せなのですが…」
「そこを、なんとか…。もう一度だけ、よろしくお願いしますと…」
 監督は遠藤のマネージャーに両手を合わせ、懇願(こんがん)するように言った。マネージャーがそれを伝え、遠藤は渋々(しぶしぶ)、了解した。
「特別に一度、だけですよっ!」
 遠藤は態々(わざわざ)、カメラ前まで歩き、口へ豆を放り込みながら監督にダメダシをした。
「はあ、それはもう…。よろしくお願いいたします」
 どちらが監督なのか分からなかった。撮影が再開され、シーンは順調に進んでいった。が、しかしである。シーン終了の直前、またしても艫綱が解け、舟が急に動き出したのである。いや、誰の目にも、舟が蠢(うごめ)いている・・としか、もはや映らなかった。
「カット! カット!!」
「もう、いい…も~~~う、いい!」
 怒りのあまり、遠藤は舟の上で立ち上がった。その結果は明白である。蠢く舟はバランスを崩し左右に大きく揺れだした。遠藤は堪(たま)らず水面へザブーン! と落ちた。そして、ブクブク…とそのまま引きづり込まれるように水中へ・・ということはなく、助け上げられたが、風邪を引いて寝込む破目にはなった。遠藤は翌日、役を降りる旨(むね)の電話をマネージャーにかけさせた。
 その後、どういう訳か、そのシーンを代がえ俳優が演じると、舟はさ迷わなくなった。
 真相を語れば笑うだろうが、実は、…遠藤が豆を食い過ぎたのが原因だった。妖怪舟蠢きは豆を食らいたくなり、遠藤に嫌がらせをした・・というのだ。この事実も私が舟蠢きから直接、聞いた話なのだから疑う余地はない。

                 完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 49] 惚(ほ)れた人魂(ひとだま)

2016年04月24日 00時00分00秒 | #小説

 江戸は中ごろのこと。三番町の裏長屋に簪(かんざし)職人の乙次(おとじ)という、それはそれは器量のよい若者が住んでいた。なかなかの働き者で、長屋のかかあ連中が、あんないい男とひと晩とか乙さんはそのうちお棚(たな)を持つに違いないよ・・などと噂(うわさ)するほどの人気者だった。簪は月に一度、小間物問屋の篠屋へ納める手はずになっていた。出来がよければ二両にも三両にもなろうかという仕事だったから、これはもう乙次の腕次第で、どうにでもなるという筋合いの稼ぎだった。
 篠屋の主人、喜左衛門の娘でお沙代。この娘は三番小町と町内で噂(うわさ)されるそれはそれは見目(みめ)麗(うるわ)しい娘だったが、これが、俄(にわ)かの流行(はや)り病(やまい)で、ポックリと身罷(みまか)った。さあ、若い身空で死んだお沙代、この世に未練がたっぷりと残っているものだから、なかなか死出の旅へは出られなかった。そんなことで、喪(も)が明けたあとも、篠屋を離れられず、家の内外(うちそと)を人魂(ひとだま)となって上から眺(なが)める態(てい)でさ迷っていた。そこへ、出来上った簪を納めに現れた乙次とばったり出食わしたから、さあいけない。お沙代はすぐにあの世の者である我が身を忘れ、乙次に惚(ほ)れてしまった。少し高い上を人魂で飛ぶお沙代からは見えても、乙次からはお沙代が見える訳もなく、別にどうということもなかった。すっかり惚の字のお沙代は、このままじゃ…さあどうしたものか…と考えた。そこへ、早く連れてこいとあの世の命を受けた風娑婆(ふうしゃば)という遣(つか)いが篠屋へ現れた。だが、無理やりにも連れていこうとした風娑婆の念力をもってしても、お沙代の煩悩(ぼんのう)は断ち切れなかった。お沙代の方も乙次に絆(ほだ)されていたから、これこれこうです。なにかいい手立ては…と風娑婆に訊(たず)ねてみた。風娑婆は、これはいい! と思った。乙次との恋が実れば、この世の未練が断ち切れ、あの世へ連れていけるのでは・・と考えたのだ。風娑婆はお沙代に一枚のお札(ふだ)を与えた。このお札を持っているかぎり、生きた人間となれる有り難いお札だった。
 お沙代は三番町の裏長屋へ人間の姿で現れた。そして二人はすぐ、恋に落ちた。そしてまあ…ああいうことやこういうことをして、そういうことになるというのは、惚れた者同士なら言わずと知れたことである。
 そして月日は巡ったが、いっこうお沙代にこの世の未練が断てたとは思えず、風娑婆は弱り果てた。あの世からの催促(さいそく)が喧(やかま)しく、仕方なく別の死んだ娘をお沙代と称して連れていった。惚れた人魂のお沙代がその先どうなったかまで私が知る由(よし)もない。ただ、ああいうことやこういうことをして、幸せに暮らしたのではないか…とは、思っている。

                 完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 48] 最終列車

2016年04月23日 00時00分00秒 | #小説

 白水駅の構内へ走り込んだ途端、列車が発車する警笛(けいてき)音がし、野辺(のべ)は、しまった! と思った。僅(わず)か数分、間にあわず、列車に乗り遅れたに違いなかった。まあ、それでも最終列車がまだある…と、この時点の野辺は、そうは悲観していなかった。
「確か11時40分だったな…」
 野辺はそう呟(つぶや)きながら腕を見た。まだ、30分ばかりあった。まあ、ゆっくりしよう…と野辺は疲れ切った身体をベンチへ沈めた。そして徐(おもむろ)に改札口に視線を走らせた。改札口の上には次の到着列車の時刻を示す電光掲示板が掲(かか)げられている。野辺はそのとき、ぼんやりと、んっ? と思った。電光掲示板には[普通 11時40分 2]と、表示があるはずだったが、それが[普通 6時05分 2]の表示になっているのである。野辺は見間違えたか…と目を擦(こす)った。だがやはり、改札口の電光掲示板は、[普通 6時05分]を示していた。
「あの… 最終は来ますよね?」
 不安に思えた野辺はベンチを立つと切符売り場の駅長に訊(たず)ねていた。
「えっ!? 最終はもう出ましたよ。私も、そろそろ戸締りをして帰るところです」
「ええ~~っ!!」
「すみませんな。月替わりの昨日(きのう)から、一本、早くなったんですわ」
 あんたに謝(あやま)られても…と、野辺は憤懣(ふんまん)をぶつける場がなかった。とはいえ、こうしていても列車が朝まで来ないことは明白なのだ。野辺は、さて、どうしたものか…と、ふたたびベンチへ弱く座った。
「それじゃ、私はこれで…。お疲れの出ませんように」
 紋切り型の言葉で駅長に敬礼され、野辺は少し嫌味(いやみ)を感じた。
 駅長が去ったあと、無人となった田舎(いなか)の駅は物音(ものおと)一つしなくなった。夏の終わりのせいか、野辺の耳に虫の集(すだ)く声が聞こえた。
 しばらく、どうしたものか…と野辺は巡った。宿に戻(もど)ったとして、果たして宿がまだ開いているか、が問題だった。そのとき、遠くから列車が近づく警笛音が微(かす)かにした。野辺は、そんな馬鹿な…と、自分の耳を疑った。だが、ふたたび音が次第に近づいて聞こえ、列車はホームへ静かに流れながら入ってきた。これは? と野辺は首を傾(かし)げた。やがて列車はゆっくりと止まり、アナウンスが流れた。
『2番線に到着した列車は、白水11時35分着、11時40分発の梅花行きです』
 なぜ到着したのか理由は分からなかったが、紛(まぎ)れもなく最終列車だっ! と野辺は感じ、ベンチを立とうとした。そのとき目眩(めまい)がし、野辺の意識は遠退いた。
 気づけば、野辺は道の上で倒れていた。どうも、駅へ急ぐ途中で転び、軽く頭を打って気絶したように思えた。
 白水駅の構内へ駆け込むと、電光掲示板に[普通 11時40分 2]の文字が見えた。野辺は改札口の前までフラフラ…と近づき、万歳を繰り返した。駅長は意味が分からず、訝(いぶか)しげにそんな野辺を眺(なが)め、万歳を付き合った。

                 完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 47] 帰ろう…

2016年04月22日 00時00分00秒 | #小説

 残暑が続くなか、日没が早まっていた。半月ほど前は7時過ぎだった日暮れが、今ではもう6時半ばには暗くなり始めている。木工店を営む剣持は、暗くなる前に帰ろう…と無意識に思い、仕事を終わることにした。作業場を兼ねた店から剣持の家まで自転車で約20分はかかり、日々、作業場と家を行き来していた。木彫り職人とは聞こえがよいが、早い話、売れなければ暮らしてはいけない。日に客足は数人で、せいぜい数千円の稼ぎでしかなかった。それでも、作品を生み出すことに生き甲斐を抱く剣持に、不満など一切なかった。
「さてと…」
 木彫り用の鑿(のみ)を道具箱へ戻(もど)すと、剣持は重い腰を上げようとした。いつもならスンナリ立ち、土間へ下りるのだが、この日にかぎって、どういう訳か両足が動かなかった。それも、まるで金縛(かなしば)りにあったかのように一歩も動けないのである。抜き差しならない・・とは、このことか…と剣持は思った。両足の感覚はまったく失せ、まるで自分の身体(からだ)ではないように無感覚である。剣持は焦(あせ)った。だが両足は凍(い)てついたようにビクともしなかった。次第に冷や汗も流れ始めた。どこか身体の具合が悪くなったか…と、そんな不安も心を掠(かす)めた。剣持は冷静になろうと、動こうとする気持をやめ、両目を閉ざした。そうだ! もとの姿勢に戻してみよう…と閃(ひらめ)いた剣持は、しゃがみこもうとした。すると妙なもので、身体は少しずつ動くではないか。よし! とばかりに剣持は、ゆっくりと元の座っていた場へ腰を下ろした。そこは木の削(けず)り屑(くず)が散らばる剣持が座り馴れた作業の場だ。動けない不安はどういう訳か剣持の心から消え去った。ただ、帰ろう…という気持にはなった。親戚から送られたブランド牛の特製ステーキを食べるまでは死ねない…と剣持は思ったからだ。不思議なことに、美味(うま)そうなステーキが焼き上がる映像が心に浮かんだ次の瞬間、剣持の身体は、もの凄(すご)い早さで動くと、作業場を飛び出していた。立ち去ったあとには、剣持が彫った木彫りのステーキが一枚、美味そうに置かれていた。不思議なことに、その木彫りのステーキは、肉の焼けたジューシーないい匂(にお)いがした。

                 完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪奇ユーモア百選 46] 足音

2016年04月21日 00時00分00秒 | #小説

 残暑が続くある日、砂海(すなうみ)は珍しく掃除をしていた。砂海が掃除をしよう…などと思うのは、一年に一度、それも大晦日(おおみそか)が近づいて正月を迎える前くらいだった。それも世間態(せけんてい)が悪いとかいう常識的な感覚ではなく、まあ、年も改まるのだから、少し片づけておこう…という十数分を予定するくらいのものなのだ。当然、そんな砂海の家は埃(ほこり)が舞い飛ぶ状態だった。暑気払いでパタパタと団扇(うちわ)を扇(あお)げば、粉のような埃が舞い飛ぶ様子が、窓から射しこむ光の帯の中にはっきりと捉(とら)えられ、砂海の目に映った。だが、そんなことで砂海は動じなかった。
「今日も蒸(む)すなぁ…」
 汗をタオルで拭(ふ)きながら、砂海は独(ひと)りごちた。そのときぺチャぺチャぺチャ…と家へ近づくこの世のものとは思えない不気味(ぶきみ)な足音がした。砂海は、なにが来た? と怖(こわ)くなった。ところが、いっこうに玄関前のチャイムを押す気配がない。砂海は、はて? と、訝(いぶか)しく思った。郵便や牛乳、新聞の類(たぐい)なら分からないでもない。だがその気配とは明らかに異質だった。
「妙だ?…」
 砂海は首を傾(かし)げて玄関へ向かった。砂海は玄関を下り、ドアを開けたが、外には誰もいなかった。砂海はなんだ…とばかりに、馬鹿らしく自室へ戻(もど)った。すると、しばらくして、ぺチャぺチャぺチャ…とまた、不気味な音が近づき、止まった。またか! と少し怒れた砂海だったが、それでも一応…とばかりに重い腰を上げ、玄関へ向かった。が、やはり誰もいなかった。もう、いい! とばかりに砂海が怒りを露(あら)わにして戻ろうとしたときだった。
「あのう…」
 玄関の外で、か細い声が小さくした。砂海はギクリ! とした。幸いにも外はまだ夕方の明るさだったから、怖さはそれほどでもなかったが、不気味なことに変わりはなかった。
「はい、どなたで?」
 砂海は怖々(こわごわ)、声をかけた。
「前を通りかかった者ですが、靴底の皮が取れまして難儀(なんぎ)しております。この辺(あた)りに靴屋さんは?」
 怪談ではなく、皮談だった。

                 完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする