水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

困ったユーモア短編集-81- 虻蜂(あぶはち)取らず

2017年06月30日 00時00分00秒 | #小説

 困ったことに、人は金や地位、名誉などが身についてくると欲が大きくなる。それが意欲のうちは、まだいいのだが、邪(よこしま)な心が起こるとアレもコレもと、ついつい欲が拡大する。虻蜂(あぶはち)取らずに陥(おちい)ってしまう訳だ。俄(にわ)かに世の中を動かすほどの金力を得て財界に躍(おど)り出た花川戸(はなかわど)も、そんな中の一人だった。花川戸は以前、手に入れられなかった二つの物を金力に物を言わせて自分の物にしようと目論(もくろ)んでいた。
「大将! 二つはやめておかれた方が無難(ぶなん)ですぜ。お一つだけにしなされ」
 古くから花川戸工業所で働く西雲(にしぐも)は小声で忠告した。
「社長と言え! 聞こえが悪いっ。それに、つまらんことを言うなっ! 今の私には何とでもなるっ!」
 この傲慢(ごうまん)で思い上がった花川戸の考えが、花川戸工業所を倒産させる破目(はめ)になるのだが、それはまだ先の話である。花川戸の思い上がりは結局、虻蜂取らずとなり、一つも手に入れられなかった。その物が何であったか? までは語りたくない。どうしてもっ! と言われる方は、某メーカーのSF的CMで流れている缶コーヒーとまでは言わないから、緑茶か紅茶の一杯でも振る舞っていただければ手を打たない訳でもない。緑茶か紅茶? 私も虻蜂とらずになりそうだから、何もお出しにならずとも語ることにしたい。…と思ったのだが、お時間のようで語れず、話は先延(さきの)ばしとしたい。

                         完


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困ったユーモア短編集-80- 城主

2017年06月29日 00時00分00秒 | #小説

 畑地の様相は困ったことに、まさに戦国時代であった。
『申し上げますっ! 敵勢およそ300、茄子川(なすかわ)の辺(あた)りに出没(しゅつぼつ)しおるよしっ! 民(たみ)は、また戦(いくさ)かと萎(な)えておりますっ!』
『うむっ! 大儀(たいぎ)っ! またしても、無駄な出費じゃ…』
 野苗(やなえ)の城主は藻倉(もぐら)の手勢に攻められ、守勢に回っていた。
『殿、いかがなされますっ!』
『回り風車の旗を立ていっ! ともかく今は、三つ葉殿の援軍を待つ他(ほか)あるまいっ…』
「はっ! そのように…」
『胡瓜(きうり)、獅子頭(ししとう)、それに戸的(とまと)城は、かろうじて守られたが…』
『殿、なにか申されましたか?』
『いや、別儀(べつぎ)じゃ!』
 かくして、野苗家の城主と藻倉家の城主との戦いは続いていくのであった。
「あなたっ! まだ、寝てるのっ! 夕飯(ゆうはん)よっ!」
 城主の大声に、耕地(こうち)は飛び起きた。残業続きで、いくら寝ても眠った気がしなかった。顔を洗い、口を漱(すす)いでキッチン・テーブルへ座った。椀(わん)には三つ葉のお吸い物が湯気(ゆげ)を立てて注(そそ)がれていた。三つ葉の援軍は来たのか…と、耕地は思った。

                         完


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困ったユーモア短編集-79- 複雑怪奇

2017年06月28日 00時00分00秒 | #小説

 高桑(たかくわ)はパソコンに疲れ果てていた。最初は使い勝手がよいぞっ! と勧(すす)められ、それじゃ、老いの手習いに…と軽く始めたのはよかったが、困ったことに使い勝手は次第に悪くなり始めたのである。なんといってもワープロとは違い、桁外(けたはず)れに複雑怪奇だった。まるで、富士山麓の青木ヶ原樹海に紛(まぎ)れ込んで抜け出せなくなった放浪者に似かよっていた。とはいえ、使わない・・というのは、どこかパソコンに負けたようで癪(しゃく)だったから、高桑は続けることにした。というのは表面上の口実で、実は、いろいろと欲を満たして楽しめる利点もあったから続けた・・ということもある。
 夕飯はパソコンを買う前、6時半だったものが、いつしか8時を回るようになっていた。そこまでは、まだよかった。ところが、食事後の生活習慣をそれまでと同じように続けたから、当然、眠る時間が遅れることになった。と、どうなるか・・結果は、明々白々(めいめいはくはく)である。起床時間が遅くなった。それまでの散歩時間はなくなり割愛(かつあい)されることになった。と、どうなるか・・結果は明々白々である。体重が5kgも増えることになった。さらに、訳が分かず、虚しく費やす時間が増え、余暇が激減した。
「フゥ~~」
 高桑は溜息(ためいき)ともつかぬ息をひとつ吐(は)いた。パソコンは高桑にとって、生活リズムを崩(くず)し、体重を増やす複雑怪奇な存在に他ならなかった。

                         完


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困ったユーモア短編集-78- 手取(てどり)

2017年06月27日 00時00分00秒 | #小説

 なかなか社会制度は強(したた)かだな…と、桃川は第一感、思った。65になり、これでいくらか増えるな…と楽しみにしていた年金が、困ったことに細かく計算すると減っていたからだった。確かに支給総額では、僅(わず)かながら増えていた。が! である。が、介護保険料が+αで支給総額から引かれ、可処分所得、平たく言えば手取(てどり)が65才以前より減っていたのである。増えた分で年一回くらいの旅行には出られるだろう…という桃川の儚(はかな)い夢は潰(つい)え去ることになった。建て前はどうでもいいっ! 要は、中身だっ! と桃川は怒れた。だが、こんなことで怒っていても仕方がない。桃川は考えないことにした。考えなければ腹も立たず、怒れることもない。そう思うと桃川は気が楽になった。
「やあ、桃川さんじゃありませんかっ!!」
「おおっ!! これは梨山さんっ!」
 公園内を散歩していた桃川は会社で同僚だった梨山にバッタリ出会った。
「こんなところでお会いするとは…。お家(うち)、この近くなんですか?」
「ええ、もちろん。っていうか、あなた、この近くでした?」
 桃川としては自分は古くからこの地の住人・・という自負があり、少し偉(えら)ぶって言った。
「はい、最近、引っ越してきました…」
「なんだ、そうでしたか。まあ、そこで少しお話でも…」
 桃川は公園のベンチを指さした。久しぶりの再会に、いろいろと話は弾(はず)んだ。
「そうでしたか、ははは…。そうそう、私、これから銀行でした」
「銀行ですか?」
「はい、年金ですよ」
「ですか。…急用を思い出しました、それじゃ!」
 瞬間、桃川の脳裏に手取が減る計算が甦(よみがえ)った。梨山に一礼すると、桃川は足ばやに公園から立ち去った。
「桃川さん、どうしたんだろ?」
 梨山は訝(いぶか)しげに桃川の後ろ姿を追った。手取は桃川の気分を悪くする手取川の戦い[上杉軍 対 織田軍]だった。 

                         完


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困ったユーモア短編集-77- 風呂屋の釜(かま)

2017年06月26日 00時00分00秒 | #小説

 家庭風呂が増えたからか、風呂屋が次第に減っている。まあ、時代の趨勢(すうせい)、平たく言えば時代の流れ・・だと言えばそれまでだが、風情(ふぜい)が、困ったことに消える寂しい話には変わりない。
 風呂屋がフェチの薪(たきぎ)は番台前の風呂客用の休憩場で、いつものコーヒー牛乳を飲んでいた。この瓶(びん)も最近、見かけなくなったなぁ…と思いながら、風呂上りのいい気分を堪能(たんのう)していた。客用テレビが国会討論会の録画画面を流している。
「ははは…皆さん、間違ってないんですがねぇ~」
 番台に座る風呂屋の親父が薪に声を投げた。急に声をかけられた薪はビクッ! として番台を見て言った。
「私ですかっ!?」
 親父は小笑いしながら黙って頷(うなず)いた。
「そうですねぇ~…いい政治をしてもらいたいものです」
「私のところでは困ります」
「はっ?!」
「風呂屋の釜(かま)ですよ、ははは…」
「…」
 まだ理解できず、薪はおし黙った。
「湯(ゆ)[言]うばっかり。ははは…」
「あっ! ああ、そうですね。言ったことはやってもらわないと」
「いいことは誰でも言えますからな」
「そうですね、ははは…」
 薪は風呂屋の釜だな…と、思うところは言わず、笑って軽く流した。

                         完


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困ったユーモア短編集-76- そこは、それ…

2017年06月25日 00時00分00秒 | #小説

 なんとも使い勝手がいい言い回しに、そこは、それ…というのがある。暈(ぼか)して、それとなく相手の出方を促(うなが)し、直接的には自分の意思を示さない、ある意味で自分を安全圏に置く困った言い回しだ。
「それは、どうなんですかね。私としては海崎(うみさき)さんの案の方が先方に受けがいいと思いますよ」
「そうかね…。私の考え過ぎか」
 部長の串塩(くしじお)と次長の魚川(うおかわ)は、開発課長の海崎と営業課長の浜砂(はますな)の両案を比較検討していた。
「ええ、そう思います」
「よし! これで決まりだ。で、問題はそのあとの接待なんだがね」
「部長、そこは、それ…。いつものように」
 魚川はニヤリと意味有りげに北叟笑(ほくそえ)んで串塩を見た。串塩も、なるほど…と理解し、笑顔で頷(うなず)いた。
「アレか!」
「アレですよ、部長! お得意の…」
「ははは…参ったな。また私の出番とは」
 一応、釘(くぎ)を刺しはしたが、まんざらでもない顔で串塩は了解した。魚川が言った[そこは、それ…]は串塩の宴会での裸踊りだった。

                         完


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困ったユーモア短編集-75- 意識せず

2017年06月24日 00時00分00秒 | #小説

 周囲の人に対して意識しやすい体質と、しにくい体質がある。図太い! と思われる人は、まったくしない体質だから、しにくいを超越(ちょうえつ)した相当の猛者(もさ)だ。また、意識しやすい体質の者でも、意識的に意識せずを心のお題目(だいもく)で唱えるように意識することにより、周囲の人を意識しなくなる・・というややこしい場合もある。意識せずを念頭に置けばどうなるのか? といえば、意識しなくはなる。ただ、その一点に心が集中すれば、肝心の自分がしようとしていることや言おうとしていることが疎(おろそ)かになり、失敗しやすくなる。結果、失敗すれば、周囲の人を意識し、何をやっているのか分からない。
 吉松は田村眼科の待合室で待っていた。田村 岬(みさき)はご近所で有名な美人女医で、吉松は寿司でも一度、つまみませんか? と密(ひそ)かに誘(さそ)う機会を窺(うかが)っていたのだ。
「吉松さん! どうぞ…」
「どうされました?」
「はあ…どうも、この辺(あた)りが痛くて…」
 数日前、調理をしていて、うっかり切った人さし指が赤く腫(は)れ上がり、少し痛かった・・という唯一(ゆいいつ)の口実をひっさげ、まったく関係がない田村眼科に厚かましくも診療を受けに来たのだった。
「はあ?」
「ここです! ここ!」
 吉松は手指を田村の顔先へ、これ見よがしに突き出した。
「ここは分かってます! 私は医者で目は悪くないんですよぉ~」
 田村が繰(く)り出した嫌味(いやみ)の一発である。田村は、意識せず…と思って医院へ来たのだが、岬の顔を見るともうダメで、意識して身体が氷結して硬(かた)くなるのだった。それも、ガチガチ! に、である。指先を岬の顔の前へ突き出したのも、顔を見ないためだった。
「どうしましょう?」
「どうしましょう? って、お好きになさればいいじゃないですか。私のところじゃないですよ、コレは…。お隣(とな)りなら診(み)てもらえますよ、きっと!」
 嫌味の第二段だ。
「あっ! はい! ははは…お隣りでしたか。でしたね、ははは…」
 田村は笑いで誤魔化(ごまか)した。岬が優(やさ)しかったのが勿怪(もっけ)の幸(さいわ)いだった。そして今、岬を寿司へ誘う話は、田村が岬を意識せず話せる日まで、宙(ちゅう)に浮いている。

                         完


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困ったユーモア短編集-74- 攻守(こうしゅ)

2017年06月23日 00時00分00秒 | #小説

 下草(したくさ)は土曜の夕方、風呂上りで一杯やりながら、畳(たたみ)の上へ牛のように寝そべり、テレビの野球中継を観ていた。ツマミは生え草ではなく、熱々(あつあつ)でジュ~シィ~~な出来上がりの白身魚のフライである。ビールにはとっておきのツマミで、下草にとって刈り取る必要がなかった…いや、申し分なかった。
「ほう、かなり攻めてるなっ!」
 下草は応援チームの猛攻にテンションが上がっていた。そこへ、敵チーム・・ではなく、妻のひと声が入った。
「夕飯、何にするっ!」
 妻の攻め手は、いつもこう来るのが常套(じょうとう)手段だった。直接ではなく、外堀から、それとなくヤンワリと来るのだ。このヤンワリが、どうしてどうして、なかなかの曲者(くせもの)で、侮(あなど)れなかった。というのも、責任を相手に下駄を預(あず)けた形にして、自己責任から逃避(とうひ)しているからだった。分かりやすく言えば、攻める打者の「これかっ! あまり食いたくなかったな…」というヒット性の打球や「なんだ、これはっ!!」というホームラン性の打球を封じる魔球的な守りの一投だったのである。
「んっ? なんでもいい…」
 下草としては、すでに少し酔いが回っていたから、どうでもよい気分になっていた。それに試合の状況に気が削(そ)がれていたから、夕飯どころではなくなっていた・・ということもあった。結果、この試合は妻の完封シャットアウトで終わり、下草は完全な酩酊(めいてい)牛となったのである。
「夕飯、出来たわよ。…あら、眠ってるわっ」
 下草家の攻守は案外、スンナリと決着した。

                         完


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困ったユーモア短編集-73- 落ちついて

2017年06月22日 00時00分00秒 | #小説

 落ちついて判断すれば、そう大したことがないような内容でも、焦(あせ)れば、ことのほか梃子摺(てこず)る場合がある。関ヶ原の戦いに間に合わず、家康公から叱責(しっせき)を受けた[私はその状況を見ていないから分からないが、ドラマの場合は、おおよそ、そのように描かれている ^^]秀忠公も、上田から中山道を下る経路で長雨に行く手を寸断され焦られたか焦られなかったかは知らないが、まあ、落ちついて判断すれば、上田攻撃をせず、スゥ~~っと素どおりしていれば間に合ったのではないか・・と推測される訳だ。これは天下の将軍家に対し誠に失礼な物言いとはなるが、…まあ、そのようだ。今の世でも同じことが言える。長蛇(ちょうだ)の列が出来ている中を、これから並ぼうとする人は落ちついた人と落ちついていない人では大きな差異を見せる。まず[1]として、並ぶ列の周囲の込み具合を落ちついて判断する。[2]としてそのときの気象状況を落ちついて判断する。さらに、[3]として、どうしても並ぶべきかの必要性の軽重を判断する。で、[1]、[2]、[3]を総合判断{出来ればターミネーターのように瞬時に判断できるに越したことはない}して、並ぶか、また次の機会にして断念するかを落ちついて決定する・・というものだ。これにはやはり、人間性が多分に影響し、短気な人の場合とそうでない人の場合では違いを見せる訳である。
「あっ! どうぞ…」
「えっ? いいんですか? それじゃ、ここで…」
 雨寄る天候の中、二人の人がスーパーに歩いてやって来た。二人は雨傘を持っていなかった。一人の人は、買い物をせず、そのまま帰宅した。もう一人の人は、買い物をした。買い物をしなかった人は、落ちついて空模様を観察していた。で、降りそうだな…と落ちついて判断し、車で出直そうと帰宅した。もう一人の人は、なんとかなるわ…と焦って考えた。結果がどうなったかを語りたくはないが、やはりここは語っておかねばならないだろう。
「わぁ! 降ってるわ。使い捨て傘を買うのも癪(しゃく)だし、待つしかないか…」
 雨は、やはり降った。買い物をした人は半時間ほど空を眺(なが)めながら、焦り続けた。そのとき、買い物をしなかった人は車でやって来て買い物を終えたところだった。
「あらっ! 送って差し上げますわ、どうぞ…」
 落ちついて判断した結果は皮肉な結末を招(まね)いた。

                         完


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困ったユーモア短編集-72- 気分よく

2017年06月21日 00時00分00秒 | #小説

 人は誰も、気分よく生活したい…と望んでいる。いい服、美味(おい)しい料理、快適な住まい・・これら衣食住を満たすため、日々、頑張(がんば)っている訳だ。まあ、頑張らずに追求だけしておられる人々もいなくはないが…。そんな人々はごく少数の恵まれた存在で、普通一般の人々は日夜、気分よく暮らせることを望んで励(はげ)んでいるのだ。だが、気分よく・・というのは、かなり一方的な自己主張で、本人が気分よく・・と思っても、困ったことに、とり囲むいろいろな軋轢(あつれき)、柵(しがらみ)などが目に見えない形で忍び寄り、邪魔をしたり壊(こわ)したりするのがこの世の常である。
 久々に纏(まと)まった休暇がもらえた逆立(さかだち)は、どう気分よく過ごそうか…と北叟笑(ほくそえ)みながら計画を立てていた。
 逆立の計画では、まずとある温泉へ着き、浴衣に着がえてフラフラと露天風呂へ歩き、湯浴(ゆあ)みしたあと、のんびり塩をつけた温泉卵をモグモグと頬張(ほおば)る。そして、夕暮れどきを宿へと戻(もど)り、ほどよく冷えた、冷酒、ワイン、ビールなどで喉(のど)を潤(うるお)し、宿が出した美味(うま)い料理に舌鼓(したづつみ)を打つ・・というものである。アレコレ計画を立てただけで逆立は気分よくなった。その後、適当な旅行社にプランを依頼し、逆立はクーポンを手に喜び勇(いさ)んで旅に出た。ここまではよかった。
『ただいま和牛-黒豚間で人身事故が発生したため、肉物線の列車は運転を見合わせています』
 駅構内にアナウンスが流れた。せっかく気分よくいい旅を・・と勇んでいた逆立の心が一瞬にして萎(な)えた。肉物線に乗らなければ、とある温泉へは着けず、気分よく温泉卵を頬張れないことになる。計画は総崩れとなるのである。
「なんとか、温泉卵へは着けませんかっ!!」
 逆立の焦(あせ)った心が、そう言わせていた。
「はあ!?」
 駅員は意味が分からず、訝(いぶか)しげに逆立を見た。
「いや、なんでもありません…」
 温泉までは約1時間である。多少高くついても仕方ないか…と、逆立は駅からタクシーで行くことにした。温泉へは着いたが、温泉はひっそりとし、人の気配はほとんどなかった。
「あの…この旅館なんですが…」
「ああ、お客さん。悪いときに来られた。十日ほど前から元湯が止まっちまって、湯が出なくなってるだぁ~よぉ~」
「ええ~~っ!! でも、旅行社はクーポン出してくれましたよっ!」
「ああ、そらそうだろっ。まだ、湯のことは世間に流れてねぇ~のさ」
「そんなぁ~~!!」
 気分よくと考えていた逆立の目論(もくろ)みは完全に消え去り、あとには空(むな)しい気分だけが残った。気分よくいくはずが、気分悪くなったのである。

                         完


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